自己犠牲

文字数 1,674文字

あれは究極の優しさだよね

三毛猫のミータンと黒猫のハイデガーは映画館に忍び込んで、映画を見ていた。
場面はクライマックス。主人公のライバルが主人公をかばって敵の攻撃を受けてしまった。酷い負傷で、もう助かりそうにもない。主人公とライバルの最後の会話が涙を誘う。
「誰でも自分にとって一番大切なのは自分だよね。でも、彼は自分を犠牲にして他人を助けた。これが究極の優しさだよね」
そう話しかけるのは三毛猫のミータン。ハイデガーは返答する。
「そうだね。小説でも漫画でも映画でもあらゆる作品で自己犠牲は描かれるね。作者は自己犠牲を通してキャラクターの優しさや愛の深さを伝えることができる」
「でもやっぱり創作上の話だけだよね。実際にはみんな自分のことが一番大事だから、あんなことできっこないよね」
「映画みたいな自己犠牲的な行動ができるかどうかは置いておいても、誰しもそういう行動に憧れを持っていることは確かなんじゃないかな?」
「それはそうだね。こんなにもたくさんの作品で描かれているんだから。みんな自己犠牲的な行動に憧れを持ってるんだろうね」
ミータンはふと考えてしまった。
「どうしてみんな自己犠牲に憧れるんだろう?やっぱり、みんな優しくなりたいと思ってるのかな?」
「鶏が先か卵が先かみたいな議論になるけど、みんなが憧れてるからと言うのが大きい気がするね」
「みんなが憧れるのは、みんなが憧れるから?」
「そうだね。みんなが価値を置くものは、価値がある。資本主義と同じだよ。みんなが欲しがるものは値段が上がっていくのさ」
「そういう人もいるかもしれないけど、最初から誰も興味が無いものは、どうやっても憧れの対象にはならないでしょ?きっと本質的に人を惹きつける魅力があるはずだよ」
「自己犠牲の本質的な魅力か~。なんだろうね?何がそんなにも魅力的なのかな?」
「アンパンマンは自分の顔を食べさせるよね。そして、何度でも敵に立ち向かっていく。すごく魅力的なキャラクターだよね」
「そうかな?アンパンマンのあれは仕事みたいなものでしょ?パンなんだから食べられるのが自然だよ。食べられないパンをわざわざ作る理由はないよね。それに敵に立ち向かっていくのだって、ほとんど義務みたいなものだよ。ある日突然にアンパンマンが戦うのをやめたら、みんなすごく批判すると思うけどな。だから、アンパンマンが憧れられるヒーローでいるには戦い続けるしかない。これは義務みたいなものだよね」
「それはかなり珍しい考えだと思うよ」
「だろうね。でも、僕が思うのは演出っぽさを感じてしまうってことさ。みんなが称賛する行動だと知っているから、あえてキャラクターにそういう行動をさせている。そんな感じがするから、僕はあまり好きじゃないね」
「なるほどね~。じゃあ、どういうのが好きなの?」
「僕はね、理由がある自己犠牲じゃなくて、理由のない自己犠牲になんとなく惹かれるんだ」
「理由がない?どういうこと?」
「なんというかな、誰のためにもならない自己犠牲さ」
「全然わからないよ」
「例えばね、天涯孤独な人がさ、自分の死期を悟ってたった一人で深い森の中に入って、たった一人で静かに死ぬの。誰にも知られず、誰にも悟られず、誰の記憶にも残らない。こんな感じ」
「全然わからない。自己犠牲って感じじゃないよ。そんなことに何の意味があるのさ?」
「意味はあるじゃない。アパートでひとり孤独死なんてしたら、家主さんに迷惑がかかるよ。死体を処理するのもきっと大変だ。死人が出たアパートじゃあ、人気が無くなるかもしれないね。そういう問題を全部、避けることができるんだから、実は人のためになってるんだよ」
「それはそうかもしれないけど、ちょっとおかしいよ、そんな作品があっても誰も感動しないと思うな」
「だからいいんだよ。誰も感動しない、誰のためにもならない自己犠牲。そういうのに僕は憧れるかな」
「変だよ、そんなのさ」
「そうかもね」

エンディング。
さっきまで悲しんでいた主人公が笑顔で過ごす様子が描かれている。
それを見終えてから二匹の猫は映画館をあとにした。

終わり





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