第6話

文字数 2,271文字

 その週も、いつも通り木曜日に彼からの電話がありました。週末のデートを、土日のどちらにするか、場所はどこにするか、などを決めるのです。

 会話の流れの中で、私は出来るだけ平静を装いながら、さりげなく言ってみました。


「そういえば、私、一度もあなたのお家に行ったことってなかったよね?」

「え? あ、そうだっけ?」

「いつも私の家に来てもらってばかりだから、たまには私がそちらに伺うっていうのはどう?」


 少しの沈黙の後、はっきりと動揺が分かる口調で、彼が言いました。


「ま、まあ、今週急にっていうのも何だし、今週は別の場所にしない?」

「じゃあ、来週は? 来週なら伺っても大丈夫なのかな?」

「っていうかさ、何でそんなに家に来ることに拘るの?」

「拘ってるわけじゃないけど、私が伺うと、何か不都合なことでもあるの?」


 正直、私としてもそこまで言うのは、かなり勇気が要りました。

 梨花さんの言うとおり、本当にこれで駄目になるかも知れないという不安と並行して、彼を信じたいという気持ちが、頭の中を激しく駆け巡ります。

 が、彼から返って来たのは、残念なほうと受け取るしかありませんでした。


「都合が悪いことなんて、別にないけどさっ!! だた、いきなり来たいって言われたって、こっちにも予定とかあるし、別にそんなに急に家に来るっていうのも、その、なんだ、あの…」

「ねえ、今まで何も言わなかったけど、私たち付き合って、もう5年目だよ? その間、私は一度だってあなたのお家に遊びに行ったこともなければ、あなたのご家族に会ったことすらないんだよ? 外国に住んでるとかなら仕方ないけど、これってちょっと普通じゃないよね?」

「別に、そういう付き合い方だって、本人たちが良ければ別に…」

「私は、おかしいと思ったから、思ったことを言ってみたんだけど」

「もういい。そんなふうに思うんなら、そう思えばいいだろ。分かったよ。もう会うのはやめよう。それじゃ」


 そう言って、電話は切れました。




 ふと我に返り、なぜ彼がそこまで逆切れするのか、梨花さんと話した内容を思い出し、その理由を漠然と理解した瞬間、とめどなく涙が零れ落ちました。


~別れって、こんなにあっさりと言い渡されるものなんだ~

~結局、私はその程度にしか思われていなかったのか~


 そう思うと、自分が惨めでたまらなくなりましたが、何度もシミュレーションを重ね、こうなることも想定内でしたから、自分の中でのダメージは最小限に抑えられた気がします。

 ひとしきり泣き、11時を回っていましたが、梨花さんに電話をして小一時間話を聞いてもらい、翌日は会社を定時で退社して、食べて、飲んで、歌って、ついでに梨花さん家にお泊りして、『過去』となった彼へのレクイエムを謳歌したのでした。




 ところが、それから2週間が過ぎた木曜日、彼から電話が掛って来たのです。

 私の中では、もう完全に過去になりつつある人でしたので、意外を通り越して、驚きでした。

 何より、彼の口から出た言葉は、はっきり言って唖然でした。


「今週、どうする?」

「どうするって、何が?」

「前、うちに来たいって言ってたから、お母さんに聞いてみたんだ。そしたら、そんなに来たいって言ってるなら、来ても良いって言ってたから、今週、土日のどっちが良いかなって思って」


 この男、人のこと何だと思っているんだか、馬鹿にするのも、程があるというものです。


「私たち、もう別れたんじゃなかったの? 前の電話で、そっちから、もう会うのはやめようって言わなかったっけ?」

「あれは、『今週は』会うのをやめようって言っただけで、僕は別れようとは、一言も言ってないし…!」

「私は、はっきりと別れの言葉だと受け取ったけど。それより『そんなに来たいなら、来ても良い』って、何それ? そんなこと言われて、喜んで行く人間がいると思うの?」

「じゃあ、何て言えば良かったんだよ? うちのお母さんが来ても良いよって言ってるから、是非遊びに来てください?」


 この人の頭の中は、まず『うちのお母さん』が最優先で、母親の意思が絶対であり、私というポジションは、その思し召しを有難く頂戴する最下層の位置付けなのでしょう。

 女性にとって『最も残念な彼氏』です。


「あなたがどう思っていようが、私にとってあなたは、もう彼氏でもなければ、そのあなたのお母さんが『来い』と言おうが『来るな』と言おうが、指図される覚えもなければ、行く気も理由もないってこと」

「うちのお母さんが、そこまで言ってくれてるのに、悪いと思わないのか!?」

「そうだね、多分あなたにとっては、世界で一番大切な人だろうけど、残念ながら、私には一面識もない人だから」

「うちのお母さんを、冒涜するのか!? もういい!! 君とは別れるから!!」


 そう言って、再び、一方的に電話を切られました。




 一度目と違い、出たのは涙ではなく、溜め息でした。

 母親に対して『冒涜』するのか、ということは『崇拝』でもしていたのでしょう。前々から、薄々どころか、間違いないだろうと確信していましたが、正真正銘、筋金入りのマザコン確定です。

 つい先日まで、あんなに気を使って何も言えなかったというのに、その反動なのか、それとももう自分には関係ない人だと認識したからなのか、ここまではっきり言ってしまう自分が、驚きでもありました。

 それにしても、この電話の内容から、彼のママは私と会うこと、私を自宅に招くことを、快く思っていなかったらしいことだけは確かです。

 ならば、考えるまでもなく答えは一つ、『別れて正解』です。



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