第11話

文字数 2,321文字

 私の誕生日を一週間後に控えたその日、電話が鳴りました。いつの間にか習慣になってしまった無言で受話器を取ると、向こうから話して来ました。


「もしもし、こうめ? お久しぶり、麻田です」


 驚きました。

 馴れ馴れしい口ぶりにも腹が立ちますが、それ以上に、この期に及んで、よく掛けて来られたものだと呆れます。


「何か御用ですか?」

「来週の誕生日、会いたいんだ。どうしても渡したいものがあって」


 一年も前に分かれた相手に、誕生日に会いたいとは、いったいどういう神経をしているのか、まったく理解不能です。


「あなたから貰うものなんて、何もありません」


 そう言って、電話を切ったのですが、すぐさま、また掛って来たのです。

 このまま放置しようかとも思いましたが、こうなれば、決着を付けたほうがよいと覚悟を決め、徹底的に話すことにしました。


「一体、何をどうしたいのか、言ってみ?」

「もう一度、僕と付き合って欲しい。離れてみて、やっぱりどれだけこうめのこと好きだったか、凄く分かった。誕生日のプレゼントは、指輪にしたんだ。永遠の愛を誓う指輪なんだ。去年の誕生日プレゼントで、君は見事に合格だった」


 去年の誕生日プレゼントが合格? いくら考えても意味が分からなかった、あの件に関することでしょうか?


「合格って、何、それ?」

「あの商店街で、何を選ぶか、試していたんだ。君はその中で、リーズナブルなCDを選んだ。経済観念もあるし、クラシックを選ぶところが、とてもセンスが良いと思うし、ずっと一緒に居るには十分合格だって、確信したんだ」


 これで、最後まで残っていた謎が、全部解明しました。

 だいたい、経済観念もセンスも何も、誕生日にあの商店街でプレゼント選びを強要され、あれくらいしか選ぶものがなく、おまけに費用の半分は自費と、私としてはものすごく不愉快な記憶でしかありません。

 しかも、その年齢の誕生日は一生に一度しかないのに、それを勝手に訳の分からない選考道具にしたとか、人を馬鹿にするのも程があるというもの。あまりの無礼さに、もう容赦しないと思いました。


「じゃあ、聞きますけど、先輩の不倫妻と、幼馴染の同級生と、結婚前提の女子行員はどうするの?」

「何でそれを…?」

「知ってるよ。で? 全部清算するの?」

「先輩の奥さんと同級生の子は、僕にぞっこんで、別れてくれないんだ…。女子行員は、上司の紹介で、結婚の話が進んでいて…」

「じゃあ、決まりじゃない。私とは永遠の愛は誓えないってことでしょ」

「そんなことはない! 結婚しなくても、僕たちの愛は永遠だよ!」


 もう、言ってることが無茶苦茶です。女子行員とは結婚する流れでも、皆が自分を愛しているから、このハーレム状態を継続するのが最善策で、もうとっくに終わっている私との間にまで、永遠の愛が存在している?

 頭がおかしいとしか思えません。


「つまり、自分は結婚するけど、私には愛人になれ、ってこと? もし全員がそれを了解したとしても、正妻と三人の愛人を養って行けるわけ?」

「前に言っただろ、僕の実家は資産家で、それくらい十分やって行けるんだよ」


 まだ、バレてないと思っているようです。

 あるいは、ずっと嘘をつき続けているうちに、私に対して彼の中では、実家が資産家の御曹司になってしまっていたのかも知れません。


「もう、嘘つくのをやめたら? 知ってるんだよ。自宅の新築もしてなかったみたいだし、教育関係の名士の家系でもないみたいだし、特に資産家でもないんだってね」

「だ、誰がそんなこと…」

「狭い町だもの、知り合いがいれば、ほぼ筒抜けなんだよ」

「じゃあ、生活費はデート代みたいに、お互い折半して…」

「まず、そこからしておかしいでしょ? 何で私は愛人になってまで、働いて生活支えなきゃいけないの? 大体、うちの親に『娘さんを愛人に下さい』って言うの? それで、うちの親が『どうぞ』って言うと本気で思ってるの?」

「大人なんだから、親になんか言わなくても、愛があれば、どんな困難でも…」

「もう、そこから間違ってるって、気付けよ。こっちは愛なんて一年も前に消滅してるっていうの。勝手に訳わかんないテストされて、合格だから一緒に居てやるとか、何様のつもり? 四又掛けるは、嘘はつくは、挙句に意味不明な妄想を語りだすは、はっきり言って、そんな男、こっちは選考基準にも満たないんだよ」

「でも、僕はこうめを幸せにしたいんだ…」

「私の人生に、結婚の選択肢はあっても、不倫だ愛人だっていう選択肢はない。ついでに、あなたという選択肢も、100%ないから」

「こうめ…きみは変わってしまったんだね…」

「私が『変わった』んじゃなくて、あなたの思考回路が『変わってる』んでしょ?」


 受話器からは、すすり泣いている様子が伝わって来ましたが、それでこちらが同情するとでも思うのなら、完全に脳内お花畑です。

 まるで自分の要求が受け入れられずに駄々をこねる子供のような様子は、逆効果にしかならず、幻滅に拍車が掛るだけでした。

 やがて、とうとう嗚咽し始めた彼に、言いました。


「じゃあ訊くけど、逆に、私が上司の勧めで、他の男性と結婚したとして、その他に、職場の先輩の旦那さんと不倫してて、幼馴染の同級生の男の子とも愛人関係になってて、あなたにも愛人になって、生活費も入れてねって言われて、あなた幸せ?」

「そんなの嫌だ…」

「そうだよね。私も嫌だよ、そんな人生」


 そのまま、彼は言葉を失ったのですが、最後に、


「本当に私の幸せを願ってくれるのなら、もう二度と、私の人生に関わらないで。さよなら」


 それだけ言って、電話を切りました。

 それ以来、二度と彼から電話が来ることはありませんでした。




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