放課後、風紀委員としての当番仕事を終えた琴子は、風紀委員室へ戻りそのドアへ手をかけた。
新年度から風紀委員に加入し、見回り当番に当たるのももう何度目かになる。
最初の頃のように気を張ることもなくなり、いつものように室内へ入るのと同時に報告をしようとした。
琴子
「失礼いたします。ただいま見回りを終えまし――」
風紀委員室の一番奥の風紀委員長の机で、その座席の主である栞が、机に突っ伏して寝入っていた。
その傍で窓の夕陽を背にしたシエラが、口に人差し指をあてて微笑む。
シエラ
「年度の初めはとくにやることが多いからね……。
見回りや取締りのように体を動かす仕事ならいいけど、書類仕事をしていると、急に疲れが出てくるのよね。
……気持ち、分かるのよ」
琴子
「ふふ。たしかに彼女の場合、出動要請がかかった時が一番いきいきとしている気がしますね」
音を立てないように入口の扉を閉め、栞の傍まで歩み寄る。
なるほど、彼女が枕にしている両腕の下には、書きかけの報告書や決裁前のクエスト発令書などが散乱していた。
その中に、おそらく寝入る直前に書いていたと思われる書類を見つけた。
文章の途中、次の文字を書ききる前に力尽きたのだろう。
文字が乱れ、紙の上にはペンが転がっている。
だが書類上部のタイトルは、まだ意識のはっきりしているうちに書いたと思われ、判別がついた。
シエラ
「生徒会から、早くまとめろ、とせっつかれているのよ。
……懐かしい?」
琴子
「まだ、そんなに経っていませんよ……。
……でも、そうですね。
ほんのひと月ほど前のことなのに、もっと昔のことのようではあります」
琴子
(……あの時は、風紀委員になるどころか、この学園のこともよく分かっていなかったのよね)
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講堂での入学式を終えて、新入生は大講義室へ移動していた。
係の生徒に誘導されるまま席に着いた琴子は、他の新入生と同じように静かに檀上の生徒の話を聞いていた。
栞
「皆さんのお手元に一冊ずつお配りしている冊子に、主だった校則や学校生活を送るうえでの注意点が記載されています。
今から主要なものを解説しますが、こちらは後で必ず、各自一読しておくようにしてください」
彼女はこの学園で風紀委員と呼ばれる組織で委員長を務めている、2年生の生徒だと先ほど紹介があった。
指示に従い、琴子は自分の冊子のページを次々とめくっていく。
琴子
(……書いてあることは、意外と普通ね。
突然、入学許可通知を送りつけてくるから、どんな学校かと思っていたけど……)
実家である八津瀬家へ学園からの手紙が届いたのは、つい数か月前のことだ。
学校名に心当たりはなく、当然入学試験を受けた覚えもない。
……だというのに、いつの間にやら、通っていた女学校から転校することになっていた。
琴子
(不思議だわ……。ここにいる皆、同じようにして入学したのかしら)
講義室に集まっている新入生は、概ね十代後半から二十代前半くらいの年代に見える。
どうやら同学年と言っても、同い年とは限らないらしい。
また同じ制服をまとっているが、髪の色や顔立ちを見るに、出身地や人種も様々のようだ。
栞
「私達の学校には、世界各地から様々な生徒が集まっています。
一般庶民も、名のある貴族も、中には王族に名を連ねる生徒も……」
琴子
(王族!? そんな人がいるなんて、実はすごい学校なのかしら)
栞
「……しかし、年齢も性別も出身も生まれも、この学園の生徒として共に生活する限り関係ありません。
毎年新入生の中には、生家の身分を理由に横暴を働こうとする生徒がいますが……、そのような行為は校則違反であり、私たち風紀委員の懲罰対象となりますので、ご留意を」
少し前まで通っていた女学校には、華族や名家、あるいは八津瀬家のように成り上がった商家などの出身で、ご令嬢と呼ばれる身分の娘しかいなかった。
校内でも実家の地位は無関係ではなく、名門中の名門のと呼ばれる家の娘は学校でも一目置かれていた。
また琴子自身も、その恩恵がなかったといえば嘘になる。
琴子
(しがらみがないのは、いいことかもしれないわ。
女学校での生活に不自由はなかったけど、本音を言い合わない付き合いには疲れも感じていたもの)
父には申し訳ないが、この学園にいる間は生家の立場や自分の役割をを忘れることができるかもしれない。
ここは実家から遠く離れた地にあるから、そうそう呼び戻されることもないだろう。
それに、学園への入学話のおかげで、進行していた琴子の社交界デビューと縁談の話は立ち消えになっていた。
琴子
(……縁談といえば。
果たして、私を送り出したとき、お父様はこのことを知っていたのかしら……)
琴子は、ちらりと自分の右隣に座る生徒を盗み見る。
今いる講義室は二人掛けの長机が並んでいる仕様のため、隣の席人との距離が比較的近い。
女学校とこの学園との違いは様々ありそうだが、琴子がまず最初に感じたのは……これだ。
琴子
(そうよね……ここは女学校ではないのだもの。
先刻、風紀委員長さんが言っていたわ。"性別も関係ない"、と)
ここが共学だということを、琴子の良縁探しに熱心だった父が知っていたかどうか、怪しいものだ。
琴子の隣の席に限らず、新入生の半分ほどが男子生徒のようだった。
琴子が幼い頃ならともかく、年頃になってから若い青年や少年にここまで接近したことはなかった。
琴子
(自意識過剰かもしれないけど、慣れないわ……。
いえ、慣れていかなければならないのだけれど……)
栞
「……校内の施設は様々ありますが、中には生徒の利用が制限されている場所もあります。また魔物出現により、危険防止のため、臨時に風紀委員以外の生徒の立ち入りを禁止される場合もあります。
通常時の各施設の使用許可について、詳しくは次の生徒会オリエンテーションで……」
琴子
(……いけない。注意力散漫になっているわ。
きちんと話をきかないと……)
居心地の悪さを誤魔化し、気持ちを切り替えようと、琴子は右隣から遠ざかるように少しだけ椅子を動かそうとした。
しかし、力加減を間違ったのか、思ったよりも大きく位置をずらしてしまった。
しかもその拍子に、隣人の荷物に椅子を当ててしまう。
咄嗟に、琴子は隣の男子生徒へ小さな声で謝った。
すると、彼もすぐに現状に気づいたようだ。
嫌な顔をされたらどうしようかと琴子は内心焦っていたが、男子生徒は穏やかに微笑んだ。
そして、オリエンテーションの邪魔をしないよう、琴子に合わせて小さな声で返してきた。
信乃
「いえ、大丈夫ですよ。
……こちらこそ、すみません。邪魔ですよね、これ」
琴子
「とんでもないです。
私が粗相をしてしまっただけですので……」
琴子
(入学式にまで持ち込むくらいだもの。
きっと大切な物なのではないかしら……)
汚したり傷をつけてしまったりしていないだろうかと心配になり、琴子は隣人の、その細長い筒状の荷物を観察した。
椅子が当たってしまったので最初は床に置かれていた物かと思ったが、改めて見ると違う。
金色の美しい彫刻に飾られた黒い鞘は床につく寸前で宙に浮いており、上部が男子生徒の制服のベルト付近に固定されていた。
固定部分の少し上に鍔が、その上には鞘同様に立派な装飾の施された柄が……。
オリエンテーション中だというのを忘れて思わず大声をあげそうになったが、寸でのところで踏みとどまる。
信乃
「? あの……?
……ああ、女性の近くに置くものではありませんよね。すみません」
たしかに、校則に刀持ち込み禁止などということは書かれていなかったと思うが、校則以前の問題だ。
今まで誰にも咎められなかったのだろうか……。
琴子
(ああ、でもこの学園は様々な世界から人が集まっているというし、この街にはそういった禁止令がないのかもしれないわね。
魔物も出ると言っていたし……)
信乃
「士族……? ……ええっと、そうですね。父は武士の出です」
信乃
(やっぱり……"刀は武士の魂”というものね。
追及するのはやめましょう)
栞
「それでは、風紀委員からのオリエンテーションは以上になります。
先程も言った通り、同様のことが冊子に記されていますので、各自で改めて目を通しておくようお願いします。
休憩を挟んで生徒会のオリエンテーション、最後に寮へ場所を映して学生寮のオリエンテーションが……」
休憩と聞いて、周囲の空気がゆるむ。
皆まだ入学して間もなく知り合いも少ないだろうが、入学式からこの方ずっと話を聞かされっぱなしの疲れからか、初対面ながら近くの人へ話しかける者も多いようだ。
琴子
(……結局、あまり聴いていなかったわ。
あとで、きちんと読んでおかないと)
信乃
「……あの、女性にこんなことを聞くのは失礼かもしれないけど」
歳が近いとはいえ男の子とこんなに近くで会話するということに、琴子は改めて緊張を感じた。
相手の物腰が、この年頃の少年にしてはとても柔らかなのが救いだ。
琴子は動揺を悟られないよう、こちらもにっこり微笑んで応じた。
信乃
「もしかして、貴女も武士の出ですか?
あるいは、何か武術の心得があるのでは」
琴子
「えっ。……はい。
私の実家は商家ですが……、実は剣道と、その……薙刀を少々嗜んでおります」
令嬢の護身術というには、琴子の薙刀術は行き過ぎている。
実家を離れる前、しばらく通えないからと最後に行ったお稽古で、ついに道場の師匠からお免状を得たことまでは言わなくていいだろう。
信乃
「呆れるなんてまさか!
貴女の所作がとても美しかったので、きっとそうだろうと思ったんです」
琴子
(美しいって……所作が、よ。
所作の話なんだから)
ただでさえ緊張しているというのに、思わぬ褒め言葉をもらってさらに動揺してしまう。
琴子
(それにしても、仕草を見ただけでわかるなんて。
その刀は飾りではない、ということかしらね)
信乃
「すみません、武道の心得のある女性は少ないので……。
嬉しくて、つい訊いてしまいました」
琴子
「いえ。私もお褒めいただいて光栄ですわ。
……その刀、入学式でも持ち歩くなんて、とても大切なものなのでしょう?」
信乃
「はい。とても……大事なものです。
それに学園にいる間、腕を鈍らせたくなくて。風紀委員に入ろうかと思っているんです」
琴子
「風紀委員というと、先刻、説明をされていた……」
信乃
「ああ、彼女が委員長だと言っていましたね。
風紀委員は校内警備の一環として、魔物討伐をすることがあるそうだから、腕試しにいいと思って」
琴子
(ということは、あの委員長の女性も腕が立つのよね。
すごい……本当にこの学園では、身分も性別も関係ないんだわ)
考えてもみなかった提案をされ、素で驚いた声を出してしまった。
信乃
「はい。風紀委員になれば、専用の鍛錬場を使用することができると先ほどの説明でありました。
そこでなら、薙刀を振るうことも出来ると思う」
父親に社交界と縁談の話を持ち掛けられたとき、武術をやめなければならない日も近いのだと思った。
なにしろ、女性が必要以上に体を動かすことなど、将来の夫にも一般常識的にも望まれていない。
学園入学でそちらの話は消えたが、師匠の下でお稽古を続けられなくなるのは変わらなかった。……だから、最後に、とお免状をいただいたのだ。
しかし、本音では続けたかった。
薙刀は、生まれに関係なく、琴子自身が磨いてやっと獲得したものだから。
琴子
(なるほど……この学園では、性別も生まれも関係ない、のよね)
信乃
「あ、でも危険もあるだろうから……無理に、とは言わないけど」
琴子のしっかりとした返事に、彼は嬉しそうに笑った。
琴子
(あら……笑った顔、可愛いわ。
男の子には失礼かもしれないけど)
信乃
「今度、一緒に見学に行きませんか?
もし良ければ、私と手合せをしてくれたら嬉しい」
琴子
「ええ、よろしくてよ。
ふふ……まるで、ダンスのお誘いのように仰有るのね」
琴子
「分かっています。すみません、つい、からかってしまいました」
信乃
「あー……その手のことは、偶に、よく言われます」
琴子
「そうなのですか?
……ああ、自己紹介がまだでしたね。失礼いたしました。
私、八津瀬琴子、と申します。お見知りおきを」
信乃
「八津瀬琴子さん……?
あれ、もしかして寮で私と相部屋の子?」
……今、聞き間違いでなければあり得ない単語が混ざっていた気がする。
いくら何でも、そんなはずはない。
きっと聞き間違いか、言葉の綾か、さもなくば勘違いだろう。
琴子
「学生寮、ですか?
ええっと、今夜から寮で生活するのでしたね」
信乃
「はい。私、犬塚信乃と言います。
たしか同じ部屋でしたよね?」
琴子
「犬塚信乃さん……。
ええ、確かに学生寮の名簿では、その名前の方が私と相部屋でしたけれど……」
信乃
「やっぱり。
良かった、相部屋が貴女のような人で」
だって、琴子の目の前にいるのは、少し可愛らしいタイプではあるかもしれないが……腰に刀を差した、凛々しい少年だ。
琴子
(まさか、そんな……。
……え? “性別も関係ない”って、そういうこと!?)
信乃
「そうだ、八津瀬さん。
これから三年間、同じ部屋で寝泊りするわけだから、敬語は――」
琴子
「ねっ寝泊り……!?
な、そんな、はしたないっ!!」
日常生活においてなかなか聞き慣れない単語を琴子が大声で発したことにより、周囲の注目が集まる。
……とくに、信乃に対して若干白い視線が浴びせられているようだが、構っている精神的余裕は琴子になかった。
信乃
「ま、待って。
たぶん、いや確実に誤解をしていると――」
困惑顔の信乃を残したまま、琴子は淑女であることも忘れて、荒々しく席を移動したのだった。
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琴子
「……刀を差しづらいから男子制服にした、なんて……。
思い至らないわ……」
信乃
「オリエンテーションの時の話? あの時のことは、もういいって……。
……入学早々、風紀委員の懲罰対象になりかけたのは、かなり思い出深いけど」
学生寮の自室にて、琴子は相部屋の"女子生徒"である信乃と共にくつろいでいた。
琴子
「ええ。
あの後、目を覚ました一条さんが大急ぎで書きあげて、『新入生側の目線から確認をして』って渡してきたの」
信乃
「へえ。懐かしいな……なんだか、ひと月前のこととは思えないよ」
オリエンテーションの数日後、約束通り信乃と琴子は風紀委員へ見学に行き、そろって入部 (会) 届を出した。
今ではお互い、少しずつ仕事に慣れてきたところだ。
鍛錬がてらの手合せもよくしている。
それは実家にいた頃の、道場での試合を思い起こさせた。
程よい緊張感の漂うその時間を、琴子は気に入っていた。
琴子
(男装しているだけあって強いのよね、信乃……。
負けていられないわ)
リディア
「こんばんは、信乃、琴子。
ねえ、アップルパイでも食べない? リヴの実家から大量の林檎が送られてきたのよ」
琴子
「ついこの間、ようやく食べきったと伺いましたけど……」
リディア
「それが、追加でまた来たみたいなのよね……」
琴子
「何だかいつも、ちょうど食べきった頃に次が届きません?」
信乃
「リヴのご実家って、林檎専門の農民だっけ……」
リディア
「いや、農民どころか、どこかの国の王族だって聞いたけど……」
琴子
(本当に、普通に同級生に王族がいるのよね……)
オリエンテーションで話を聞いた時には、そうは言っても王族などそうそう出会うものではないと思っていたのだが……案外チラホラといるらしいから驚きだ。
琴子
(王族なんて、チラホラいるようなものではないと思うわ……。
まったく不思議……を通り越して、謎すぎる学園ね)
琴子
「ええ。せっかくの機会ですし、いただきますわ」
リディア
「了解! じゃあ私たちの部屋で待ってて。
私はジュリエットやローズ達にも声をかけてくるわ」
言うが早いか、リディアは元気に廊下へ去った。
今度は隣の部屋をノックしていているようだ。
琴子
(謎は尽きないけど……楽しいから、いいわよね)