ルシエル=イヴリースは、生まれて初めての状況に困惑していた。
不幸を呼ぶイヴ――いつの頃からそう呼ばれるようになったか、覚えていないくらいに聞き慣れてしまった二つ名のせいで、ルシエルの周りには人が寄りつかない。
たった一人の姉以外、誰もルシエルに近づこうとすらしない。
今までそれが普通、この学園に入学してからも変わらないはずだったのだが……。
突然、見知らぬ女生徒に「ついて来て」と言われて、有無を言わさずこの教室(たしか入口に“風紀委員会”と書いてあった)に連れこまれ……。
今、置き物のように縮こまってパイプ椅子に座る彼女の周りには5人もの女子生徒がいて、ルシエルを置いてけぼりにして会話していた。
ジュリエット
「体育館裏に迷い込んだ魔物を、1人で……」
シエラ
「でも、どうして体育館裏に?
討伐クエスト中の該当エリアは、立ち入り禁止よ」
栞
「じゃあ、あとで送ってあげなきゃね。
……あれ? 澄、今日は登校していたんだ」
リーザ
「ああ、お昼休みの間に来たわよね。……授業には出ていなかったけど」
シエラ
「風紀委員がサボりは問題だけど……まあ休息も必要だったでしょうし、仕方ないわね。見回りの時間に戻って来てくれたのならいいわ。
……リーザ、あなたは手元の書類に集中しなさい」
栞
「で、澄が見回りをしている最中にクエストが発令されて、現場へ急行したら既にこの子が倒したあとだった、と」
ジュリエット
「急に襲われたのに、澄が来る前に返り討ちにしてしまうなんて、さすがだわ」
シエラ
「ジュリエットは知っているの? この子、えーと……」
ルシエル
(すごい。この学園に入学してから、点呼以外で初めて名前を呼ばれたかも)
今までルシエルに関わった人は、姉を除いてみんな不幸に襲われてきた。
この学園でも同じことになってしまうのが怖くて、誰かと親しくなる勇気が持てなかったのだ。
ルシエル
(今日も、誰にも道を訊けなかったし……。
もちろん、いまだに友達ゼロ……)
誰とも話さず、卒業だけを目標にひっそりと日々を過ごしてきた。
むしろ、自分のことを知っている生徒がいたことに驚いているくらいだ。
ジュリエット
「そうそう、ルシエル。1年生の間では有名なのよ」
ルシエル
(気をつけていたのに……まさか、もう不幸の噂が立っているの!?)
リーザ
「だって、澄はまず学園にいることが少ないもの……。
大丈夫なの? 授業」
澄
「ええ、今のところは。
……どうも昼は眠いのよね」
栞
「まあ、澄は真面目だから心配していないけどね。
それより、リーザは口よりもその始末書が先よ」
内容いかんでは、今まで以上に周囲との距離感に(物理的にも精神的にも)気をつけなければならない。
聞きながら、ルシエルは座ったまま少しずつパイプ椅子ごと後ずさった。ついでに横目に退路 (教室のドア) も確認しておく。
ルシエル
(『すみませんでした! 今すぐ帰りますのでご安心を! さようなら!』と言って立ち去ろう。
うん、それがいい)
ジュリエット
「だってルシエル、私達1年生の筆記試験で首席だったでしょう?」
澄
「首席か……1年生の中ではジュリエットや琴子も頭がいいけれど、それ以上ということよね。すごいわ」
リーザ
「琴子なら先刻見回りに行ったわよ。信乃も一緒に」
澄
「私が報告のために見回りを抜けてこの子を連れてきたから、代わりに行ってもらったわ。
それよりリーザ……」
澄
「察するに……あなたの隣にあるその、机だったものらしき残骸ね?」
シエラ
「……で、ルシエルは学年首席のうえ、魔物を1人で倒せるくらい実技も得意、と」
褒め言葉に慣れていないルシエルは、照れ隠しにずれてしまったパイプ椅子の位置を元に戻しながら、聞かれてもいないのに口を開いた。
ルシエル
「えっと、実は私、卒業後は士官を希望していまして、そのために鍛錬を……」
ルシエル
(話しかけられるだけでなく、こんなに褒めてもらえるなんて……。
今日は入学して以来最高の日だわ。夢じゃないかしら)
ジュリエット
「私、あなたと一度お話ししてみたかったの」
リーザ
「ところでルシエルって、どこか所属している委員会や部活はある?」
ルシエル
「はい、あっ、いいえ。
近寄らないようにしていたので、どこにも入っていなくて……」
リーザ
「あー、生徒会には3年生と2年生の首席がいるんだっけ」
ジュリエット
「そういうわけだから、これからよろしくね。ルシエル」
シエラ
「通常、新しい委員には基礎体力をつけるためのトレーニングから入ってもらうけど、それは必要ないわね」
リーザ
「そうだ、あとで他のメンバーも紹介しなきゃ」
ジュリエット
「そうそう、先刻から言おうと思っていたの。
この学園は年齢と学年が対応していないから、敬語は必要ないのよ。
もちろん、私たち風紀委員会でもそういった上下関係はないわ」
栞
「うん、ジュリエットの言う通り。
はい、これ入部届」