入学してからというもの、千影はある理由により、授業が終わると頻繁に街へ出かけていた。
学園生は基本的に学生寮へ入るので、敷地内から出なくとも生活することができる。
だが、放課後の行動に制限があるわけではなく、生徒は自由に街へ遊びに行ったり外泊したりできるようになっていた。
ただしセキュリティ上の問題から、寮の入り口が施錠される時間までには帰らねばならない。……いわゆる、門限というやつだ。
そして今日。すっかり暗くなってしまった夜道を、千影は学生寮に向かって急いでいた。
千影
(門限……過ぎてるのよね。
もう、惟さんが起こしてくれてたらよかったのに)
先程まで会っていた友人には、今度会ったら愚痴を言わせてもらおう、と決意する。
だが今はそれどころではない。
外泊する宛てがない以上、なんとしても寮に帰り着かねばならない。
千影
(もし門限を過ぎても、寮長に連絡すればあけてもらえる、とは聞いているけど……。
でもそんなことをしたら、光の宮にご迷惑がかかってしまうわ。
それは絶対にできない)
千影
(門限ってそんなに厳格なのかしら? 施錠までに10分くらいは余裕があったり……しない?)
淡い期待をもちながら、千影はようやく学生寮の建物へ辿り着いた。
千影
(こ、これは……野宿なの!? 野宿するしかないの!?
でも夜は魔物が出るかもしれないし……)
魔物が出るかもしれないので遠くには行きたくない。しかし、寮の近くにいて誰かに見られるのも避けたい。
いつまでもここにいては、それこそ誰かに見つかってしまう。
門限に遅れて怒られる、なんてことになれば、間違いなく千影の主人である光の宮の恥になる。
千影がおろおろと行ったり来たりを繰り返していた時……。
アイリーン
「そこのあなた、止まりなさい! 風紀委員よ!」
恐る恐る後ろを振り向く。
千影の背後の暗がりから、見知らぬ女生徒が姿を現す所だった。
アイリーン
「門限をやぶったうえ、堂々と正面から入ろうとは、いい度胸だわ」
アイリーン
「さあ、生徒手帳を出して、学年と名前を。
所属している組織があるならそれも答えなさい。
明日、風紀委員室へ来てもらうわ」
千影
(風紀委員……って確か、警備のために校内を見回りしているのよね。ああ、運の悪い……)
学年と名前を、と言われても……往生際が悪いとは思うが答えるのは気が進まない。
千影
(偽名を答える、とか? いや、生徒手帳を見ればすぐにバレるわ。
もう隙をついて逃げるしか……)
しかし、校内警備を担当する風紀委員は皆、普段から鍛錬をしているらしいから、千影の足ではすぐに追いつかれてしまう気もする。
逡巡する千影に、風紀委員の女生徒が追い打ちをかける。
アイリーン
「ふ、まあ、名前はもう分かっているんだけどね」
千影
(なんで!? 風紀委員って、全生徒の顔と名前を覚えてる、とか!?)
とくだん成績が良くもなく、運動ができるわけでもなく、逆に問題児というわけでもない(今、問題を起こしているが)。
風紀委員に目を付けられる覚えはないのだが……。
そんな反応がまた予想と違ったらしく、風紀の生徒も、怪訝そうな顔をした。
アイリーン
「あら、違った?
……おかしいな、先刻、街で一緒にいた女の子があなたをそう呼んでいなかった?」
千影
「ちょっと待ってください。
見回り中の風紀委員が街になんて行っていいんですか!?」
アイリーン
「あ、バレた? 大丈夫よ、私、風紀委員じゃないから。
あなたと同じ、門限やぶりよ」
アイリーン
「とまあ、茶番はこれくらいにして……。
それより、誰かに見つかる前に寮に戻りましょう。こっちよ」
混乱する千影の手をとり、風紀委員……ではなかったらしい女生徒は、正面玄関から少し離れた所にある1階の裏口の前まで連れて行った。
アイリーン
「私、門限を過ぎたときは、ここから入ることにしているのよ」
千影
(えっ、風紀委員どころか……この人、常習犯?)
千影
「ええっと……あらかじめ鍵を開けておくのですか?」
アイリーン
「いいえ、それだと寮長と副寮長に見つかるわ。施錠前に戸締りを確認しているから……。
几帳面な子でね、開いているドアなんて絶対に見逃さないのよ。……だから」
そう言って彼女はドアノブの前に立ち、少し屈んで何かを始めた。カチカチと、金属の触れ合う音がする。
後ろにいる千影からは手元がよく見えなかったので、横から覗き込もうと移動した。
しかしその作業はものの数秒で終わったようで、すぐに彼女は顔を上げ、手に残った金属を制服のポケットにしまった。
アイリーン
「普通の鍵開けよ。大したことじゃないわ」
ドアに耳を寄せて少々気配をうかがったのち、「大丈夫そうね」と頷いて彼女はあっさりとドアノブをまわした。
寮内から話し声が聞こえてくるものの、裏口から見通せる1階の廊下には、今は誰もいないようだ。
アイリーン
「さて、自分の部屋はわかるわよね。
えっと、千影……でいいの?」
千影
「ええ。
……あ、はい! そう、私、千影。千影と言います!」
アイリーン
「? わかったけど……。
ねえ、そういえば街で――」
千影
「そ、それじゃあ、私は部屋に戻りますね!
どなたか存じ上げませんが、ありがとうございました! さようなら!」
千影
(色々とバレないうちに……ここは逃げるが勝ち!)
言うが早いか、千影はさっと建物に入り、まだ何か言いたげな共犯者を置いて脱兎のごとく自分の部屋へ逃げ帰ったのだった。
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ウェンディ
「すぐに寮の裏口の鍵を、ピッキング対策済みのものに交換する必要があることはわかったわ」
アリシア
「いえ、わかるわ。
『風紀委員よ!』は、私が一度言ってみたいセリフリストにも入っているもの」
ウェンディ
「言っておくけど、アリシアにも後で話を聞かせてもらうわよ。
あなたたちは同室なんだから、アイリーンの門限やぶり常套手段は知っていたはずよね」
アイリーンは意味ありげに、この教室で1人だけ所在無さそうにしている千影の方を見た。
アイリーン
「今日、1年生の教室から連行――失礼、ご招待して来てもらったこの子……。
どうやら”千影”というのはあだ名で、生徒名簿によると“光”というのが本名みたいなのよね」
アリシア
「ああ! "光"という子なら聞いたことがあるわ。
今年の1年生はかなりハイレベルと聞くけど、その中でも和風No.1美少女との呼び声が高い子よね」
ウェンディ
「どこの情報よ……。
……それで? 連れてきてどうするの?」
アイリーン
「ええ、千影には、生徒会の一員になってもらおうと」
千影
(……というか、あだ名って何!?
あ、いや待って、それより生徒会!?)
アリシア
「えっ、今さら? ここの入口に生徒会室って書いてなかった?」
憂
「……そりゃ、生徒会メンバーが夜な夜な盗賊まがいのことをしているとは思わないわよね」
ウェンディ
「それに……、制服の襟が白いでしょう?
1年生だから知らなかったのだと思うけど、生徒会の幹部は、伝統的に白い制服を着ることになっているのよ」
千影
(襟の白い制服……って、私以外ここにいる人全員!?)
千影
「で、でも、どうして私が生徒会に……、わ!?」
急に肩を引き寄せられた千影は、そのまま後ろ向かされ、内緒話をするように囁かれた。
アイリーン
「……あなた、人を探しているんですって?」
アイリーン
「ふふ……内緒の話をする時は、周りをよく見ないと駄目よ。
それ以前に、あなたもあなたのお友達も声大きすぎ……」
千影
「……街で、私たちの会話を聞いていたのですね」
アイリーン
「探し人が、ここの生徒とは思わなかったけどね。
……もし、生徒会に入ってくれたら、手伝うわよ」
アイリーン
「生徒会には情報のコネが利く人も多いし、私にも当てがあるわ。
それにあなたがこれからも情報収集のために夜抜け出すのを、手伝ってあげることもできる」
私が抜けだすついでだけれど、とアイリーンは続けた。
アイリーン
「学園の生徒がすり替わっている、なんて事態をもみ消せる組織は生徒会だけだから、拒否権はないと思うけど?
退学になったら大変だものね、”光の宮”――あなたのご主人様」
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2人のヒソヒソ話を、他のメンバーは少し離れて見守っていた。
憂
「というか会話、ばっちり聞こえちゃっているけどいいの?」
ウェンディ
「アイリーンはわざとでしょう。
……きっと、あの1年生のこと心配しているのよ。一応、生徒会副会長だもの」
アリシア
「しかし人探しか……面白そうね。私も協力しようかしら。
とは言っても、アイリーンの裏世界へのコネクションには及ばないでしょうけど」
憂
「情報屋なら私にも心当たりがあるから、聞いてみるわ。
……妖関連の失踪かもしれないし」
アリシア
「でも新しいメンバーは歓迎だわ。
……ふふ、千影とリヴがいれば今年のミスコンは生徒会がもらったも同然ね」
憂
「去年は、お茶会部だったっけ。私と同じ学年の金髪の……」
ウェンディ
「ミスコンはともかく、生徒会に入ってくれるのであれば歓迎するわ」
憂
「イレギュラーな勧誘だから、ウェンディは反対するかと思っていたわ」
ウェンディ
「幹部にしろ、この前入ったリヴやローズにしろ……、今の生徒会にはプリンセスだの姫様だの女王だのが多すぎるのよ。
もっとサポート側の人材が必要だわ。
……あの子からは、常識人の臭いがする」