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文字数 2,668文字
夢はなにかって?
いつか一人旅をすることだよ。
別に、きみとの生活にそれほど不満があるわけじゃないけれど、やっぱりいずれは自分の足で、世界を歩き回ってみたいと思ってる。
世界は広いっていうだろ? せっかく生まれてきたんだもの。いろんな景色を見たいと思うのは当然でしょう? そうだな。特に、北の方に行ってみたいと思ってる。
きみは特に面白くもなさそうに、「そりゃまたなんで」と呟いて、両手に鎖を握りしめたまま、膝を曲げたり伸ばしたりしてブランコを揺らした。
キィコキィコと鎖を鳴かせるきみは、自分で質問しておいたくせに、もう話に興味を失ったようで、ブランコに没頭していってしまう。
せっかく真剣に話しているのに。
きみはいつもそうやって、言葉をやり取りしてる途中で、決まってどこかへ放り捨ててしまうので、まじめに話そうと思うのが、馬鹿らしくなってしまう。
「わかったよ」
ときみは肩を竦めて、
「興味深いので知りたいなあ」
と棒読みした。
それはね。北の方には、一日中暗くならない土地があるそうなんだ。
夜になっても太陽が沈まない、ちょっと不思議な場所なんだって。
光が絶えないなんて、これ以上の喜びはないだろ?
そこに行って、他の奴らと、ちょっと一杯やりながら、一晩中気ままに語り合ったり、ダンスを踊ったりして暮らすんだ。
「お酒、飲むのか?」
うん。やってみたい。
「おれ飲めないぞ」
別にきみに飲んでもらわなくてもいい。一人旅の話なんだから。
「おまえだけでそんなこと、できるわけないだろ」
人の夢をバカにしてはいけないって、教わらなかった? すぐに話を茶化すのは、きみの悪い癖だ。
あまりそんな意地悪ばかり言っていると、そのうち影もいやになって家出してしまって、きみは明るいところを歩けなくなる。
きみは頭を掻いて、「わかったよ」とまた言うと、ブランコをこいで、振り子のように揺れた。
板に座ったきみの足のうらが、ブランコに合わせてゆったりと揺れる。
きみの身体のなかで、いちばん気に入っているのは足のうらなんだ。たぶん、いちばんふれあっているからじゃないだろうか。きみが立っているときは、いつもきみの足のうらとふれあっているから。
ブランコの一番高いところでは、遥か地平線の向こうに向けられてしまって、このときばかりはきみの足のうらも、身近な存在ではなくなってしまう。
揺れるきみの身体に合わせて動きながら、空ときみばかりを見ている。
「なんか、それは愛の言葉っぽくてやだな」きみは文句を言う。
仕方ないじゃないか。実際、きみの姿ばかり見えている。
文句を言うなら、たまには影の視界からのいてほしい。
「知らないよ。おまえがついてくるのがいけないんだろ」
仕方ないじゃないか。
「たまにはひとりで別のものを見に行ってみてもいいんじゃねえの」
またきみは意地悪を言う。
きみがいなかったら、困ってしまう。
「一人旅するとか言ったじゃんか」
いつかの話だ。それに、きみに倣って言っただけだ。
家を出て世界を歩くロマンを、味わってみたいんだ。影は真似をするものだから。
「別におれはロマンでここにいるわけじゃないんだけどなあ」
困ったような笑いを浮かべて、きみはブランコをこぐ。
きみの着ているカーディガンの両端には、荷札が一枚ずつ括られていて、ブランコにあわせて揺れている。荷札には宛先の名前と住所が記されている。一枚はきみのお母さんのもので、一枚はきみのお父さんのものだ。
昨日、木下さんが帰ってしまうと、お母さんはきみに荷札を括って、お父さんのマンションへ送った。電車とバスを乗り継いで、きみがお父さんのマンションへきみを配達すると、出てきたお父さんはきみに荷札を括って、お母さんの家へ送り返した。
どこへ届ければいいんだろう? 迷ったきみは郵便局へ行って、受け取ってもらえない郵便物はどうなるのか尋ねた。
受付のおじいさんは親切な人で、勉強偉いねときみの頭を撫でると、しばらくとっておいて、取りに来なかったら処分するんだよとにっこり笑った。
それできみは、きみをしばらくとっておくことにして、公園でブランコを揺らしている。
「さて、と」
きみはブランコの勢いを弱めると、ぽおんと飛び降りて地面に着地した。いつものように、きみの足の裏に吸いつくように合わさって、影も地面に着地する。いや、ずっと地面にいたわけだけれど。
きみは頭の後ろで両手を組んで、じっと遠くの方を見ている。公園は小高い丘の上にあって、すごく見晴らしがいいのだと、きみは昨日得意げに話していた。
何が見えるの?
「家がたくさん見えるぞ。ビルとかもな。あっちに電車が走ってる」
ふうん。
たくさんって、どのくらい?
「たくさんだよ。百とか、二百とか。たくさん」
影を馬鹿にするのは良くない。
家はとても大きなものだから、百や二百の家を一度に見るなんてできないはずだ。
「いや、見えるよ。家も小さいんだ、この距離だったら。もうすぐ夕暮れか?」
きみは頭上を仰がずにそう問いかける。
きみと空を見上げるのは、影の役目だ。見上げるのは影で、見下ろすのはきみ。いい加減なきみだが、このルールだけはしっかり守ってくれる。
空は薄紫色に染まっていて、うん、もうすぐ夕暮れの色だ。
「だろう。暗くなってきたからな、いろんな家や店の軒先が、ピカピカ光りだしたんだ。イルミネーション。もうすぐクリスマスだから豪勢だぜ。赤や青に光って……綺麗だぜえ、すごく」
きみはにやにや笑ってそう言うと、綺麗だ綺麗だと頷いてみせる。見れない影を不機嫌にしてやろうというきみの魂胆なのだが、そんな見え透いた手には乗ってやらない。
「今日も街に行きたいか?」
うん。もちろん。
明るいところに行きたいんだ。夜の闇に溶けたまま、眠っているなんてつまらない。街の影たちは眠らないそうだ。限りある人生、活動的にいきたいものだ。
「じゃあ行くか。ちょっと買い物に行くだけだけどな」
きみはうきうきした様子でポケットから財布を取り出し、中身を確かめている。陽が沈みきらないうちに、早く、早く。
イルミネーションというのを見てみたいんだ。
暗くならないと出てこない奴らなんて、ちょっとわかりあえなさそうだけれどね。
いつか一人旅をすることだよ。
別に、きみとの生活にそれほど不満があるわけじゃないけれど、やっぱりいずれは自分の足で、世界を歩き回ってみたいと思ってる。
世界は広いっていうだろ? せっかく生まれてきたんだもの。いろんな景色を見たいと思うのは当然でしょう? そうだな。特に、北の方に行ってみたいと思ってる。
きみは特に面白くもなさそうに、「そりゃまたなんで」と呟いて、両手に鎖を握りしめたまま、膝を曲げたり伸ばしたりしてブランコを揺らした。
キィコキィコと鎖を鳴かせるきみは、自分で質問しておいたくせに、もう話に興味を失ったようで、ブランコに没頭していってしまう。
せっかく真剣に話しているのに。
きみはいつもそうやって、言葉をやり取りしてる途中で、決まってどこかへ放り捨ててしまうので、まじめに話そうと思うのが、馬鹿らしくなってしまう。
「わかったよ」
ときみは肩を竦めて、
「興味深いので知りたいなあ」
と棒読みした。
それはね。北の方には、一日中暗くならない土地があるそうなんだ。
夜になっても太陽が沈まない、ちょっと不思議な場所なんだって。
光が絶えないなんて、これ以上の喜びはないだろ?
そこに行って、他の奴らと、ちょっと一杯やりながら、一晩中気ままに語り合ったり、ダンスを踊ったりして暮らすんだ。
「お酒、飲むのか?」
うん。やってみたい。
「おれ飲めないぞ」
別にきみに飲んでもらわなくてもいい。一人旅の話なんだから。
「おまえだけでそんなこと、できるわけないだろ」
人の夢をバカにしてはいけないって、教わらなかった? すぐに話を茶化すのは、きみの悪い癖だ。
あまりそんな意地悪ばかり言っていると、そのうち影もいやになって家出してしまって、きみは明るいところを歩けなくなる。
きみは頭を掻いて、「わかったよ」とまた言うと、ブランコをこいで、振り子のように揺れた。
板に座ったきみの足のうらが、ブランコに合わせてゆったりと揺れる。
きみの身体のなかで、いちばん気に入っているのは足のうらなんだ。たぶん、いちばんふれあっているからじゃないだろうか。きみが立っているときは、いつもきみの足のうらとふれあっているから。
ブランコの一番高いところでは、遥か地平線の向こうに向けられてしまって、このときばかりはきみの足のうらも、身近な存在ではなくなってしまう。
揺れるきみの身体に合わせて動きながら、空ときみばかりを見ている。
「なんか、それは愛の言葉っぽくてやだな」きみは文句を言う。
仕方ないじゃないか。実際、きみの姿ばかり見えている。
文句を言うなら、たまには影の視界からのいてほしい。
「知らないよ。おまえがついてくるのがいけないんだろ」
仕方ないじゃないか。
「たまにはひとりで別のものを見に行ってみてもいいんじゃねえの」
またきみは意地悪を言う。
きみがいなかったら、困ってしまう。
「一人旅するとか言ったじゃんか」
いつかの話だ。それに、きみに倣って言っただけだ。
家を出て世界を歩くロマンを、味わってみたいんだ。影は真似をするものだから。
「別におれはロマンでここにいるわけじゃないんだけどなあ」
困ったような笑いを浮かべて、きみはブランコをこぐ。
きみの着ているカーディガンの両端には、荷札が一枚ずつ括られていて、ブランコにあわせて揺れている。荷札には宛先の名前と住所が記されている。一枚はきみのお母さんのもので、一枚はきみのお父さんのものだ。
昨日、木下さんが帰ってしまうと、お母さんはきみに荷札を括って、お父さんのマンションへ送った。電車とバスを乗り継いで、きみがお父さんのマンションへきみを配達すると、出てきたお父さんはきみに荷札を括って、お母さんの家へ送り返した。
どこへ届ければいいんだろう? 迷ったきみは郵便局へ行って、受け取ってもらえない郵便物はどうなるのか尋ねた。
受付のおじいさんは親切な人で、勉強偉いねときみの頭を撫でると、しばらくとっておいて、取りに来なかったら処分するんだよとにっこり笑った。
それできみは、きみをしばらくとっておくことにして、公園でブランコを揺らしている。
「さて、と」
きみはブランコの勢いを弱めると、ぽおんと飛び降りて地面に着地した。いつものように、きみの足の裏に吸いつくように合わさって、影も地面に着地する。いや、ずっと地面にいたわけだけれど。
きみは頭の後ろで両手を組んで、じっと遠くの方を見ている。公園は小高い丘の上にあって、すごく見晴らしがいいのだと、きみは昨日得意げに話していた。
何が見えるの?
「家がたくさん見えるぞ。ビルとかもな。あっちに電車が走ってる」
ふうん。
たくさんって、どのくらい?
「たくさんだよ。百とか、二百とか。たくさん」
影を馬鹿にするのは良くない。
家はとても大きなものだから、百や二百の家を一度に見るなんてできないはずだ。
「いや、見えるよ。家も小さいんだ、この距離だったら。もうすぐ夕暮れか?」
きみは頭上を仰がずにそう問いかける。
きみと空を見上げるのは、影の役目だ。見上げるのは影で、見下ろすのはきみ。いい加減なきみだが、このルールだけはしっかり守ってくれる。
空は薄紫色に染まっていて、うん、もうすぐ夕暮れの色だ。
「だろう。暗くなってきたからな、いろんな家や店の軒先が、ピカピカ光りだしたんだ。イルミネーション。もうすぐクリスマスだから豪勢だぜ。赤や青に光って……綺麗だぜえ、すごく」
きみはにやにや笑ってそう言うと、綺麗だ綺麗だと頷いてみせる。見れない影を不機嫌にしてやろうというきみの魂胆なのだが、そんな見え透いた手には乗ってやらない。
「今日も街に行きたいか?」
うん。もちろん。
明るいところに行きたいんだ。夜の闇に溶けたまま、眠っているなんてつまらない。街の影たちは眠らないそうだ。限りある人生、活動的にいきたいものだ。
「じゃあ行くか。ちょっと買い物に行くだけだけどな」
きみはうきうきした様子でポケットから財布を取り出し、中身を確かめている。陽が沈みきらないうちに、早く、早く。
イルミネーションというのを見てみたいんだ。
暗くならないと出てこない奴らなんて、ちょっとわかりあえなさそうだけれどね。