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文字数 2,216文字

 クリスマスイブの夜は雪が降った。
 白い雪がひらひらと、並んだ屋根やビルたちをすっぽりと覆い隠していく。
 丘の上から見下ろす街は、雪化粧のなかでぴかぴかぴかぴか。

 きみは、サンタを待っている。
 公園のトイレの便座の上で、膝を抱えて、丸まったまま。
 きみの願いを叶えてくれる赤い服の太ったおじいさんを、いまかいまかと待ち受けている。

 外はもうすっかり陽が暮れた。
 お手洗いの入り口にはランタンが提げられ、小さな炎をゆらゆらと揺らして、きみのいる場所の目印になっている。

 街には行かないの?

「…………」

 火はつけないの?
 やっぱりランタンだけじゃ、みつけにくいんじゃないかなあ。

「…………」

 きみは返事をしない。
 虚ろな目で宙を見据えている。

 冷たい風が衝立の隙間から忍び込んできて、きみは身を竦める。
 うつむいていた顔を上げると、トイレのドアを開けた。
 手洗いの蛇口に口をつけ水を飲んだ。昨日からきみは、ご飯を食べてない。

 きみは何度目か、お手洗いの入口に掲げられたランタンを確認する。
 ちろちろと硝子の中で揺らめく火を見て、それからぼんやりと空を見上げる。
 真っ暗闇の中、どこから生まれるのか、次々に降りてくる雪がきみの鼻の上に乗る。

 きみは街へ降りることにする。
 ランタンを左手に提げて、カーディガンに括りつけられた二つの荷札をゆらゆらと揺らしながら、世界に一つしかない灯火を捧げ持つ小さな聖者のように、真っ暗闇の道を下りていく。

 街は光と音楽と笑い声であふれていた。
 あちこちの店先から、陽気なジングルベルのBGMが流れる。
 鈴の音が鳴る。
 ぴかぴかぴかぴかイルミネーションが踊る。
 七面鳥の焼ける香ばしい匂い。
 甘いクッキーの匂い。
 通りの両脇に並んだ家々の、ぴったりと閉め切った窓という窓から、きみが通りがかるたびに聞こえる幸せそうな笑い声は、ママ。パパ。ママ。パパ。
 愛してるよ。
 愛してるよ。
 愛してるよ。

 きみはうつむいて、じっと地面を見下ろしている。
 見下ろされ、影は地面の奥の方から、じっときみを見上げている。

 ねえ、はやく。
 燃やしてしまおうよ。

「…………」

 呼びかけても、きみは応えてくれない。

 ねえ。もういいだろ。
 わかってるだろ。
 
 きみは窓の向こうには入れないんだ。

 こんな世界、覗き込むのなんてバカげてる。
 きみは広い世界なんか行けないんだ。
 他の奴らと気ままに語り合ったり、トランプしたり、キャンディ舐めたりして暮らすことなんて、できないんだ。

 サンタ、来ないよ。
 どうせ、窓の向こうに住んでる子にしか、来ない奴なんだ。きみのところになんか来るもんか。
 女の子も、もう窓を開けてくれないよ。
 ママとパパが仲良くなったから、もうきみのことなんて忘れてしまったよ。

 もういいよ。
 こんなの、どうだっていいじゃない。
 燃やしてしまおうよ。
 明るくなるよ。暖かくなるよ。
 炎で一面明々と照らして、みんなでダンスパーティをしようよ。

 きみはポッケから、マッチ箱を取り出す。
 かじかんだ手にのった小箱を、じっと見つめる。
 明るさと暖かさを灯す小さな箱。
 見つめるきみの髪に、肩に、雪がひらひら舞い下りていく。

 きみは、女の子の家の門をくぐる。
 右手にマッチの小箱をぎゅっと握りしめ、表情もなく歩いていく。
 灯りの漏れた窓のそばに歩み寄ったきみは、怒鳴り声を聞いて身を竦めた。
 息をひそめて硝子に身を寄せ、窓の向こうを覗き込む。

 また怒鳴り声がした。お父さんの怒りの声だ。
 続いて金切り声がした。お母さんの涙まじりの声だ。
 窓の向こうの女の子の背中は、呆然と立ち尽くしたまま動かない。

 なんだ。
 お願いごと、まだ叶ってなかったんだ。クリスマスイブ、今日だものね。
 食器の割れる音がする。
 お母さんの悲鳴がする。
 何かを打ちつける音。叩く音。
 きみの聞き慣れた、馴染み深い音。

 きみは身を乗り出して、窓の向こうを覗き込む。
 息をつめて、ぎゅっと拳を握りしめて、額を硝子に押し付けて、一心に。

 女の子の泣き声がした。

 きみは、はっと息を呑む。
 弾かれるように窓から身を離した。
 窓の向こうに映り込んだものを、目を見開いて覗き込みながら。

 何が見えるの?

 きみは走り出す。背中を向けると、一目散に。
 きみは逃げる。
 逃げる逃げる。
 右手でマッチ箱を握りしめて、左手で目元を乱暴にこすりつけながら。
 逃げるきみに、影はついていく。
 おいてかないで。おいてかないでよ。

 きみは凍りついた雪に足を滑らせて転んだ。
 影も一緒に転んでしまって、二人で雪の上に横になる。
 ランタンの火が消えてしまって、月明かりが雪面を照らすだけ。
 明かりが足りないので影はこのとおりぼんやりしてしまって、ちょっと眠くなる。ふわあ。

 きみも、同じみたい。

 雪の上に横になったまま、きみはとろんとまぶたを下ろしかけている。
 横たわったきみの身体を、ひらひらひらひら、雪が舞い降りて隠そうとしてる。

 眠いの?

 きみはちょっと迷ってから、頷いた。

 じゃあ、眠ろうか。
 おやすみ。

「……おやすみ」
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