4-1
文字数 2,216文字
クリスマスイブの夜は雪が降った。
白い雪がひらひらと、並んだ屋根やビルたちをすっぽりと覆い隠していく。
丘の上から見下ろす街は、雪化粧のなかでぴかぴかぴかぴか。
きみは、サンタを待っている。
公園のトイレの便座の上で、膝を抱えて、丸まったまま。
きみの願いを叶えてくれる赤い服の太ったおじいさんを、いまかいまかと待ち受けている。
外はもうすっかり陽が暮れた。
お手洗いの入り口にはランタンが提げられ、小さな炎をゆらゆらと揺らして、きみのいる場所の目印になっている。
街には行かないの?
「…………」
火はつけないの?
やっぱりランタンだけじゃ、みつけにくいんじゃないかなあ。
「…………」
きみは返事をしない。
虚ろな目で宙を見据えている。
冷たい風が衝立の隙間から忍び込んできて、きみは身を竦める。
うつむいていた顔を上げると、トイレのドアを開けた。
手洗いの蛇口に口をつけ水を飲んだ。昨日からきみは、ご飯を食べてない。
きみは何度目か、お手洗いの入口に掲げられたランタンを確認する。
ちろちろと硝子の中で揺らめく火を見て、それからぼんやりと空を見上げる。
真っ暗闇の中、どこから生まれるのか、次々に降りてくる雪がきみの鼻の上に乗る。
きみは街へ降りることにする。
ランタンを左手に提げて、カーディガンに括りつけられた二つの荷札をゆらゆらと揺らしながら、世界に一つしかない灯火を捧げ持つ小さな聖者のように、真っ暗闇の道を下りていく。
街は光と音楽と笑い声であふれていた。
あちこちの店先から、陽気なジングルベルのBGMが流れる。
鈴の音が鳴る。
ぴかぴかぴかぴかイルミネーションが踊る。
七面鳥の焼ける香ばしい匂い。
甘いクッキーの匂い。
通りの両脇に並んだ家々の、ぴったりと閉め切った窓という窓から、きみが通りがかるたびに聞こえる幸せそうな笑い声は、ママ。パパ。ママ。パパ。
愛してるよ。
愛してるよ。
愛してるよ。
きみはうつむいて、じっと地面を見下ろしている。
見下ろされ、影は地面の奥の方から、じっときみを見上げている。
ねえ、はやく。
燃やしてしまおうよ。
「…………」
呼びかけても、きみは応えてくれない。
ねえ。もういいだろ。
わかってるだろ。
きみは窓の向こうには入れないんだ。
こんな世界、覗き込むのなんてバカげてる。
きみは広い世界なんか行けないんだ。
他の奴らと気ままに語り合ったり、トランプしたり、キャンディ舐めたりして暮らすことなんて、できないんだ。
サンタ、来ないよ。
どうせ、窓の向こうに住んでる子にしか、来ない奴なんだ。きみのところになんか来るもんか。
女の子も、もう窓を開けてくれないよ。
ママとパパが仲良くなったから、もうきみのことなんて忘れてしまったよ。
もういいよ。
こんなの、どうだっていいじゃない。
燃やしてしまおうよ。
明るくなるよ。暖かくなるよ。
炎で一面明々と照らして、みんなでダンスパーティをしようよ。
きみはポッケから、マッチ箱を取り出す。
かじかんだ手にのった小箱を、じっと見つめる。
明るさと暖かさを灯す小さな箱。
見つめるきみの髪に、肩に、雪がひらひら舞い下りていく。
きみは、女の子の家の門をくぐる。
右手にマッチの小箱をぎゅっと握りしめ、表情もなく歩いていく。
灯りの漏れた窓のそばに歩み寄ったきみは、怒鳴り声を聞いて身を竦めた。
息をひそめて硝子に身を寄せ、窓の向こうを覗き込む。
また怒鳴り声がした。お父さんの怒りの声だ。
続いて金切り声がした。お母さんの涙まじりの声だ。
窓の向こうの女の子の背中は、呆然と立ち尽くしたまま動かない。
なんだ。
お願いごと、まだ叶ってなかったんだ。クリスマスイブ、今日だものね。
食器の割れる音がする。
お母さんの悲鳴がする。
何かを打ちつける音。叩く音。
きみの聞き慣れた、馴染み深い音。
きみは身を乗り出して、窓の向こうを覗き込む。
息をつめて、ぎゅっと拳を握りしめて、額を硝子に押し付けて、一心に。
女の子の泣き声がした。
きみは、はっと息を呑む。
弾かれるように窓から身を離した。
窓の向こうに映り込んだものを、目を見開いて覗き込みながら。
何が見えるの?
きみは走り出す。背中を向けると、一目散に。
きみは逃げる。
逃げる逃げる。
右手でマッチ箱を握りしめて、左手で目元を乱暴にこすりつけながら。
逃げるきみに、影はついていく。
おいてかないで。おいてかないでよ。
きみは凍りついた雪に足を滑らせて転んだ。
影も一緒に転んでしまって、二人で雪の上に横になる。
ランタンの火が消えてしまって、月明かりが雪面を照らすだけ。
明かりが足りないので影はこのとおりぼんやりしてしまって、ちょっと眠くなる。ふわあ。
きみも、同じみたい。
雪の上に横になったまま、きみはとろんとまぶたを下ろしかけている。
横たわったきみの身体を、ひらひらひらひら、雪が舞い降りて隠そうとしてる。
眠いの?
きみはちょっと迷ってから、頷いた。
じゃあ、眠ろうか。
おやすみ。
「……おやすみ」
白い雪がひらひらと、並んだ屋根やビルたちをすっぽりと覆い隠していく。
丘の上から見下ろす街は、雪化粧のなかでぴかぴかぴかぴか。
きみは、サンタを待っている。
公園のトイレの便座の上で、膝を抱えて、丸まったまま。
きみの願いを叶えてくれる赤い服の太ったおじいさんを、いまかいまかと待ち受けている。
外はもうすっかり陽が暮れた。
お手洗いの入り口にはランタンが提げられ、小さな炎をゆらゆらと揺らして、きみのいる場所の目印になっている。
街には行かないの?
「…………」
火はつけないの?
やっぱりランタンだけじゃ、みつけにくいんじゃないかなあ。
「…………」
きみは返事をしない。
虚ろな目で宙を見据えている。
冷たい風が衝立の隙間から忍び込んできて、きみは身を竦める。
うつむいていた顔を上げると、トイレのドアを開けた。
手洗いの蛇口に口をつけ水を飲んだ。昨日からきみは、ご飯を食べてない。
きみは何度目か、お手洗いの入口に掲げられたランタンを確認する。
ちろちろと硝子の中で揺らめく火を見て、それからぼんやりと空を見上げる。
真っ暗闇の中、どこから生まれるのか、次々に降りてくる雪がきみの鼻の上に乗る。
きみは街へ降りることにする。
ランタンを左手に提げて、カーディガンに括りつけられた二つの荷札をゆらゆらと揺らしながら、世界に一つしかない灯火を捧げ持つ小さな聖者のように、真っ暗闇の道を下りていく。
街は光と音楽と笑い声であふれていた。
あちこちの店先から、陽気なジングルベルのBGMが流れる。
鈴の音が鳴る。
ぴかぴかぴかぴかイルミネーションが踊る。
七面鳥の焼ける香ばしい匂い。
甘いクッキーの匂い。
通りの両脇に並んだ家々の、ぴったりと閉め切った窓という窓から、きみが通りがかるたびに聞こえる幸せそうな笑い声は、ママ。パパ。ママ。パパ。
愛してるよ。
愛してるよ。
愛してるよ。
きみはうつむいて、じっと地面を見下ろしている。
見下ろされ、影は地面の奥の方から、じっときみを見上げている。
ねえ、はやく。
燃やしてしまおうよ。
「…………」
呼びかけても、きみは応えてくれない。
ねえ。もういいだろ。
わかってるだろ。
きみは窓の向こうには入れないんだ。
こんな世界、覗き込むのなんてバカげてる。
きみは広い世界なんか行けないんだ。
他の奴らと気ままに語り合ったり、トランプしたり、キャンディ舐めたりして暮らすことなんて、できないんだ。
サンタ、来ないよ。
どうせ、窓の向こうに住んでる子にしか、来ない奴なんだ。きみのところになんか来るもんか。
女の子も、もう窓を開けてくれないよ。
ママとパパが仲良くなったから、もうきみのことなんて忘れてしまったよ。
もういいよ。
こんなの、どうだっていいじゃない。
燃やしてしまおうよ。
明るくなるよ。暖かくなるよ。
炎で一面明々と照らして、みんなでダンスパーティをしようよ。
きみはポッケから、マッチ箱を取り出す。
かじかんだ手にのった小箱を、じっと見つめる。
明るさと暖かさを灯す小さな箱。
見つめるきみの髪に、肩に、雪がひらひら舞い下りていく。
きみは、女の子の家の門をくぐる。
右手にマッチの小箱をぎゅっと握りしめ、表情もなく歩いていく。
灯りの漏れた窓のそばに歩み寄ったきみは、怒鳴り声を聞いて身を竦めた。
息をひそめて硝子に身を寄せ、窓の向こうを覗き込む。
また怒鳴り声がした。お父さんの怒りの声だ。
続いて金切り声がした。お母さんの涙まじりの声だ。
窓の向こうの女の子の背中は、呆然と立ち尽くしたまま動かない。
なんだ。
お願いごと、まだ叶ってなかったんだ。クリスマスイブ、今日だものね。
食器の割れる音がする。
お母さんの悲鳴がする。
何かを打ちつける音。叩く音。
きみの聞き慣れた、馴染み深い音。
きみは身を乗り出して、窓の向こうを覗き込む。
息をつめて、ぎゅっと拳を握りしめて、額を硝子に押し付けて、一心に。
女の子の泣き声がした。
きみは、はっと息を呑む。
弾かれるように窓から身を離した。
窓の向こうに映り込んだものを、目を見開いて覗き込みながら。
何が見えるの?
きみは走り出す。背中を向けると、一目散に。
きみは逃げる。
逃げる逃げる。
右手でマッチ箱を握りしめて、左手で目元を乱暴にこすりつけながら。
逃げるきみに、影はついていく。
おいてかないで。おいてかないでよ。
きみは凍りついた雪に足を滑らせて転んだ。
影も一緒に転んでしまって、二人で雪の上に横になる。
ランタンの火が消えてしまって、月明かりが雪面を照らすだけ。
明かりが足りないので影はこのとおりぼんやりしてしまって、ちょっと眠くなる。ふわあ。
きみも、同じみたい。
雪の上に横になったまま、きみはとろんとまぶたを下ろしかけている。
横たわったきみの身体を、ひらひらひらひら、雪が舞い降りて隠そうとしてる。
眠いの?
きみはちょっと迷ってから、頷いた。
じゃあ、眠ろうか。
おやすみ。
「……おやすみ」