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文字数 3,131文字

 今度は空色の屋根のおうち。
 大きな庭にまん丸の木のテーブルやロッキングチェアが置かれている。
 お庭に面して、外開きの張出し窓がある。下枠がきみの胸の高さくらいの、長方形の大きな窓だ。

 きみはぶらぶらと歩いていって、窓の向こうを覗き込んだ。
 それから、あ、と口を開けると、くるりと背中を向けて走りだそうとして、足をもつれさせて転んでしまった。
 きみのドジ! 今度こそ鬼に捕まってしまうよ!

 窓の掛けがねを乱暴に外す音がした。
 ガタンと勢い良く外へ開いた。
 窓から顔を出したのは、今度は女の子だった。

「あなた誰? ここ、うちの庭なんだけど」

 女の子は不審そうに眉をひそめて、倒れたきみを見下ろした。

「不法侵入よ。法律違反よ。警察に捕まっちゃうわよ。牢屋で一生過ごすことになるわよ」

 次々とよくわからないけど恐ろしげな言葉を並べる。
 目が冷たい。声も冷たい。氷の女王みたい。
 芝生の上に尻をつけたまま、きみはおろおろと門の方を見やっている。
 どうも、逃げようにも足を捻っちゃったみたいなんだ。

「あなた、どこの子なの? ママは? どこの学校?」

 まくしたてる女の子に構わず、きみは口を引き結んで影とにらめっこ中。
 きみは影相手には偉そうにしているくせに、女の子相手には話せやしないんだ。

「答えなさいってば。うちの庭で何してたのよ」
「かげふみ」

 きみは左脚で、たんたん、と影を踏む。いたいですよ。

 女の子はぱちぱちと二度瞬きした。
 それから、そう、と納得したように頷いて、ふうと一つ大きなため息をついた。「いいなあ、外で遊べて」

 きみはようやく顔を上げて女の子を見た。
 窓枠に頬杖ついて収まった女の子は、一枚のキャンバスに描かれた絵画みたいだ。
 きみより二つ三つ年上だろうか。肩までの栗色のさらさらな髪をしてる。
 女の子と目があい、きみはまた下を向いた。影の頬は赤くならない。

「ちょっと待ってて」

 女の子は言い置くと、窓の向こうへ引っ込んだ。
 がたんがたんと抽斗を開け閉てする音。何やってるの、と苛立たしそうな、女の人の声がする。
 ややあって戻ってきた女の子の手には、バンドエイドが一枚握られていた。
 薄いピンク色で花柄の模様がついている。
 押し付けるように窓越しに差し出されたバンドエイドを受け取ると、きみはちょっと迷ってから、右脚の足首にぺたりと貼った。

 効く?

 きみはすっくと立ち上がって、窓際へ歩み寄った。効いたみたい。

 開いた窓の向こう、女の子のもっと後ろからは、なにやら声の応酬が聞こえてくる。
 さっきの女の人の声と、別の男の人の声。どうも、何か言い争っているみたいだ。

「トランプでもしない?」

 女の子は首だけ振り返って奥のほうを見やると、うんざりした様子で吐息をついた。
 きみに向き直って、器用に肩を竦めてみせた。ちょっと大人びた仕草だ。

「私、身体弱くて。外で遊んじゃいけないの。だからママとパパがあんな感じのときでも、逃げ場がないのよねえ。気が散ってお気に入りの本も読めやしない」

 自分が吐き出す言葉の切れ端が、もくもくと煙になって漂ってきているみたいに顔をしかめた。

「ちょっと付き合ってよ。どうせ暇でしょ?」

 また引っ込んで、がたんがたんと抽斗を開け閉てする。何やってるの、とまた苛立たしそうな女の人の声。
 ややあって息せき切って走ってきた女の子は、トランプケースと、小脇にキャンディの入った袋を抱えていた。

 それできみは、女の子とババ抜きをはじめることにする。

「もう一つ、息の合わない人たちなのよねえ。私のママとパパって」

 女の子は窓枠に頬杖をついて、きみの掲げたカードに手をやった。
 きみはころころと口の中でレモンキャンディを舐めながら、真剣な表情でカードをみつめている。

「二人とも悪い人ではないんだけどさ。方向性の違いっていうのかしらね。一生懸命すぎて、空回っちゃうタイプなのよねえ。大人って、そういうのあるじゃない?」

 きみの手札から一枚引くと、ふふふと笑って、手持ちの一枚と一緒にカード入れに収める。

「あなたのママとパパはどう? 仲いい?」

 きみが頷くので、影も頷いておく。

「羨ましいなあ。やっぱり、サンタにお願いしようかな」
「……なにを?」
「ママとパパがもうちょっと、仲良くしてくれるように」

 きみは目を瞬いた。
 それから、それがとても重要な確認事項であるかのように、女の子の目をじっと覗き込んで訊いた。

「サンタのこと、詳しい?」
「詳しいってほどじゃないけど」
「靴下に入らないものでも、もらえる?」
「それはうん。大丈夫よ」
「ほんとう?」
「うん。だって私、去年のクリスマスにサンタに頼んだもの。遊園地に遊びに行きたいんですって。しばらくパパの仕事が忙しくて、ちっとも出掛けられなかったから。そしたらね。サンタ、チケットの手配はもちろん、当日のパパの仕事の都合までしっかりつけてくれたもの。サンタが代わりに仕事済ませてくれたんだって、パパにこにこしてたわ」

 わあ。
 サンタ、サービスするなあ。

「私の身体の調子も、なんだかその日はよかったしね。全部、叶えてくれたわけよ。まさかそこまでできるなんて、正直、サンタの力をあなどってた。やり手よ。凄腕よ、サンタは」

 凄いんだなあ、サンタ。
 きみが会いたいというのもわかる。
 きみは身を乗り出して真剣に話を聞きながら、深く頷いた。
 がぜん、やる気が湧いてきたみたいだ。

「だから今年はママとパパのこと、ちょっとお願いしてみようかなと思って。本当はお人形が欲しかったんだけど、ま、来年までお預けかなあ」
「やっぱり、サンタ、毎年来るの?」
「当たり前じゃない。子供のところには毎年くるわ。何言ってるの」
「ぼくんとこ、来たことないから」
「なんですって?」

 女の子は信じられない、と目を見開いて首を振った。

「……一度も?」
「うん」
「手紙、ちゃんと書いてる?」
「うん」
「返事は?」

 きみは首を振る。

「ちょっと、どういうこと? あなた、ひょっとしてワルなの? 悪い子のところには来ないのよ?」

 きみは慌てた様子でぶんぶん首を振り、それからちょっと不安そうに顔を曇らせる。
 自分ではそこそこ良い子のつもりなのだが、努力が足りないかもしれないと述べた。

「字、汚かったからかもと思って、練習してる。これから頑張る。手紙もまた書く」
「じゃあ、ときどきいらっしゃいよ。サンタへの手紙、添削してあげるから」

 えへんと腕を組む女の子に、きみは首を傾げた。

「サンタも、世界中の子供から手紙がくるんだもの。あなたの手紙、埋もれて取り零されちゃってるのよ。サンタが来たくてたまらなくなるようなもの、書きましょ。協力してあげる」

 やったね。
 頼もしい先生ができた。
 字の練習と、文章の添削。
 あとは大きな炎を燃やせば、今年こそきみのところにもサンタがやってきてくれるはずだ。

「で、あなたの欲しいものはなんなの?」

 帰り際、トランプを片付けながら女の子が訊いた。
 ババ抜きは結局きみの連敗で終わってしまった。
 二人で皮を剥いて分けあって食べた蜜柑は、甘酸っぱくて美味しかっただろうか。

「どうせママやパパにはナイショなものなんでしょう? 何狙ってるの? 教えなさいよ」

 悪戯げににやりと笑う女の子に、きみもにやりと笑って答えた。

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