2-3
文字数 2,218文字
それからきみは毎日、女の子の窓のもとへ向かうことにする。
街へ降りると、家々の窓を巡ったあと、最後に決まってその大きな窓を覗き込む。
女の子はいつも窓際で、外を眺めたり本を読んだりして過ごしていた。
今読んでいるのはロミオとジュリエットというお話で、女の子はそのお話をとても気に入っているらしい。
「おおロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」
きみが行くと、窓を開けて、本を片手にそう朗読してみせる。
きみはちょっと不思議そうに首を傾げて、
「ぼくはロミオじゃないけど、どうしてぼくがロミオなの?」
「そんなの知らないわよ」
女の子は肩を竦める。わりと無責任だ。
「さあ、書き取りはしてきた?」
広げたノートを見やると、女の子があちゃあ、と頭を抱えてしまうので、きみはしょんぼりしてしまう。
真っ白なノートにはぎっしりと、きみが練習した文字たちが書き連ねられている。
はじめて地球にやってきた軟体動物が懸命にのたくって力尽きて死んでしまったような文字ね、と女の子は評した。ちょっとわからない。
「読めないとどうしようもないから練習してね。で、調べたんだけど、手紙の冒頭は〝拝啓〟で終わりは〝敬具〟って書くのが正式な書き方みたい。でも子供があまりきっちり作法を守って書いてたら逆に生意気に見られるから注意が必要ね。無難に〝こんにちは〟でいいと思う」
女の子は『正しい手紙の書き方』という本を手に、アレンジを絡めながらきみに文章を指導する。
「そのあと、軽く自己紹介。ここでいかに個性を出して、サンタの目を惹くかが勝負だと思う。自分がいったいどういう子供なのか、わかりやすく、印象的にね。プレゼントを届けてもらうんだから、何処に住んでるのかも必要ね」
きみはむうと唸り、窓柵の上に広げたノートに、自己紹介を書き付ける。真剣極まりない表情だ。
女の子はきみの書いた文面を覗き込み、違うでしょ、とくすくす笑った。
「住んでるとこ。住所を書くのよ」
きみはノートにペン先を落としたまま、首を傾げて女の子を見やる。
「だから、公園のトイレは住んでるとこじゃないでしょ。あなた、おうちは?」
「丘の上」
「あっちに家なんてあったっけ? なんもないイメージだったけど。番地とか、わからない? まあ、いいわ。じゃあ次。あなたがどんな子なのか。目を惹くような、ちょっと個性的なこと書きましょう」
きみは首を捻って考えこむ。
個性的。これはなかなか難しい問題だ。
影は手紙を書いたことがないので、ちょっとアドバイスできない。
「難しく考えなくてもいいの。毎日、どんな風に過ごしてるかとか、ママやパパや友達とどんなことして遊ぶのかとか。そんなことでいいのよ」
きみはちょっと迷ってから、ノートに書き付ける。
女の子はノートを覗き込むと、またくすくす笑った。
「それは個性的かも。でも、そうね。そういうときは、ぼくの人生はふんだりけったりです、って書くのよ」
きみはまた首を傾げて女の子を見やる。
「けったりされています、じゃ意味がとおらないでしょ。ちょっとシニカルで私は好きだけど、大人ウケはどうかなあ。個性的でありつつ、子供としての一般性を失ってはいけない。うーん、難しいわねえ」
女の子はきみの書く文章に、腕を組んで真剣に考え込む。
きみはペン先を見やって、さかんに首を捻るばかりで、一向に先に進まない。どうも、きみには文才がないみたいなんだ。
ま、気長にやりましょと女の子は笑い、また明日ね、ときみたちは別れる。
きみは毎日、一生懸命にノートにペンを走らせている。
女の子と別れたあとも、トイレの個室にこもって字の練習を続ける。
真っ白だったきみのノートは、次々にきみの文字で埋まっていって、いつの間にか真ん中のページを過ぎた。
影には字が読めないので、きみの字がきちんと上手くなっているのかはわからないし、きみが何を頼むつもりなのかもわからないけれど。
そんなに頑張っていったい何が欲しいのか訊いても、きみは悪戯げににししと笑うばかりだ。
その日、女の子とトランプを終えて、鼻歌を歌いながらきみが帰ると、お手洗いの前に見慣れた影が立っていた。
夕暮れ時だ。
真っ赤な光に照らされて、影は細長く、針のように鋭くなって地面に伸びている。
腕を組み、きみを見やりながら、コツコツと苛立たしげに靴のかかとを地面に打ち付ける。
「何してんだよこんなところで」
影が口を動かした。
針のような影は、声も針みたいなんだ。
きみは下を向いて、その影が口をぱくぱくと動かすのをじっと見つめている。
「あいつの家にいるのかと思ってたら、送り返したって言うからさ。それならそれで戻ってくればいいだろうに、貯金箱から金とって家出とか、どんだけだよ。こんなところ、木下のババアに見つかったらどうすんだよ。誰かに会った? こんなとこ見られたりしてないだろうね?」
次々と湧いてあふれる言葉に、きみは神の言葉をいただく敬虔な預言者のように、黙って耳をかたむけている。
影はきみに近づいて、頭に手を伸ばした。
「なんとか言えや」
ぱん、と乾いた音がして、きみの影の頭を力いっぱい叩いた。
きみは倒れて地面に尻をつけたまま、おかあさんと笑った。
街へ降りると、家々の窓を巡ったあと、最後に決まってその大きな窓を覗き込む。
女の子はいつも窓際で、外を眺めたり本を読んだりして過ごしていた。
今読んでいるのはロミオとジュリエットというお話で、女の子はそのお話をとても気に入っているらしい。
「おおロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」
きみが行くと、窓を開けて、本を片手にそう朗読してみせる。
きみはちょっと不思議そうに首を傾げて、
「ぼくはロミオじゃないけど、どうしてぼくがロミオなの?」
「そんなの知らないわよ」
女の子は肩を竦める。わりと無責任だ。
「さあ、書き取りはしてきた?」
広げたノートを見やると、女の子があちゃあ、と頭を抱えてしまうので、きみはしょんぼりしてしまう。
真っ白なノートにはぎっしりと、きみが練習した文字たちが書き連ねられている。
はじめて地球にやってきた軟体動物が懸命にのたくって力尽きて死んでしまったような文字ね、と女の子は評した。ちょっとわからない。
「読めないとどうしようもないから練習してね。で、調べたんだけど、手紙の冒頭は〝拝啓〟で終わりは〝敬具〟って書くのが正式な書き方みたい。でも子供があまりきっちり作法を守って書いてたら逆に生意気に見られるから注意が必要ね。無難に〝こんにちは〟でいいと思う」
女の子は『正しい手紙の書き方』という本を手に、アレンジを絡めながらきみに文章を指導する。
「そのあと、軽く自己紹介。ここでいかに個性を出して、サンタの目を惹くかが勝負だと思う。自分がいったいどういう子供なのか、わかりやすく、印象的にね。プレゼントを届けてもらうんだから、何処に住んでるのかも必要ね」
きみはむうと唸り、窓柵の上に広げたノートに、自己紹介を書き付ける。真剣極まりない表情だ。
女の子はきみの書いた文面を覗き込み、違うでしょ、とくすくす笑った。
「住んでるとこ。住所を書くのよ」
きみはノートにペン先を落としたまま、首を傾げて女の子を見やる。
「だから、公園のトイレは住んでるとこじゃないでしょ。あなた、おうちは?」
「丘の上」
「あっちに家なんてあったっけ? なんもないイメージだったけど。番地とか、わからない? まあ、いいわ。じゃあ次。あなたがどんな子なのか。目を惹くような、ちょっと個性的なこと書きましょう」
きみは首を捻って考えこむ。
個性的。これはなかなか難しい問題だ。
影は手紙を書いたことがないので、ちょっとアドバイスできない。
「難しく考えなくてもいいの。毎日、どんな風に過ごしてるかとか、ママやパパや友達とどんなことして遊ぶのかとか。そんなことでいいのよ」
きみはちょっと迷ってから、ノートに書き付ける。
女の子はノートを覗き込むと、またくすくす笑った。
「それは個性的かも。でも、そうね。そういうときは、ぼくの人生はふんだりけったりです、って書くのよ」
きみはまた首を傾げて女の子を見やる。
「けったりされています、じゃ意味がとおらないでしょ。ちょっとシニカルで私は好きだけど、大人ウケはどうかなあ。個性的でありつつ、子供としての一般性を失ってはいけない。うーん、難しいわねえ」
女の子はきみの書く文章に、腕を組んで真剣に考え込む。
きみはペン先を見やって、さかんに首を捻るばかりで、一向に先に進まない。どうも、きみには文才がないみたいなんだ。
ま、気長にやりましょと女の子は笑い、また明日ね、ときみたちは別れる。
きみは毎日、一生懸命にノートにペンを走らせている。
女の子と別れたあとも、トイレの個室にこもって字の練習を続ける。
真っ白だったきみのノートは、次々にきみの文字で埋まっていって、いつの間にか真ん中のページを過ぎた。
影には字が読めないので、きみの字がきちんと上手くなっているのかはわからないし、きみが何を頼むつもりなのかもわからないけれど。
そんなに頑張っていったい何が欲しいのか訊いても、きみは悪戯げににししと笑うばかりだ。
その日、女の子とトランプを終えて、鼻歌を歌いながらきみが帰ると、お手洗いの前に見慣れた影が立っていた。
夕暮れ時だ。
真っ赤な光に照らされて、影は細長く、針のように鋭くなって地面に伸びている。
腕を組み、きみを見やりながら、コツコツと苛立たしげに靴のかかとを地面に打ち付ける。
「何してんだよこんなところで」
影が口を動かした。
針のような影は、声も針みたいなんだ。
きみは下を向いて、その影が口をぱくぱくと動かすのをじっと見つめている。
「あいつの家にいるのかと思ってたら、送り返したって言うからさ。それならそれで戻ってくればいいだろうに、貯金箱から金とって家出とか、どんだけだよ。こんなところ、木下のババアに見つかったらどうすんだよ。誰かに会った? こんなとこ見られたりしてないだろうね?」
次々と湧いてあふれる言葉に、きみは神の言葉をいただく敬虔な預言者のように、黙って耳をかたむけている。
影はきみに近づいて、頭に手を伸ばした。
「なんとか言えや」
ぱん、と乾いた音がして、きみの影の頭を力いっぱい叩いた。
きみは倒れて地面に尻をつけたまま、おかあさんと笑った。