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文字数 2,772文字

      *

 きみは街を歩く。
 カーディガンのポケットに両手を突っ込んで、吹き抜ける風に寒そうに肩をすくめながら、どこへともなく歩いてゆく。

 陽はもうずいぶんと傾いていて、影はこのとおり細く、長くなる時間だ。
 さっきからきみに追いついては追い越し、追いついては追い越しを繰り返している。
 追いかけっこみたいで面白いと思うのに、きみは興味もなさそうにマフラーに顔を埋め、自分の爪先を見下ろしたまま、目で追いかけもしてくれない。

 ねえ。

「なんだよ」

 ふむなよ。

「無茶言うなよ」

 うっすらと暮れていく夕暮れの道を、きみは影を踏みながら歩く。
 きみとは逆方向から、沢山の人たちが歩いてくるが、会話に夢中で特にきみに気を留めはしない。きみの吐く息が白く浮く。
 ところどころに灯った電灯と、家々の窓から漏れてくる光。
 軒先に置かれたもみの木に、イルミネーションというらしい電球が巻きついて、せわしなく光っている。
 確かに綺麗ではあるけれど、それほどではないかなあ。
 明るいものは好きなんだけど、もっと明るく光ってくれないと、影のニーズは満たせない。

 ねえ、そう思わない?

「別に」

 丘の上からは、もっと綺麗に見えるものなの?

「別に」

 きみはぼそりと言い捨てて、ただ黙々と歩き続ける。

 さっきはあんなに綺麗だ綺麗だと騒いでいたくせに、もう興味を失ってしまったようだ。
 きみは街に行く前はうきうきしているのに、街を歩くときはいったい何が気に入らないのか、きまって不機嫌になるので、ちょっと困ってしまう。

 夕餉の支度をする包丁のとんとんというリズミカルな音が、いろんな家から聞こえてくる。
 テレビだろうか、ニュースキャスターが、乾燥しているから火の元に注意してくださいと伝える声が聞こえる。この頃、街では放火が何件も起こっているらしい。
 いただきまーす、と元気のいい子供たちの声が聞こえて、きみは立ち止まった。

 はいどうぞ、と大人の女の人の声が続いて聞こえた。
 いただきます、と今度は少し野太い男の人の声。
 きみは顔を上げる。
 そっと周囲を窺うと、その家の敷地へ忍び込む。爪先で背伸びをして、窓に顔を寄せた。
 よく磨きこまれた、横開きのピカピカの窓だ。きみはじっと窓の向こうを覗き込む。

 なにか面白いものが見える?

「何が見えると思う?」きみは振り返りもせずに答える。

 声からすると、子供が二人と、お母さんとお父さん。
 みんなで晩ご飯を食べているんじゃないかな。

「はずれだ。そんなありきたりな光景じゃない」

 ……なにが見えるの?

「荒れ果ててるな。骸骨がたくさん転がってる。生きた人間の姿はない」

 な、なんだって?
 何があったんだろう?

「鬼が食卓をうろうろしてて、がじがじ食器をかじってる。きっとここに住んでる人たちは、あの鬼に食べられちゃったんだろうな」

 そうなんだ。じゃあさっきの夕食時みたいな声はなんだったんだろう?

「人間を誘いこむための鬼の罠に決まってるだろう」

 やばいじゃないか。逃げよう。
 鬼に見つからないうちに早く行こうよ。

「そうだな」

 きみはもう少し窓の向こうを見つめてから、ようやく背伸びをやめて振り返った。

 背を向けた途端、楽しそうな笑い声が窓の向こうで弾けたけれど、きみは知らんぷりだ。冷たくなってきた風に身体をすぼめて、また歩きだした。
 きみは小さなスーパーに入ると、晩ご飯のクリームパンと、牛乳のパックを買った。
 財布の中には、家を出るときに棚の上の貯金箱から取り出してきたお札が入っているから、しばらくはお金に困らないだろう。
 それからきみは雑貨屋を探して、アルコール式のランタンを一つと、ノートとペンを買った。

 ランプは、影へのプレゼントだろうか。

「違う。サンタ用の目印だ」

 サンタ? それなに?

「じいさん。クリスマスに、なんでも子供の欲しいものをくれるらしい」

 なんでも?

「なんでも」

 なんでもって――なんでも?

「なんでも」

 ……魔法が使えるの?

「だろうな。で、おれの掴んだ情報によるとだ。サンタは、トナカイのひくソリに乗って、空からやってくるらしい」

 それは格好いいね。

「で、煙突から家屋に侵入し、靴下の中にプレゼントを詰め込む」

 それはどうなんだろう。その人、大丈夫なの?

「まあ昔の話だ。今は煙突じゃない家にもやってきているらしい。現代にうまく適応してるんだな」

 ふうん。おじいさんなのに凄いとは思うけど。

「とはいえ、空飛ぶソリで来るのは同じようだからな。サンタが空から見てわかるように、ランプを吊るしておくんだ。灯りに誘われて寄って来たところで、捕まえる」

 ふうん。なんだか虫取りみたい。
 サンタってどんな人なの?

「太ってて髭面のじいさんだって。赤い服着てて、白い袋が目印」

 お歳なのに派手だねえ。きみ、サンタどこで見たの?

「いや、おれは見たことない。うちにサンタが来たことはないから」

 え、そうなの?
 うーん、大丈夫? ガセネタじゃない?
 ちょっと話が出来過ぎているような気がするよ。ディテールがしっかりしてるぶん、逆になんか怪しい気がする。

「ガセネタじゃないよ。疑り深い影だな。みんなが言ってることだ。どうやら余所のうちには毎年来てたようなんだ。それでおれも去年、うちにも来てくださいって、手紙を出してみたんだけど」

 来たの?

「来なかった」

 ほらやっぱり。ガセネタだ。
 それかその人、実はやな奴なんじゃない? きみをのけものにして。

「まあそう言うなよ。短気な影だな。どうもサンタが動けるのは、クリスマスイブの晩しかないようなんだ。現実的に考えて、全部の家をまわるほど時間がとれないんだろう。そこをどうこう言っても仕方ないさ」

 ふうん。きみは偉いね。考え方が大人だ。

「でも今年は欲しいものがあるから、確実に来てもらいたいんだ。だからうまいこと、誘い出さなきゃいけない。目印があった方がわかりやすいだろ?」

 なるほど、それで目立つようにランプを買ったってわけだね。サンタがどうかは知らないけれど、影はみんな灯りに惹かれるものだから、サンタの影が寄ってくるかもしれない。
 でも、ランプの灯りくらいで大丈夫かな?

「もっと明るくした方がいいかもな」

 きみは商店街の道を歩きながら、店先に巡らされたイルミネーションを見上げる。
 たくさんの小さな光の粒が、星の形やベルの形をつくって、赤、青、紫、黄色にピンク。代わる代わるにぴかぴか光っている。
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