3-3

文字数 1,968文字

 きみは膝を抱えている。
 公園のトイレの便座の上で、小さく、丸くなって。
 磨りガラスから朝の光が射し込んで、トイレの床とドアの上に影を描き出す。

 おはよう。

「…………」

 きみはしっかりと両脚を抱え込んだまま、ちょっと焦点の合わない瞳でドアを見つめている。
 髪はぼさぼさに乱れて、右のまぶたがふっくらと青紫色に腫れ上がっている。口の端と鼻の穴の奥が赤く染まっている。

 やっぱり、ここでサンタを待つの?

「…………」

 そろそろ手紙を仕上げて出さないといけないね。
 燃やす家も、決めなくちゃだよね。
 さあ、どうしたの?
 街へ行こうよ。

「…………」

 きみは素早く靴に足を滑り込ませると、勢い良くドアを開けて外に出た。
 朝陽の下に立つと、じっと影を見下ろした。
 それから足を振り上げて、

 だん、だん、だだん。

 いたい、いたいよ!

 きみは勢い良く足を振り上げて、影を踏む。
 地面の上で、地団太を踏むように飛び跳ねて、何度も何度も、ぼろぼろの靴で踏み付ける。

 だん、だん、だだん。

 いたいよ! やめてよ!

 踏み付けるきみの顔は歪んでる。
 折れそうなくらいに歯を噛み締めて、目は血走って真っ赤になってる。
 足を壊しそうなくらい勢いをつけて蹴りつける。
 だん、だん、だだん。
 捲れあがったシャツの隙間から、お腹の赤黒い痣が顔を覗かせる。
 だん、だん、だだん。

 いたいよ! やめてよ!

 いたいよ! ぼくなにも悪いことしてないよ!

 やめてよ! 助けて!
 ごめんなさい! すみません!
 ごめんなさい!

「……ごめん」

 何度も踏みつけたあと、きみは足を止めて地面を見下ろす。

 真似っこ遊びをしてるだけなのに、きみが何故謝るのかわからない。
 謝るきみの顔はいまにも泣き出してしまいそうで、ちょっと困ってしまう。

「いいよ。好きなとこ、行っても」

 いつものようにからかうでもなく、きみは言う。

「行けよ、一人旅。行っていいから。おれ、大丈夫だから」

 ひどい。

 どうしてそんなこと言うんだ。
 わかってるくせに。

 一人旅なんて、どうせできないんだ。
 こんな意地悪なきみの下から抜け出して、広い世界を見てまわりたい。でもできないんだ。
 北の方に行って、一日中暗くならない土地に行って、夜になっても沈まない太陽の下で、他の奴らと気ままに語り合ったり、トランプしたり、キャンディ舐めたりして暮らしたい。でもできないんだ。
 きみを放っておけない。
 きみをひとりぼっちで残していけない。

 ぼくはきみの影なんだから。



 きみはまた街を彷徨いはじめる。
 灯りの漏れる家々の窓の向こうを、お気に入りの絵本を開くように覗き込んではそっと閉じ、背中を向けて遠ざかる。

 十二月の冷たい風が吹きつける中を、きみは歩く。
 お母さんはあれからもうやってこない。
 財布の中のお札はお母さんに取り上げられてしまったので、小銭を切り詰めて使っている。

 女の子は近頃、窓から出てこなくなった。
 閉め切られた窓の向こうから、女の子と男の人と女の人の、楽しそうな声が聞こえてくるばかりだ。
 きみは窓の前にぽつんと立って、それを聞いている。

 女の子のママとパパ、仲良くなったみたいだね。
 もうサンタが願いごとを叶えてくれたのかな?
 でも、どうして女の子がサンタに出した手紙のことを、パパが知っているんだろう?
 これは本当に女の子たちの笑い声なの? それとも、ここにも笑いザカナが棲みついてしまったの?

 きみは答えない。
 窓の下で寒そうに膝を抱えたまま、女の子が窓を開けてくれるのをいつまでも待っている。

 昨日、きみは郵便局に行った。
 受け取ってもらえない郵便物が、どうやって処分されるのか尋ねるためだ。
 受付のおじいさんは親切な人で、勉強偉いねときみの頭を撫でると、焼却炉で燃やしてしまうんだよとにっこり笑った。

 それからきみは、ようやく書き上げた手紙を、お手製の白い封筒に入れた。
 最後の硬貨を取り出し切手を買うと、慎重に表に貼りつけた。
『サンタさんへ』とでっかく記すと、郵便局のポストに投函した。


 さあ、いよいよだね。
 明日はクリスマスイブだ。
 やるだけのことはやったね。あとはサンタを待つだけだ。
 
 きみの字、サンタさん読めるといいね。
 きみの文章、サンタさん気に入ってくれるといいね。
 あとは明かりを灯すだけだよ。燃やす家はもう決めた?
 きみの家?
 人喰い鬼の家?
 それとも、あの女の子の家?


 ねえ、そろそろ教えてくれてもいいだろ。

 きみは、サンタクロースに何を願うの?
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