2-1
文字数 2,563文字
だん、だん、だだん。
きみは影を虐待する。
足を振り上げては、勢い良く振り下ろして。
いたい、いたいよ!
「え、本当か?」きみは足を止めて、ちょっと不安そうに顔を曇らせて地面を覗き込む。
いいや、冗談だよ?
痛いわけないじゃないか。影だもの。
きみ踏んでるの、足の裏だし。
「てめっ」
きみはまた足を振り上げ、ぼろぼろの靴で影を踏み付ける。
いたい、いたいよ!
爽やかな朝の陽射しが差し込んで、丘の上に影たちを濃く描き出している。
冬の朝の空気は冷たく澄んでいて、身体を動かすきみの口から吐き出される息は白い。
だん、だん、だだん。踏み付けるたびに、きみの足の裏と影の足の裏が、勢い良く触れ合う。
だん、だん、だだん。
いたいよ! やめてよ!
「ほんとに大丈夫か」きみはまた不安そうにこちらを覗き込む。
だから冗談だって言ってるのに、もう。
いつも言ってるでしょう? ごっこ遊びは真剣に。
せっかく迫真の演技なのに。いちいちそんな心配してたら、面白くないじゃないか。
「だってさー」
きみは時々、こうして影を踏んだり蹴ったりする。
せっかくきみが遊んでくれるから付き合うけれど、正直あんまり楽しくはない。でもきみは他の遊びを知らないようなので、仕方ない。
一緒にラジオ体操を済ませて、残りのクリームパンと牛乳をおなかに収めると、きみは街へ降りる。
今日は、どうするの?
「…………」
何して遊ぶの?
「…………」
きみは答えない。
街に来るときみは、例によってむっつりしている。
通りに沿って立ち並んだ家々の窓から、いろんな音が飛び交ってアーチをつくっている。その下を、きみはカーディガンのポッケに両手を突っ込んで歩く。
テレビのアナウンサーのお姉さんが、天気予報を喋る声。
干した布団を布団たたきでぱたぱたと、リズミカルに叩く音。
湯気を立てる薬缶が吹く、ぴゅうって高い笛の音色。
ごはんよ、って優しい声。笑いザカナの声。
きみは足を止めた。
しばらく黙って、自分と影の爪先の境目あたりを見下ろしていたけれど、やがて小さく、影にだけ聞こえるように、
「やっぱり、燃やしちゃおうか。家」
ポッケに突っ込んだ右手を揺らした。
沢山のマッチ棒を抱いた小箱が、かしゃこかしゃこと陽気な音を立てる。
いいね。
でも夜がいいよ。
夜に燃えると、綺麗だよ。
明るくなって、キャンプファイヤーみたいで。影たちが寄ってくるよ。
「サンタの影も、寄ってくるかな」
うん。
影はみんな明るいのが好きだもの。ランプやイルミネーションよりも、ずっといいよ。
「なるほど」
きみはそれでもちょっと考えこむようにしている。「どうかな」
せっかくだから、うんと明るくなるようにしようよ。
夜なのにまるで昼間みたいに、炎を大きく燃やして照らしてさ。みんなで仲良く踊るんだ。
なるべく大きな家を使わなきゃだよね。
それか、いっそ、街ごと燃やしてしまう?
それならサンタも絶対気付くよ。
「気付いても、それじゃ何処に降りていいかわからないだろ」
そうかあ。
……そうだね。
じゃあ、やっぱりきちんと選ばなきゃだね。
「あそこなんか、いいかもな」
きみは人喰い鬼が棲みついた家の敷地へ入っていく。
この前も覗いたぴかぴかの窓へ近づいて、背伸びして中を覗きこむ。
今日も鬼たちは、楽しげに笑って食事をする音を立てている。
美味しい、とか、ママのつくる料理は世界一だ――そんな言葉を次々に発して、誘き出された哀れな犠牲者を待ち受けている。
きみがみつかって食べられてしまわないか、どきどきしてしまう。
鬼たちの様子はどう?
「相変わらずだ」きみは無表情で答える。
美味しい美味しいって言っているのは、やっぱりあれ? 人間のお肉のこと?
「……ああ。犠牲者が骨つき肉になって貪り喰われている。がつがつと食べながら、鬼たちは笑っているな」
なんて痛ましい。
あまり見ちゃいけないよ。そういうの、教育に良くないよ。
ここ、燃やしてしまう?
なかなかの大きさだし、鬼を退治できて、一石二鳥だ。
「いいかもな」
あら? と、影たちの笑い声の合間に、女の人の声がした。
ぱたぱたとスリッパの音が近づいてきた。
やばい、みつかったよ。
逃げて。
捕まって食べられてしまうよ。
きみは声に驚いてしまったみたいで、動けずその場に立ち尽くしている。がらりと窓が横に滑った。
顔を出したのは、人間のおばさんだ。
窓の向こうから、きみを見下ろした。
それから周りを見回すと、ちょっと困ったようにきみに笑いかけた。
「どうしたの? お母さんは?」
きみは首を振った。
おばさんはちょっと首を傾げて、困ったような微笑みを浮かべてきみを見ている。
おおい、どうしたんだ? と窓の向こうから野太い鬼の声。
おばさんは首だけ振り向くと、なんでもないわよと答えた。
それからまたきみを見やると、ちょっと待っててねと笑って、パタパタと奥へ引っ込んだ。
「はいどうぞ」
戻ってきたおばさんは、きみの手に蜜柑を一つ握らせて、にっこり笑った。
「おなか空いてるんでしょう、ぼく。早くおうちにお帰りなさい。お母さんが食事の支度して待ってるわよ」
手の中の蜜柑を見下ろして、きみはこくりと頷いた。
くるりと背中を向けて、歩き出した。背中でがらりと窓が閉まる音がした。
きみは手の中で蜜柑をころころと弄びながら、また道を歩く。
ふう。良かった。
きみが食べられてしまうかと思った。
危なかったね。
今のは、人間だよね?
「みたいだな」
蜜柑をボールみたいに投げてはキャッチし、きみは特に興味なさそうに頷く。
「鬼に捕まってる人質じゃないか?」
優しそうな人だったし、蜜柑貰ったし、助けてあげたいところだけど、やっぱり、難しいかな。
「鬼に喰われたくはないな」
あそこにする? 燃やすの。
「さて、どうかな。いろいろ見て回ってから決めよう」
きみは影を虐待する。
足を振り上げては、勢い良く振り下ろして。
いたい、いたいよ!
「え、本当か?」きみは足を止めて、ちょっと不安そうに顔を曇らせて地面を覗き込む。
いいや、冗談だよ?
痛いわけないじゃないか。影だもの。
きみ踏んでるの、足の裏だし。
「てめっ」
きみはまた足を振り上げ、ぼろぼろの靴で影を踏み付ける。
いたい、いたいよ!
爽やかな朝の陽射しが差し込んで、丘の上に影たちを濃く描き出している。
冬の朝の空気は冷たく澄んでいて、身体を動かすきみの口から吐き出される息は白い。
だん、だん、だだん。踏み付けるたびに、きみの足の裏と影の足の裏が、勢い良く触れ合う。
だん、だん、だだん。
いたいよ! やめてよ!
「ほんとに大丈夫か」きみはまた不安そうにこちらを覗き込む。
だから冗談だって言ってるのに、もう。
いつも言ってるでしょう? ごっこ遊びは真剣に。
せっかく迫真の演技なのに。いちいちそんな心配してたら、面白くないじゃないか。
「だってさー」
きみは時々、こうして影を踏んだり蹴ったりする。
せっかくきみが遊んでくれるから付き合うけれど、正直あんまり楽しくはない。でもきみは他の遊びを知らないようなので、仕方ない。
一緒にラジオ体操を済ませて、残りのクリームパンと牛乳をおなかに収めると、きみは街へ降りる。
今日は、どうするの?
「…………」
何して遊ぶの?
「…………」
きみは答えない。
街に来るときみは、例によってむっつりしている。
通りに沿って立ち並んだ家々の窓から、いろんな音が飛び交ってアーチをつくっている。その下を、きみはカーディガンのポッケに両手を突っ込んで歩く。
テレビのアナウンサーのお姉さんが、天気予報を喋る声。
干した布団を布団たたきでぱたぱたと、リズミカルに叩く音。
湯気を立てる薬缶が吹く、ぴゅうって高い笛の音色。
ごはんよ、って優しい声。笑いザカナの声。
きみは足を止めた。
しばらく黙って、自分と影の爪先の境目あたりを見下ろしていたけれど、やがて小さく、影にだけ聞こえるように、
「やっぱり、燃やしちゃおうか。家」
ポッケに突っ込んだ右手を揺らした。
沢山のマッチ棒を抱いた小箱が、かしゃこかしゃこと陽気な音を立てる。
いいね。
でも夜がいいよ。
夜に燃えると、綺麗だよ。
明るくなって、キャンプファイヤーみたいで。影たちが寄ってくるよ。
「サンタの影も、寄ってくるかな」
うん。
影はみんな明るいのが好きだもの。ランプやイルミネーションよりも、ずっといいよ。
「なるほど」
きみはそれでもちょっと考えこむようにしている。「どうかな」
せっかくだから、うんと明るくなるようにしようよ。
夜なのにまるで昼間みたいに、炎を大きく燃やして照らしてさ。みんなで仲良く踊るんだ。
なるべく大きな家を使わなきゃだよね。
それか、いっそ、街ごと燃やしてしまう?
それならサンタも絶対気付くよ。
「気付いても、それじゃ何処に降りていいかわからないだろ」
そうかあ。
……そうだね。
じゃあ、やっぱりきちんと選ばなきゃだね。
「あそこなんか、いいかもな」
きみは人喰い鬼が棲みついた家の敷地へ入っていく。
この前も覗いたぴかぴかの窓へ近づいて、背伸びして中を覗きこむ。
今日も鬼たちは、楽しげに笑って食事をする音を立てている。
美味しい、とか、ママのつくる料理は世界一だ――そんな言葉を次々に発して、誘き出された哀れな犠牲者を待ち受けている。
きみがみつかって食べられてしまわないか、どきどきしてしまう。
鬼たちの様子はどう?
「相変わらずだ」きみは無表情で答える。
美味しい美味しいって言っているのは、やっぱりあれ? 人間のお肉のこと?
「……ああ。犠牲者が骨つき肉になって貪り喰われている。がつがつと食べながら、鬼たちは笑っているな」
なんて痛ましい。
あまり見ちゃいけないよ。そういうの、教育に良くないよ。
ここ、燃やしてしまう?
なかなかの大きさだし、鬼を退治できて、一石二鳥だ。
「いいかもな」
あら? と、影たちの笑い声の合間に、女の人の声がした。
ぱたぱたとスリッパの音が近づいてきた。
やばい、みつかったよ。
逃げて。
捕まって食べられてしまうよ。
きみは声に驚いてしまったみたいで、動けずその場に立ち尽くしている。がらりと窓が横に滑った。
顔を出したのは、人間のおばさんだ。
窓の向こうから、きみを見下ろした。
それから周りを見回すと、ちょっと困ったようにきみに笑いかけた。
「どうしたの? お母さんは?」
きみは首を振った。
おばさんはちょっと首を傾げて、困ったような微笑みを浮かべてきみを見ている。
おおい、どうしたんだ? と窓の向こうから野太い鬼の声。
おばさんは首だけ振り向くと、なんでもないわよと答えた。
それからまたきみを見やると、ちょっと待っててねと笑って、パタパタと奥へ引っ込んだ。
「はいどうぞ」
戻ってきたおばさんは、きみの手に蜜柑を一つ握らせて、にっこり笑った。
「おなか空いてるんでしょう、ぼく。早くおうちにお帰りなさい。お母さんが食事の支度して待ってるわよ」
手の中の蜜柑を見下ろして、きみはこくりと頷いた。
くるりと背中を向けて、歩き出した。背中でがらりと窓が閉まる音がした。
きみは手の中で蜜柑をころころと弄びながら、また道を歩く。
ふう。良かった。
きみが食べられてしまうかと思った。
危なかったね。
今のは、人間だよね?
「みたいだな」
蜜柑をボールみたいに投げてはキャッチし、きみは特に興味なさそうに頷く。
「鬼に捕まってる人質じゃないか?」
優しそうな人だったし、蜜柑貰ったし、助けてあげたいところだけど、やっぱり、難しいかな。
「鬼に喰われたくはないな」
あそこにする? 燃やすの。
「さて、どうかな。いろいろ見て回ってから決めよう」