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文字数 2,563文字

 だん、だん、だだん。

 きみは影を虐待する。
 足を振り上げては、勢い良く振り下ろして。

 いたい、いたいよ!

「え、本当か?」きみは足を止めて、ちょっと不安そうに顔を曇らせて地面を覗き込む。

 いいや、冗談だよ?
 痛いわけないじゃないか。影だもの。
 きみ踏んでるの、足の裏だし。

「てめっ」

 きみはまた足を振り上げ、ぼろぼろの靴で影を踏み付ける。
 いたい、いたいよ!

 爽やかな朝の陽射しが差し込んで、丘の上に影たちを濃く描き出している。
 冬の朝の空気は冷たく澄んでいて、身体を動かすきみの口から吐き出される息は白い。
 だん、だん、だだん。踏み付けるたびに、きみの足の裏と影の足の裏が、勢い良く触れ合う。
 だん、だん、だだん。
 いたいよ! やめてよ!

「ほんとに大丈夫か」きみはまた不安そうにこちらを覗き込む。

 だから冗談だって言ってるのに、もう。
 いつも言ってるでしょう? ごっこ遊びは真剣に。
 せっかく迫真の演技なのに。いちいちそんな心配してたら、面白くないじゃないか。

「だってさー」

 きみは時々、こうして影を踏んだり蹴ったりする。
 せっかくきみが遊んでくれるから付き合うけれど、正直あんまり楽しくはない。でもきみは他の遊びを知らないようなので、仕方ない。
 一緒にラジオ体操を済ませて、残りのクリームパンと牛乳をおなかに収めると、きみは街へ降りる。

 今日は、どうするの?

「…………」

 何して遊ぶの?

「…………」

 きみは答えない。
 街に来るときみは、例によってむっつりしている。

 通りに沿って立ち並んだ家々の窓から、いろんな音が飛び交ってアーチをつくっている。その下を、きみはカーディガンのポッケに両手を突っ込んで歩く。
 テレビのアナウンサーのお姉さんが、天気予報を喋る声。
 干した布団を布団たたきでぱたぱたと、リズミカルに叩く音。
 湯気を立てる薬缶が吹く、ぴゅうって高い笛の音色。
 ごはんよ、って優しい声。笑いザカナの声。

 きみは足を止めた。

 しばらく黙って、自分と影の爪先の境目あたりを見下ろしていたけれど、やがて小さく、影にだけ聞こえるように、

「やっぱり、燃やしちゃおうか。家」

 ポッケに突っ込んだ右手を揺らした。
 沢山のマッチ棒を抱いた小箱が、かしゃこかしゃこと陽気な音を立てる。

 いいね。
 でも夜がいいよ。
 夜に燃えると、綺麗だよ。
 明るくなって、キャンプファイヤーみたいで。影たちが寄ってくるよ。

「サンタの影も、寄ってくるかな」

 うん。
 影はみんな明るいのが好きだもの。ランプやイルミネーションよりも、ずっといいよ。

「なるほど」

 きみはそれでもちょっと考えこむようにしている。「どうかな」

 せっかくだから、うんと明るくなるようにしようよ。
 夜なのにまるで昼間みたいに、炎を大きく燃やして照らしてさ。みんなで仲良く踊るんだ。
 なるべく大きな家を使わなきゃだよね。
 それか、いっそ、街ごと燃やしてしまう?
 それならサンタも絶対気付くよ。

「気付いても、それじゃ何処に降りていいかわからないだろ」

 そうかあ。
 ……そうだね。
 じゃあ、やっぱりきちんと選ばなきゃだね。

「あそこなんか、いいかもな」

 きみは人喰い鬼が棲みついた家の敷地へ入っていく。
 この前も覗いたぴかぴかの窓へ近づいて、背伸びして中を覗きこむ。

 今日も鬼たちは、楽しげに笑って食事をする音を立てている。
 美味しい、とか、ママのつくる料理は世界一だ――そんな言葉を次々に発して、誘き出された哀れな犠牲者を待ち受けている。
 きみがみつかって食べられてしまわないか、どきどきしてしまう。

 鬼たちの様子はどう?

「相変わらずだ」きみは無表情で答える。

 美味しい美味しいって言っているのは、やっぱりあれ? 人間のお肉のこと?

「……ああ。犠牲者が骨つき肉になって貪り喰われている。がつがつと食べながら、鬼たちは笑っているな」

 なんて痛ましい。
 あまり見ちゃいけないよ。そういうの、教育に良くないよ。
 ここ、燃やしてしまう?
 なかなかの大きさだし、鬼を退治できて、一石二鳥だ。

「いいかもな」

 あら? と、影たちの笑い声の合間に、女の人の声がした。
 ぱたぱたとスリッパの音が近づいてきた。

 やばい、みつかったよ。
 逃げて。
 捕まって食べられてしまうよ。

 きみは声に驚いてしまったみたいで、動けずその場に立ち尽くしている。がらりと窓が横に滑った。
 顔を出したのは、人間のおばさんだ。

 窓の向こうから、きみを見下ろした。
 それから周りを見回すと、ちょっと困ったようにきみに笑いかけた。

「どうしたの? お母さんは?」

 きみは首を振った。
 おばさんはちょっと首を傾げて、困ったような微笑みを浮かべてきみを見ている。
 おおい、どうしたんだ? と窓の向こうから野太い鬼の声。
 おばさんは首だけ振り向くと、なんでもないわよと答えた。
 それからまたきみを見やると、ちょっと待っててねと笑って、パタパタと奥へ引っ込んだ。

「はいどうぞ」

 戻ってきたおばさんは、きみの手に蜜柑を一つ握らせて、にっこり笑った。

「おなか空いてるんでしょう、ぼく。早くおうちにお帰りなさい。お母さんが食事の支度して待ってるわよ」

 手の中の蜜柑を見下ろして、きみはこくりと頷いた。
 くるりと背中を向けて、歩き出した。背中でがらりと窓が閉まる音がした。
 きみは手の中で蜜柑をころころと弄びながら、また道を歩く。

 ふう。良かった。
 きみが食べられてしまうかと思った。
 危なかったね。
 今のは、人間だよね?

「みたいだな」

 蜜柑をボールみたいに投げてはキャッチし、きみは特に興味なさそうに頷く。

「鬼に捕まってる人質じゃないか?」

 優しそうな人だったし、蜜柑貰ったし、助けてあげたいところだけど、やっぱり、難しいかな。

「鬼に喰われたくはないな」

 あそこにする? 燃やすの。

「さて、どうかな。いろいろ見て回ってから決めよう」
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