第7話

文字数 3,761文字

 数日後、香芝と山口、そして見山の三人が雁首を揃えて、不穏な空気を漂わせながら、わさび市役所観光課の課長、竹原と向かい合っていた。
「草原広場の直線道路と温泉街本通りはもともと除雪区域になっちょうからええとして、なんで温泉街と草原広場、二か所の駐車場は除雪してもらえんがか」
 眉間に皺を寄せて口を尖らせる見山の問いに、竹原が面倒くさそうに答えた。
「さっきから何度も言っちゃあ通り、そういう決まりだがぁ。スキー場が閉鎖されてからこの十数年、あがの駐車場は冬場は誰も使わんけん、除雪区域に入っとらんがぁ。だいたい、除雪の話は観光課じゃあないけん、どがもできんだがぁ」
 さっきから何の進歩もない竹原の返答に、香芝たちはいらつき、大きなため息をついた。
「だから、冬場ずっと除雪せいとは言うとらんがぁ。『雪のあかり』の前日と当日の二日間だけ、かいてくれりゃあええがぁ。そが言うてあんたから除雪を担当しとる環境管理課の方に頼んでごせって言っちょうだがぁ」
 見山もさっきから同じセリフを何度も繰り返していた。
「そんな前例はないがぁ」
「今回やれば、前例だがぁ」
「人が誰も来んかったらどがするがぁ」
「呼ぶ、言うとるがぁ。それに、除雪だけでねえがぁ。なんで金だせんがか」
 見山がぐっと身を乗り出した。竹原は口をゆがめて、嫌味な口調で続ける。
「そがな、どがのことができるかわからんことに、金はだせんがぁ。そんな前例はないがぁ」
「最低五百、多けりゃ八百は人呼ぶがぁ。そのためにはポスターやらチラシも作らんといけんだがぁ」
「今言われても、そがな金はないがぁ。今期の予算に、入っとらんがぁ。来年度なら今、予算組をしとるけん、来年からにしたらええがぁ」
 唾をかけあいながら、延々と続く二人の問答に嫌気がさしてきた香芝が口をはさんだ。
「確か、自治会活動費というのがありましたよね。調べてみると、各自治会には年間、数十万から多いところでは数百万円ほど支払われていますが、里山町には一円も支払われていません。どうしてですか」
 竹原は香芝に視線を向けると、さらにけだるそうに言った。
「里山から申請がないからだがぁ」
「じゃあ、申請すればいいんですね」
 だんだん目つきが座り始めた香芝が机に片肘をたてて身を乗り出し、竹原を睨みつけた。
 殺気を感じた山口は、さりげなく身体を数センチ後ろにそらした。
「く、くれ言うたらやれるもんではないがぁ。だいたい、よその地区と里山を一緒にはできんだがぁ。里山は住人も少ないし、里山と比べて何倍もの住民がいる地区と同じように金はだせんがぁ。居住者が多い地区に金をまわすのが当然だがぁ」
 一瞬怯みながらも、竹原は身体をのけぞらして香芝を見下ろした。
 竹原から視線をはずし俯いた香芝は、そのまま沈黙した。身体が小刻みに震えているように見える。
 勘違いした竹原は鼻の穴を広げて、勝ち誇ったように眉を上下させた。
 山口は、怖いモノ見たさの好奇心を抑えるように顔を伏せ、肩を揺らせて笑いをこらえている。
 見山は状況が呑み込めずに、口をあんぐりと空けたまま見守っている。なんとも不穏な静けさが続き、そして、沈黙が破られた。
「誰の金やねん…」
「ん?香芝さん、何か言うたがか?」
 竹原は、香芝の堪忍袋の緒が切れたことに気付かない様子でのんきに問いかけた。
 そして問いかけたことを後悔する羽目になった。
 香芝は椅子を蹴倒して、弾かれたように立ち上がり、竹原の胸ぐらを掴んだ。
「誰の金や、言うとんや。あんたの金か?あんたの懐から出す金か?ちゃうやろ?え~?税金やろ、みんな。除雪費用も自治会活動費も、あんたの給料も!税金っちゅうもんはな、市民が汗水たらして働いて稼いだゼニを、みんなのために使うたってくださいって、差し出すもんや。それを何で、あんたがエラそうに、サイフの紐握っとる気分でおるんじゃい。しかも今回は、里山町でイベントして、店もだして、人よんで、できることなら市外県外からも来てもろて、外貨稼いだろってしとるんやろが。稼いだら、それもまた税金として納めることになるわけやろが。アホか、あんたらは。エラい大学でて、そんなこともわからんのか、このアホボケカス。だいたい、書類さえちゃんと揃ってたら、ほいほい金だすんやろが。それを、もったいぶったことをねちねちと言いやがって。前例がないやと。前例っちゅうんは誰かが一回やったらそれが前例になるだけのことやろが。前例に従わなあかんかったら新しいことなんか何もでけへんやろ。新しいことせんかったら、なあんも変わらんやろが。たいがいにせいよ。ボケ!」
 言いたいことを言い放った香芝が口を閉じると、窓の外で戯れるスズメのチュンチュンという鳴き声だけが響いた。
 見山と山口が顔を見合わせ、ほくそ笑んだ。
 竹原は青ざめて硬直し、頭頂部を大事そうに両手で押さえていた。
 香芝は、この後、話をどう進めるべきか考えていなかったことを思い、竹原の胸ぐらからそっと手を放すと、息を吐きながら椅子にどしりと座って、ふてくされた顔で腕を組んだ。
 誰もが第一声を発せないでいると、一人の青年が恐る恐る近付いてきた。市役所に入ってまだ三年目の内村である。
 内村は女の子のような白い華奢な手をかざしながら、女の子のような鼻にかかった声で言った。
「あの~、これ、自治会活動費の申請書ですけん、必要事項を書いてごさるがか」
 囀るように話しかけると、何度もコピーされてつぶれた文字が印字された一枚の紙を山口に手渡した。その様子を見ていた竹原が、内村をギロリと睨み付けた。
「内村、何、勝手なことしちょうがぁ」
「課長、いっつも自治会の方が申請にこられたら、僕に手続きしとけって言われますがぁ。それに、いっつも手が遅いの、先を見て仕事を進めろのってぇ言われますがぁ。僕、今日は昼から半日休暇をもらいますけん、それまでに手続き、すませますがぁ」
 そう言って、そそくさとその場を離れた。離れ際に、そっと香芝の方を見て、軽く目配せをした。
 思ってもみない助け舟を見逃す香芝ではなかった。
「じゃあ、この書類は、山口さん、そちらで記入してください。モレがあるとご迷惑になるので、内村君の横で説明してもらいながら書いてください。その間に、私と見山館長は、除雪の件について、竹原課長とご相談しておきますので」
 香芝の有無を言わさぬ強い口調に、もはや竹原は退路を断たれた。
 結局、自治会活動費については、最低限の五十万円で話がついた。とうてい納得できる額ではないが、とれただけ良しということだ。
 除雪については、竹原が渋々環境管理課の担当者を呼び寄せ同席させた。
 話し合いの結果、除雪予算内での対応を取り付けた。車三十台ほどのスペースしかない温泉街の駐車場は里山が自力で、車二百台規模の草原広場の駐車場は半分のスペースを前日に一回だけ、入ってもらうことになった。
 竹原のもったいぶった態度とは裏腹に、除雪担当者は笑顔で快諾して席を立った。
 カラスにふんでもひっかけられたような情けない顔をした竹原に、馬鹿丁寧な礼でとどめをさすと、香芝たちは市役所を後にした。
「いや~、香芝さんがキレたときは、どがするがって思いましたがぁ」
 山口がうれしそうに香芝の肩をぽんぽんと叩いた。
「うそ言うがぁ、山口、しめたって顔してただがぁ」
「そが言う見山さんも、ええがええがって目ぇしとられましたがぁ」
 二人の会話に、香芝は少しばつが悪そうに鼻の頭を掻いた。  
 三人がはしゃぎながら市役所の駐車場へ向かっていると、その後ろを、内村青年が追っかけてきた。
「香芝さん、待ってごせ」
「ああ、内村君、さっきはありがとう。助かったよ」
 三人は振り返り、新しい同志を歓迎した。
「いえ、僕もずっと、あの課長はやれんと思ってたんですがぁ。それより、その、『雪のあかり』、僕も何か手伝わせてごせ。子供の頃は僕も里山で毎年スキーやってましたがぁ。すっかり忘れとったけん、申し訳ないような気がしてきましたがぁ」
 香芝は「もちろん」と言い、見山と山口は、「そのつもりだがぁ」と喜び、内村の肩に手をかけて笑いかけた。
 そろそろ風がひんやり感じる。香芝はぶるりと身震いをして、顔を上げた。
 市街地でいちばん高い場所に建つ、いちばん高い建物がこの、三階建ての市役所だ。だから、ここからの眺めは、視界を遮るものは何もない。
 家屋と田畑がほぼ均等に配置された平べったい町並みを、なだらかな稜線の山並みがぐるりと取り囲む。その山々はいつのまにか緑を脱ぎ捨てて、茶褐色に着替えはじめていた。
 山陰の紅葉は赤や黄色というよりは赤茶色がほとんどで色鮮やかとはいいがたいが、それでも手付かずの自然が織りなす秋の装いは、見るものの心をほぐしてくれる。
 あの茶褐色が麓まで下りてきたら、もっと寒くなるんだろうな。そして、ここより標高の高い里山町には、冬の気配が満ちてくる。
 山々の中でダントツに高い、頭一つひょっこり飛び出す里山岳を仰ぎ見て、香芝は目を細めた。
 足元の芝生の上では、まるまると肥えたツグミが数羽、ぴょこぴょこと跳ねながら、地面をついばんでいたが、香芝たちも冬鳥たちも、互いのことをさほど意識する様子はなかった。
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