第5話

文字数 6,490文字

 多いときには二メートルにもなる積雪。地域にとっては冬の悩みの種である。放っておけばただの厄介者でしかない雪を、地域の資源と考え、冬の閑散期の集客に役立てる。
 雪灯篭にキャンドルを灯す。それだけのことだが、数が多ければ多いほど、あたりが暗ければ暗いほど、幻想的な風景を創り出すことができる。
「へえ~、たいしたもんだがぁ。こがなキレイなもん、里山町でもできるがか?」
 プリントアウトされた東北の山間部の町の、雪灯篭が並べられた写真を見ながら、山口は身を乗り出した。
「ピークんときなら、ここいらの雪の量も負けんだがぁ」
 見山はなぜか、見ず知らずの東北の風景に競争心を抱いている。
「イメージとしては温泉街本通りにずらりと並べてそれを道案内に、閉鎖中の里山温泉観光ホテルの駐車場スロープへ、さらにその先の入口前、エントランス広場にはできるだけたくさんの雪灯篭を敷き詰め、ここをメイン会場にしたいと考えています」
 香芝の説明に、山口も見山も腕組みをしながら頷き、聞き入っている。
「ホテルの所有者の方に交渉したところ建物は長らく放置しているので使えないけれど広場や駐車場なら使っていいと許可をいただきました。本通りの商店では土産物や飲食物を店先で販売いただければと思ってます。どうでしょう」
 香芝は見山と山口の反応を不安げに窺った。二人は互いに顔を見合わせ、口元に笑みを浮かべて香芝に視線を向けた。
「おもしろそうだがぁ。こがなら金もほとんどかからんけん、できそうな気がするがぁ」
 山口は柔和な顔でうれしそうに言った。
「久し振りに、みんなで雪遊びってのもなかなかええがぁ」
 見山もうんうんと目尻に皺を寄せた。
「ただ、手放しにやるがやるがってわけにはいけんだがぁ。何人か、話つけんといけんもんがおるのがやっかいだがぁ」
 乗り気になってきた山口だったが、心配事はあるようである。
「商店主の方たちですか?できれば山口さんと一緒に説明に伺いたいと思ってるんです。あと、実際の作業には人出が必要になるので、里山町の住民の方々にもご協力をお願いしたいんですが」
 山口と見山は顔を見合わせて、何やら考えこんだ。
「そんなにむずかしい話ですか?住民の方たちの説明って」
 二人の様子にただならぬものを感じた香芝はとまどった。
 しばらく、う~んとうなっていた山口がぽんっと膝をたたいて顔をあげ、香芝の目をまっすぐに見て、にいっと笑った。
「わかりましたがぁ。香芝さん、とにかく、里和会を動かさんといけんがぁ」
「りわかい?や、やくざですか?」
 聞き慣れない組織の名前に香芝が目を瞠った。
「里山の和の会で里和会。ここいらで祭りやなんかのときには、力仕事を引き受けてくれる連中だがぁ。祭りの準備して、当日は焼き鳥なんかの屋台やって、活動資金を調達してるだがぁ」
「活動資金って?」
「飲み代ですがぁ」
 山口が上目遣いで香芝を見た。
「最初はただの飲んだくれ集団だったんですが、こがままではいけん、地元に貢献するがって取りまとめたのがシシ肉加工所の辻龍介ですがぁ」
「なるほど、その辻さんに話をつければ会場の設営を引き受けてくださると」
 香芝は顎に手をあてて納得した。
「あの人が乗り気になれば他のモンは嫌とは言えんだがぁ。メンバーは二十人ほどおるけん、頼りになるがぁ。けど、祭りは好きなんだがぁ、こがな洒落たもんに興味もつかどうかが想像つかんのですがぁ」
 眉間に皺を寄せる山口の横で見山も腕組みしながら頷いた。
 香芝は「ふうん」と口をすぼめて、二人の様子を眺め、満面の笑みで言った。
「わかりました、私が説得してみます。その方がキーマンなんですね。なんとか口説きおとしましょう。善は急げです。さっそく行きましょう。山口さん、案内お願いします」
 立ち上がりかける香芝の横で、山口と見山はえっと驚きの声をあげた。
 困り笑いの表情をした山口に、見山はにやにやしながら、手を振って「行け行け」と急き立てた。
 嬉々として公民館から出て行く香芝の後から、気乗りしない様子の山口が、恨めしそうな視線を見山に向けて、とぼとぼとついて行った。
 二人を見送る見山の含み笑いに、香芝は気付いてはいなかった。

 公民館から山口の軽トラックに揺られて五分ほど行くと、民家もまばらな荒地の真ん中にぽつんと建ったプレハブ小屋が見えてきた。
 空き地に適当に車を停め、香芝が助手席から降りた時、山口のスマホが鳴った。
 運転席に座ったまま、電話にでる山口をそのままに、香芝は空き地をぶらぶらと歩き、プレハブ小屋の前に立った。
 入口の横に『シシ肉加工・販売 辻』と書かれた板がぶらさがっている。
 山口の電話が終わるのを待ちながら、その看板を眺めていると、ふいに背後に人の気配を感じた。振り返ろうとしたとき、いきなり後ろから丸太のようなものが首に絡みついた。
 突然のことにパニックになりながら、自分の首に巻き付いているのは恐ろしく太い腕だと気づいた、が、なすすべがない。極太の腕はニシキヘビが獲物をぐいぐいと締め付けるように香芝の首を捉えて放さない。息も絶え絶えに、声がだせずにいると耳元で地の底から響くような声がした。
「こがな垢抜けた服着とるヤツが、こがとこ来て何しとるがか。怪しいヤツだがぁ。何者がか」
 返答しようにも、首を絞められていて声がだせず、香芝がうごうご呻いていると、さらに力がかかった。丸太の腕にぷっくりと血管が浮き出ているのを下目で見ながら、意識が薄れそうになったとき、遠くで叫び声がした。
「リュウちゃん、無茶しちゃあいけんがぁ。そが人は、客人だがぁ」
 電話を終えた山口が、慌てて駆け寄ってきた。
「おう、和尚の知り合いがか。これはすまんことしたがぁ」
 とたんに、気道に空気が通った。すっと丸太が視界から消えると、香芝はその場にしゃがみこみ、げほげほとむせこんだ。
 肩で息をしながら涙目をぬぐい、なんとか落ち着くと、自分の背後にいる人間をゆっくりと見上げた。
 逃げたいと思った。
 目の前にいる男は冗談みたいに怖かった。身長は二メートル近いと思う。スキンヘッドで眉間には三日月傷という絵に描いたような凶暴顔。おまけに、天然なのか剃っているのか眉毛が薄く、その下の目は爬虫類のように鋭い三白眼。鼻髭を生やした口元をひしゃげて不敵な笑みを浮かべている。
 そして、筋骨隆々の太い腕を強調する迷彩柄のタンクトップにお揃いのニッカポッカというトータルコーディネート。こんな服、どこで売ってるんだろうか。
「和尚、わしになんか用がか」
 怖い男は、亡者がうめくような声で言った。
「リュウちゃん、久しぶりだがぁ。あ、こちら、わさび市観光プロデューサーの香芝博実さんだがぁ」
 山口は香芝を紹介しながら背中を押して、捧げものをするかのように突き出した。
 いきなり紹介されて香芝はびびった。
 びびりながら、なんだか和尚こと山口に、はめられているような気がした。
 しかし、ここで怯んでは話が前に進まない。確かに、こんな人を味方につけることができれば、いろんなことが上手くいく、ような気がする。
 香芝は乱れた襟元を直し、こほんと咳払いをして、リュウちゃんの目をまっすぐに見据えた。
 森でいきなり野生動物と出会っても、びびっていると悟られてはいけない、冷静にならなければ襲われると、美香が言っていたのを思い出し、すでに一度襲われていたが、なんとか冷静沈着を装うために腹に力を込めて、低音の弦楽器のような声を発した。
「は、はじめまして。香芝です。今日は、辻さんにお願いがあって伺いました」
 リュウちゃんはスナイパーのような目つきでゆっくりと香芝に視線をロックオンした。
 野生動物と目があったら、こっちから目線をはずしてはいけない、危険だ、と美香が言っていたので、香芝はぐっと、リュウちゃんと目線を合わせ続けた。ほんの十数秒のことだが、脇の下に変な汗がにじみ出て、胃がきりきりと痛んだ。
「ほお、こがな洒落たもん首からぶら下げたヨソモンが、わしに何の用があるがか」
 リュウちゃんは、香芝の首に結ばれた、子犬が落ち葉と遊ぶ絵柄の刺繍が施されたモスグリーンのネクタイを掴みながら、三白眼を据えたまま言った。
 香芝は大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出すと、
「里山町の再生、について、です。辻さんに、どうしても、ご協力、いただき、たくて」
と、負けじと目線を合わせたまま、声を絞り出した。
 ふっと、リュウちゃんの目元が三角になった。襲われる、と思ったが、どうやら笑みを浮かべたようだった。
「あんた、肝はすわっちょうみたいだがぁ。協力ってなんだがぁ」
 話は聞いてもらえそうだが、リュウちゃんの警戒心はまだむき出しのままである。
 対峙する二人の様子を傍観していた山口が我に返って間に割って入った。実にいいタイミングだ。
「立ち話もなんですけん、リュウちゃん、ちょっと場所貸してごせ。見せたいもんもあるけん」
 山口の仲介に、リュウちゃんは渋々といった感じで承諾し、二人をプレハブ小屋の中に招き入れた。
 六畳ほどのスペースに、スチールの机がひとつと丸椅子が四つころがっただけの簡素な事務室である。奥に扉がもう一枚あり、どうやらそこが加工場のようだ。
 机を挟んで三人は丸椅子に腰かけ、香芝が先程、山口と見山に見せたプリントアウトの写真を机に広げた。
 リュウちゃんはちらりと写真に目を向けて左の片肘をつき、右手の指先でこつこつ写真を叩きながら「こがは何だがぁ」と香芝に視線を戻した。
「冬の里山町にあかりを灯すんです」
 香芝も写真に指を添えながら、リュウちゃんの目をじっと見据えた。
「あんたみたいなヨソモンがぁ、こがな田舎をどがするがか」
 リュウちゃんはイライラした様子で香芝を睨み付けた。
 香芝は一度視線を下げて深呼吸してから、またリュウちゃんと目線を合わせた。
「まちづくりにはワカモノ、バカモノ、ヨソモノの三役が必要だといわれています」
 香芝の言葉にリュウちゃんがふっと鼻で笑った。
「そがか。じゃあ、わしはバカモノがか」
「そうです。バカモノの役割をお願いしたいのです」
 香芝の迷いのない口ぶりに、山口は恐る恐るリュウちゃんの顔色を窺った。
 リュウちゃんの目元は薄笑いのまま、香芝を捉えて離さない。今にも絞殺されるんじゃないだろうかと気をもんだ。
 しかしリュウちゃんはあくまでも冷静に口を開いた。
「わしはあんたみたいに学はないけん、バカモノだがぁ。そのバカモノに何をさせようって思っとられえがか」
 地響きのような声に気圧されながらも香芝は懸命に説明した。
「冬の雪深い時期に、イベントを開くんです。厄介者の雪を利用して、雪灯篭を灯します。その会場設営には地域の方々の協力が不可欠なんです」
 香芝が雪灯篭について、無心に話している間、リュウちゃんはほとんど、まばたきすることなく香芝を凝視していた。
「それでですね、本通りからスロープに並べて、お客さんはメイン会場のエントランス広場までたどり着きます。そこは数百個の雪灯篭で埋め尽くされています」
 怪訝な顔をしていたリュウちゃんは、だんだん目を大きく見開いた。次第に視線を机の上に移し、やはりまばたきすることなく雪灯篭の写真を食い入るように見ていた。
 香芝が話終えると、辺りは不気味な静けさに包まれた。
 沈黙したまま、写真に穴が開くほど見入っていたリュウちゃんは、香芝の方に顔を向けると、ゆっくりとまぶたを閉じた。まぶたを閉じているが、半目に白目が覗いているのが恐ろしかった。
 香芝と山口は固唾をのんで、リュウちゃんの動きを待った。
 プレハブ小屋の外で、「くわあ」と数羽のカラスの間抜けな鳴き声が遠ざかって行った。
 まぶたを閉じたままのリュウちゃんの口が動いた。
「ロマンチックだがぁ」
 香芝と山口は、思わず顔を見合わせた。
「雪んなかに、こう、ぽぉ、ぽぉっと、あかりが灯る光景が見えるだがぁ」
 半目の白目に野太い声で、リュウちゃんはうっとりとつぶやいた。
「わしがこんまい頃みたいに、人がわんさかやってきて、雪灯篭の間を楽しそうに歩いちょうだがぁ。地元のもんも、よそから来てごさったもんも、どの顔もみんな、笑っちょうだがぁ。ぎょうさんの人が、里和会の焼き鳥の前に列作って、わしのシシ汁をはふはふ言いながら食っちょうだがぁ」
 美しい妄想の中に浸り続けるリュウちゃんを見ながら、山口が香芝を肘で小突いた。香芝が驚いて山口を見ると、目で「今だが」と合図していた。
「ご、ご協力、いただけますか?」
 予想外の展開に思わず香芝の声が裏返った。
 リュウちゃんは、はっと目を見開き、しばらく夢から覚めたような顔をして、にやりと笑った。
「こがな洒落たもん、里山でやれるとは思ってもみんかったがぁ。さすが、大阪からわざわざ、こがな田舎へ来てごさった先生は、わしらが想像もせんようなことを考えなさる」
 まぶたを開けたリュウちゃんは、三白眼に優しい光を宿していた。眉間の三日月傷もにっこりと微笑んでいるように見える。
「いえ、先生じゃないですよ、ただの観光プロデューサーです」
 とまどう香芝に、リュウちゃんはにこにこしながら首を横に振った。小学生くらいの無邪気な子供のような仕草だった。
「ぷろでえさ?わしは学がないけん、そがな言葉はようわからんがぁ。センセでええだがぁ。和尚、香芝センセ、里和会が協力すれば、大船に乗ったモンと思ってごせ。ぐぅおぐぅおぐぅお」
 地鳴りのような笑い声をあげながらリュウちゃんは丸椅子を蹴散らし、小躍りしながらどこかへ立ち去ってしまった。
 香芝は山口と顔を見合わせてほっと胸をなでおろした。
「香芝さん、やりましたがぁ。いや~、リュウちゃんを取り込むっちゃあ、たいしたもんですがぁ」
 山口が香芝の手をとり、労いの言葉をかけた。安堵の笑みをうかべながら、さて帰るだがぁと出口に向かい、扉を開けると、二人は同時に「ひゃあ」と声を上げて、のけぞった。
 扉を塞ぐように、立ち去ったはずのリュウちゃんが口が裂けたのかと思う程の大口で、大笑いしながら腰に手をあてて立っていた。
「ぐぅおぐぅおぐぅお、センセ、イノシシの仕留め方、知っちょうがか?」
 立ち去ったのではなく、興奮を鎮めるために、辺りを一周してきただけのリュウちゃんは、荒い息のまま、唐突に香芝に問うた。
「ひえ、イノシシの仕留め方?あ、はいはい背後から後ろ足掴んでど~んでしょ」
 後ずさりしながら、見山の手振りを真似て答える香芝に、リュウちゃんは三角の目で微笑み返しをして人差し指を目の前で左右に振った。
「そがなやり方は、子供か年寄のすることですがぁ。もっと大物仕留めるやり方はコレですがぁ」
 リュウちゃんは、右手の親指をたてて自分の喉元を一文字に切り裂く仕草をして、にんまりと笑った。眉間の三日月傷がぴくぴくと引きつっている。
「百キロくらいまでの大きさなら、突進してきたところをかわして、ナイフ一本で仕留めるだがぁ。それ以上になると、車で轢くのが早いがぁ」
 香芝は目を瞠り、絶句した。もう、わけがわからない。そんな話聞かせて、どうするというのだ?
「仕留めたイノシシはすぐに血抜きをせんといけんだがぁ。この手間がシシ肉の味を左右するだがぁ」
 呆然とする香芝をよそに、リュウちゃんは得意げに続けた。
「センセには、そのうち、旨いシシ肉食わしちゃあけん、楽しみにしてごせ。ぐぅおぐぅおぐぅお」
 そう言い残すと、竜巻のような砂埃をたててリュウちゃんは今度こそ去って行った。
 香芝は、我が家の玄関で、丸太に前足と後ろ足をくくりつけられ白目をむいたイノシシを、軽々とかついだリュウちゃんと遭遇して卒倒する美香を想像し、ぎゅっと目を閉じて首を大きく振った。
 青ざめる香芝の様子を横目で見ていた山口は、柔和な顔でへらへらと笑う。
 だんだら雲の隙間が茜色に染まる空の下、風に揺れるすすきの上を、夕焼け色のトンボの群れが、ふわりふわりと、機嫌よく舞っていた。
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