第15話

文字数 6,464文字

 長かった梅雨があけ、夏の日差しが日増しに強くなる頃、里山町では風鈴の取り付け作業が行われていた。
 子供たちと美香によって絵付けされた風鈴は全部で三百個ほど。それでは足りないので絵柄の入ったものを三百個買い足した。
「そんなに詰めて吊るすと、風鈴同士があたって割れちゃあけん。適度に間をとらんといけんだがぁ」
 山口の指示で、『たぬき湯』の入口にぎっしり風鈴をぶら下げていた内村が首を捻りながら、恐る恐る、まびいている。
 夏場でも、そよそよと山風が通る温泉街では、思いのほか、風鈴がよくゆれた。
 お狐さんの参道には竹を縦横に組み上げた風鈴棚が設置され、五十個以上の風鈴が頭上にぶら下げられていた。じゃらりんと鳴る風鈴の天井を見上げると、いつか見たビールのテレビコマーシャルのようだと香芝は思った。
 温泉街本通りの商店や空家、民家の軒下にも数個ずつ、風鈴が吊るされている。
 中には、玄関脇に竹製の柵を組み、十個ほどの風鈴と造花をあしらって飾り付けている民家もあり、それぞれの人たちが楽しんでいる様子が窺える。
 そして、温泉街の端の民宿跡では、野天風呂の設置作業が勇次たちによって行われていた。
 日差しを真っ向から浴びて作業に勤しむ若者たちに、とぼとぼと顔を出した香芝は声をかけた。
「手伝おうか」
「センセ、草刈り機なんて、使ったことないですがぁ。こっちはおいに任せてごせ」
 しばらく放置されていた庭に、腰の高さまで生い茂っていた雑草を、数人の若者たちと一緒に、草刈り機で片っ端から刈り取っていた勇次が、香芝に気を使いながら言った。
 建物の脇では、里和会のメンバーの水道屋の青年が、民宿の源泉から温泉を庭の方へ引き込む工事を黙々と行っている。
「手伝おうかって言っても、これこそ俺の出る幕ではないか…」
 遠慮がちに覗き込む香芝に、真っ黒に日焼けした、たくましい角刈りの青年が、白い歯を見せて会釈した。
 力仕事となると、香芝はどちらかというと足手まといになるようだ。仕方がないので、ぶらぶらと歩いて『たぬき湯』の方まで戻った。こちらもだいぶ、設置作業が進んでいる。
「香芝さん、こがな具合でどがですがか」
 退屈そうに寄ってきた香芝に、山口が声をかけた。
 香芝は『たぬき湯』の入口や軒下に吊るされた風鈴を見上げ「上出来上出来」と頷き、ふと足元に置かれた竹製の柵に目を向けた。
「この小さな柵はどうするんですか」
「そがは、入口の左右に立てかけて、そこにも吊るそうと思っとりますがぁ」
「あ、それなら、やりますよ。お~い、内村君、こっち一緒に手伝って」
 香芝が呼ぶと、内村が脚立を持って駆け寄ってきた。やっと仕事を見つけた香芝は、内村と二人でせっせと作業をはじめた。
「香芝さん、無理せんでええですがぁ。ケガでもされたら困りますけん」
「そがそが、風鈴割って、手え切ったりせんでごせ」
 山口や里和会の面々が香芝の危なっかしい手元を見て、口ぐちに注意する。やっぱり身体を使うことでは、ごまめ扱いの香芝であった。

 夕暮れ。すべての作業を終えた、里山温泉街本通りは、色とりどりの風鈴で埋め尽くされていた。
 心地いい山風にゆられて、あちらこちらから、じゃらりん、じゃらりんという、涼しげな音色が賑やかに響き渡る。
 お狐さんの参道の風鈴棚の下では、早くも数人の里和会メンバーたちが座り込んで、ビールを旨そうに飲んでいる。無数に吊るされた風鈴を、酔いどれ眼で見上げて、悦に入っているようだ。
 民宿の庭先には、期間限定ではもったいないような立派な野天風呂が完成していた。
 木材で枠組みを作り、そこに葭簀を立てかけた囲いの正面に、『おんせんdeふうりん野天湯遊び場』と板に墨書きされた看板が掲げられている。
 本当は野天風呂と書きたかったのだが、風呂として使うためには保健所の許可が必要で手間がかかってしまうため、湯遊び場としてごまかすことにした。保険所の担当者に苦い顔で嫌味を言われたが、今回だけ見逃してくれるようだ。
 囲い中央、看板横の入口部分にかけられた『ゆ』の暖簾をくぐって中に入ると、すのこが敷かれていて、簡単な脱衣棚と脱衣籠が設置されている。
 草が刈り取られ、すっきりとした庭の中央に、直径三メートルほどの丸い大型ビニールプールが置かれていて、宿から引かれた太いパイプの先に取り付けられた、斜めに切った竹の筒から、茶色い湯がなみなみと注がれ、プールから溢れ出していた。
 プールの周辺には藁紐が張られて風鈴が数個吊り下がり、ちりん、ちりんと愛らしい音色を奏でている。
「すごい。これはすごい」
予想以上の完成度に香芝が目を丸くした。
「おいたちも、やるときはやるだがぁ」
 香芝の驚く顔に気をよくして、勇次と里和会の若ものたちが自慢げに腰に手をあてて胸をはった。
「せっかくですけん、いちばん風呂はセンセが入ったらええがぁ」
「え、いや俺はまた今度で…」
 冗談とは思えない、獲物を追い詰めるような目つきで近付く勇次を前に、香芝は手を振りながら後ずさった。
「遠慮することないですがぁ」
 勇次は指をぽきぽき鳴らしながら、香芝との間合いを詰めて来た。しかし、彼が手を伸ばして腕を掴むより、ほんの数秒早く、香芝は身をかわした。こういうときの反射神経は冴えている。
「あ、写真撮って、マスコミにリリース送らないと。カメラ取ってくるよ」
 このままでは、数人がかりで無理やりプールに放り込まれることは間違いない。身の危険を感じた香芝はそそくさとその場を立ち去った。
「なんだぁ、つまらんがぁ」
 勇次は、あっという間に逃げ去る香芝の後ろ姿を見ながら、物足りないとぼやいて振り返った。
 他の候補者を選ぶべく、若者たちをぐるりと見回すと、たくましい水道屋の青年の白い歯が目に入り、急に嫌な予感がした。
 急いで目をそらし、立ち去ろうとしたが、若者たちが一斉に勇次に飛び掛かる方が早かった。
 盛大な水しぶきの音とくぐもっと叫び声は、急ぎ足の香芝の耳には届かなかった。

 香芝が送ったリリースが功を奏し、新聞やテレビで『おんせんdeふうりん』が取り上げられると、里山温泉街本通りに、ちらほらと人が訪れた。
 中でも、アマチュアカメラマンたちが思い思いの場所でカメラをかまえ、何枚もの写真におさめている様子が目立っていた。
 香芝が制作したクーポン付きの蕎麦屋のリーフレットも好評で、それぞれの店で手ごたえを感じているようだ。
 そして、あの、野天風呂は、ネット上で秘かな話題となっていた。
 たまたま通りかかったライダーやドライバーが、突然出現する謎の葦簀囲いに目を止め、二度見して引き返し、恐る恐る中を覗いて驚き、おもしろがっている。そのうち半分くらいの強者たちは、タオル持参で入浴する。みんな、SNSに画像をアップしてくれた。
 好調な出だしに、里山町の人々は、久し振りに賑やかな夏を迎えていた。
 しかし、自然は味方であり敵である。

 八月に入って間もなくの頃、台風が訪れた。直撃ではなかったのだが、里山町でも激しい雨風に見舞われた。
「ありゃりゃ~。えらいことになっちょうだがぁ」
嵐が去った後、山口と香芝は、温泉街本通りの有様を見て呆然とした。
 竹で作った柵は意外と頑丈で、大きな損傷は見られない。風鈴がいくつか破損していることは予想していたのだが、やっかいだったのが、風鈴の紙製短冊が、雨で破けて、ちぎれ落ち、道端に散乱していたのである。これでは風鈴は、涼やかな音色を奏でることはできない。
「ほとんど、全部やられてますね。うかつでした」
「外して、直して、とりつけるとなったら、大変だがぁ」
 香芝と山口は、頭を抱えた。
 最初の取り付けのときのように、前々から予定していたわけではないので、作業できる頭数は前回の半分にも満たない。
「仕方ないですね。とにかく、できるとこまでやりましょう」
 ひとまず、割れた風鈴や散らばった短冊を箒で掃いていると後ろから声がした。
「なんか手伝うよ~」
 箒と塵取りを持った美香が立っていた。
「美香か。ちょうどよかった。ここはいいから、街へ戻って、短冊買ってきて」
 香芝が、美香に糸だけがぶらさがった風鈴を指差した。
「ありゃりゃりゃ。そっか、紙やから濡れるとこうなるわな。了解。ビニールとか、耐水性のん見繕ってくるわ。短冊状にしとく」
 美香はにっこり笑って敬礼すると、脱兎のごとく立ち去った。
 引き続き、箒を使っていると、また、後ろから声がした。
「手伝いますけん、何したらええですがか」
 振り返ると、十数人の中高生と思しき、Tシャツ短パン姿の真っ黒に日焼けした男子女子たちがずらりと並んでいた。
「夏休みで、退屈しちゃあけん、何でも言うてごせ」
 思わぬ助っ人に、山口と香芝は顔を見合わせ、満面の笑みをうかべた。
「助かるがぁ。じゃあ、まずは吊り下がってる風鈴、全部外してごせ」
 山口が短冊がなくなった風鈴を指差すと、子供たちは一斉にとりかかった。
「ガラスが落ちとるとこがあるけん、けがせんよう、気をつけてごせ」
 大人たちの心配をよそに、子供たちは風鈴を外す係と、箒と塵取りを持って掃く係に分かれて作業しはじめた。一番年長者の高校生が、こまめに指示をだしている。
「すごいチームワークですね。部活みたい」
 香芝は目を丸くして感心した。
「ここらは子供も少ないけん、みんな兄弟姉妹みたいなもんだがぁ。子供のうちから縦社会ができあがっちょうだがぁ」
 山口の説明に、香芝はさらに感心して頷き、手際よく働く子供たちを眺めていた。
 まちづくりというものは、大人たちは子供に返り、子供たちを大人にする。この連鎖をとぎれさせないことこそ、まちの再生につながるのだ。
「香芝さん、手、とまっとるだがぁ。できれば美香さんが短冊持ってきてごさる前に、風鈴外してしまうがぁ」
 大人たちも負けじと、せっせと働いた。
 昼過ぎ、美香が短冊の束を持って里山町に戻ると、ほとんどの風鈴が外されて、餅を並べるプラスチックの箱に、綺麗に並べられていた。
「美香さん、また、えらいカラフルな短冊ですがぁ」
 山口は、美香が持ってきた、ホログラムが施された色とりどりの短冊を手にして、眉毛をハの字に下げて笑った。
「どうせなら、これくらい賑やかなほうがいいでしょ。さ、取り付けましょ。は~い、みんな、これ取り付けて~。穴はあけてるからそのまま糸に通して。糸が切れてたら、こっちにビニール糸もあるから、それ使ってくれたらええし」
美香は何の違和感もなく中高生の中に溶け込むと、てきぱきと指示をだし、彼らもまた、何の疑問も感じることなく黙々と動き始めた。
 一日では無理と思われた修繕作業だったが、なんとか日が暮れるまでに終了した。
 再び吊るされた風鈴がじゃらりんじゃらりんと鳴り響き、西日に照らされた短冊が、きらきらと光りを反射させている。
 作業を終えた中高生たちは、美香が佐野商店で買ってきたアイスクリームをむさぼり食っていた。
 その姿を見ながら、山口は、この子たちみんながこの里山に残ってくれるかどうかは、今の自分たちにかかっているんだなあと実感した。
 夕陽で真っ赤に染まった里山温泉街本通りに、再び息を吹き返した、無数の風鈴の賑やかな音色が、山風にのって、どこまでもどこまでも続いていた。

 八月の末まで、時折、夕立の雨に打たれることはあったが、取り付け直した風鈴は、ほとんど破損することはなかった。短冊を耐水性のものに変え、風鈴同士の間隔を少し広げたことがよかったようだ。
 山口と香芝は公民館の事務室で、茶を飲んでいた。
「思ったよりよかったですがぁ。帰省した連中が、こがな洒落たことが里山町でできるとは思わんかっただがぁって驚いとりましたがぁ。ちょっと鼻高々でしたがぁ」
「蕎麦屋さんも新規のお客さんがリピートしてくれてるようで、まずまずの成果がでたみたいです」
 和気あいあいと話をしている二人の横で、見山はテレビをつけたまま、こくりこくりと居眠りしている。
「また、来年の二月には『雪のあかり』をやることになっとるし、今度は早めに実行委員会を立ち上げて、改善するところは改善して、新しい試みも考えんといけんですがぁ」
「そうですね。今回は、すんなり市からの援助金も上乗せしてでますし、シャトルバスは大型のものを二台手配しましょう。除雪も前日と当日で了解してもらいます」
 二人は茶をすすりながら、カレンダーを見て、実行委員会は稲刈りが終わってひといきついた十月の末には立ち上げることにしようと決めた。
「なんだか、里山町が生き返ったような気がして、楽しくなってきましたがぁ」
 山口が心地よさそうに船を漕いでいる見山の前に置いてあった蕎麦饅頭をふたつ、そおっとつまみあげて、ひとつを香芝の前に差し出した。
「でも、山口さん、単発のイベントだけではいつか頭打ちしてしまいます。雪のあかりも風鈴も、どこでも真似しようと思えばできることですから」
 饅頭の包装紙を開けていた山口が、不思議そうに顔を上げて香芝を見た。
「やっぱり、ここは温泉、それから蕎麦もちゃんとウリにしないと、長期的な話はできません。なんとか新しい日帰り入浴施設を作るべきです。安定した集客が見込めるヘソが必要なんですよ」
 そう言って、香芝も饅頭に手をのばした。
「そがなこと言われても、市が簡単に作ってくれるわけないですがぁ」
 饅頭にかぶりつきながら言い訳する山口を見据えて、香芝もぱくりと饅頭を口にし、茶で流し込んでからさらに続ける。
「市に金はださせるにしても、町民の総意がなければ市は動きませんよ。そうやって誰かがやってくれるのを待ってるのが一番ダメだっていっつも言ってるでしょうが」
 説教されて、居心地が悪くなった山口は茶を淹れ替えに席を立った。
「香芝さんの言うことはわかっちょうだがぁ、けど、正直、ここの湯が、そがに人を集めるもんになるがか、わからんですがぁ」
 急須にポットの湯をじょぼじょぼ注ぎながら、山口は口を尖らせた。
「問題は、そこなんですよねえ。なんでこんないい温泉をみなさん、たいしたことないって言うんやろ」
 香芝は腕を組んで首を捻り、う~んとうなった。その様を真似て、山口もう~んとうなってみた。
 惰眠をむさぼっていた見山がう~んと伸びをしながら目を覚ました。
「あんたら、もう、日が暮れえだがぁ。今日はこれくらいにして、帰るだがぁ」
 見山に言われて、随分時間がたっていたことに二人は気付き、今日のところはお開きにした。
「まあ、そがに急がんでも、日帰り温泉の件は、追々、一緒に考えてごせ」
 山口は、事務室から出る香芝の背中に向かって言ったが、それに対して、香芝は「そうですね」と、生返事をするだけだった。
「九月に入ったら風鈴の撤収ですね。また来ます」
 公民館の玄関先で、くつを履きながら香芝が言った。
「よろしくたのんますがぁ」
 山口の間延びした返答に会釈し、ふと、香芝は玄関ポーチの脇に目を向けた。
「あれ、今年も咲いたんですね。なんてったっけ。そうそう、タカサゴユリか。すっかりここに根付いてるんですかね」
 玄関ポーチのコンクリートと土の隙間から、にょっきりと一メートルほど伸びた茎の先端に、白いはかなげな花が、うつむきながら風にゆられている。
 そういえば、去年の夏の終わりに、初めて香芝がここを訪れたときも咲いていた。
「来年あたりは咲かんかもしれんがぁ」
 風にゆれる花を見ながら、山口がぽつりと言った。
「どうしてですか?」
 香芝が不思議そうに振り返り、山口の顔を見て訊ねた。
「こういう野生のユリは、同じところに何年も居つきませんがぁ。根無し草ではないけど流浪グセがあるがか、しばらくすると、違う場所に飛び立っていくんですがぁ」
「流浪グセ、ねえ…」
 風が吹くたびにゆれ動くタカサゴユリの、どこかもの悲しい花弁を見つめながら、香芝が固い表情を見せたが、山口はさほど気にはとめていなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み