第11話

文字数 3,198文字

「本日は、朝から悪天候だったけん、決行が危ぶまれちゃあがぁ、なんとか開催することができましたがぁ。みなさんご協力、ありがとうございますだがぁ。ご来場のお客さんも、スタッフの皆さんも、存分に楽しんでごせ」
午後六時。見山の開会のあいさつで、無事、『雪のあかり』が開催された。すでに会場には、スタッフを除いて百人近い来場者が訪れている。
 会場まで徒歩で行ける温泉街の駐車場はすでに満車で、草原広場の駐車場からも里山交通のマイクロバスに乗った来場者が次々とやって来る。
「香芝さん、草原広場の駐車場もどんどん車が入ってきますがぁ。バスが追い付かんで、行列になっちゃあがぁ」
 駐車場整理をしていた里和会メンバーから泣きの電話が入った。
「やばいなあ。この寒さのなか、あんまり長くお客さん待たせると、評判が落ちる。里山交通さんにもう一台、バスだしてもらえませんか」
 香芝が山口に頼んで、携帯電話で里山交通の社長に連絡してみたが、呼び出し音が鳴り響くだけで繋がらない。
「駄目ですがぁ。社長、どっかで飲んだくれとるに違いませんがぁ」
 二人が困り果てて、腕組みしながら眉間に皺を寄せていると、マコちゃんがひょっこり現れて言った。
「軽トラの荷台に乗せますがか」
「おおそれはええって、なんでやねん、マコちゃん。無茶やろう。みんな凍えてしまうわい」
 香芝は冗談だと思って、手首を返しながらノリつっこみで返答した。
「そがな香芝さんはまた、大げさだがぁ。草原広場からここまで、五分もかからんけん、ちょんぼし我慢してもらやあええがぁ」
 どうやら冗談ではないマコちゃんの様子に香芝はあせった。
「今、気温マイナス三度くらいやろ」
「普通だがぁ。もっとさぶいときはマイナス十度までいくがぁ」
 自慢げに手を振るマコちゃんを不安げに見ながら香芝はなんとか説得を試みた。
「一般的に、風速一メートルで体感温度が一度下がるって言うよな。マイナス三度に時速四十キロの風あててみ。鼻もげるわ」
「そがですがか?勇次で試してみちゃあか」
 名案を諦めきれないマコちゃんを宥めているところに、里山荘の宿泊客を乗せた送迎バスが入ってきた。
「皆さん、お足元、お気をつけください。滑って転ぶと痛いですからね」
 最初にバスから降りて案内しているのは飛田だ。それを見た山口が飛田に駆け寄った。
「トンビの旦那、里山荘のバス、一台、貸してごせ」
 事情を説明すると、飛田は快諾した。
「飛田さん、そんなことして支配人は大丈夫なんでしょうか」
 気遣う香芝に、飛田は外国人のような仕草で人差し指を顔の前で振った。
「香芝さん、ご心配なく。その代わり、バスに乗ったお客さまには、うちの日帰り温泉と食事の宣伝、させてもらいますよ。それで売上があがれば、支配人も文句は言えませんでしょう。あと、そちらの帰りのバスでも里山荘で途中下車を希望されるお客さまがいたら、対応してもらってくださいね」
「トンビの旦那は、ぬかりないだがぁ」
 山口のあきれ顔に、飛田は紳士的な微笑を返しながら右手をあげて会釈し、宿泊客の案内に走って行った。
「いやあ、よかったがぁ。マコちゃん、軽トラ作戦は中止だがぁ。あれ、マコちゃん、どこ行ったがか」
 香芝と山口がほっと胸をなでおろしている間に、マコちゃんの姿は消えていた。
 
「マコっさん、とめてごせ~。い、痛い、顔が、鼻が、千切れるがぁ~~~」
 草原広場をつっきる道路では、気の毒なパンチパーマの青年を荷台にくくりつけた一台の軽トラが猛スピードで走りぬけるのを、すれ違った里山荘のバスの乗客たちが不思議そうに眺めていた。

 里山温泉街本通りは、日頃の静けさとは比べようもない賑わいを見せていた。
 それぞれの店先では土産物や、あたたかい食べ物、サンドイッチ、弁当などを並べて、呼び込みをしている。
 いつもは空席ばかりが目立つ『食堂よしかわ』も今夜は大繁盛だ。名物ジンギスカン鍋の、食欲をそそる秘伝のたれの匂いが店の外まで流れ出て、さらに客を呼んでいる。
 高木菓子店では、五代目の良太がきんつばを客の目の前で焼いて提供する実演販売をしていると、後ろから先代が顔をだし、焼き加減のダメだしをしていた。
 佐野商店では、肉まんのショーケースを表にだし、横では湯を沸かした大きな鍋の中で、甘酒とカップ酒を温めていた。
 小島商店は通常営業だが、店の横の空き店舗を開放し、大きな石油ストーブをどんと据えて、椅子をいくつか並べた無料休憩所を開設した。ほっとくつろぐ来場者たちの間をぬって、小島の妻が湯呑をのせたお盆を手に「よかったらどうぞ」とあたたかい茶を振る舞っていた。
 難癖をつけたがる喫茶狩人の菅原夫妻もおにぎりをせっせと売りつけていた。今日はなぜかエセ里山人として変な方言を「が~が~」とばしている。奴らはいったい、本当はどこの出身なんだろう。
 公民館と婦人会の屋台では、香芝が提案したセルフ焼き餅が好評で、並べられた七輪のまわりを人々が取り囲み、餅が焼けるのをわくわくした表情で待ち構えていた。
 その横のテントでは、乾いた薄切りのハムのようなものが売られていた。
「これ、何ですか?」
 美香が興味深げに覗き込むと、婦人会の年輩の女性がつまようじに突き刺して「どうぞ」と差し出した。遠慮なく受取り、ぱくりと口に放り込んだ美香の目尻が下がった。
「美味しい。鴨ですか」
「そうだがぁ。鴨の燻製だがぁ。こないだまで、合鴨農法をやっとったんだがぁ、もうやめたけん、調度よかっただがぁ」
 美香は一瞬、口の動きが止まったが、女性の屈託のない笑顔を見ると、一皿くださいと購入した。鴨さん、最後までありがとうと感謝しながら美味しくいただいた。
 里和会の屋台では焼き鳥が飛ぶように売れている。これでまた活動資金を調達して、里山町で唯一のスナック『やまんば』へ繰り出すのだろう。
 リュウちゃんのシシ汁も盛況で、途中、材料が足りなくなって、急遽追加していた。
 香芝が美香と屋台コーナー脇に設置されたドラム缶たき火に手をかざしていると、屋台のリュウちゃんが手招きした。
「ヒロちゃん、毛のない熊が呼んでる」
 びびる美香に、大丈夫、案外いい人だからと説明して、近付いていくと、お椀になみなみと盛られたシシ汁を渡された。
「センセ~、あ、奥さんですがか。こがな田舎に、センセと一緒に来てごさって、ありがとうございますがぁ。おかげで、何十年ぶりかわからんくらい里山が賑わっとりますだがぁ。これ、わし自慢のシシ汁ですけん、食べてみてごせ」
 白い湯気をたてたシシ汁は、みそと肉の香ばしい匂いがした。恐る恐る口をつけてみる。
「旨い。これは旨い。丹波篠山の料理屋で食べたぼたん鍋よりもずっと旨い」
「うん、すごい美味しい。シシ肉の臭みがぜんぜんなくって、お肉がほろって口の中で崩れるよ。脂もしつこくないし、なんかカラダの芯からあったまる」
 香芝も美香も予想以上の味に感嘆の声をあげた。二人の様子に満足したリュウちゃんはうんうんと頷きながら言った。
「人間っちゅうもんは腹を満たすだけでは満足せんで、旨いの不味いのと文句をたれるだがぁ。命をいただくのに、マズイじゃあ申し訳ねえだがぁ。だけん、いただいた命に手ぇ抜いたらいけんのだがぁ。ちゃんと手間暇かけて、文句なしの旨いもんにしてやるのがわしの命に対する責任だがぁ」
 リュウちゃんは、奪った命に敬意を払うように、遠いところを見つめながら目を細めた。
 香芝も美香も、リュウちゃんが見つめる方角に向かって「ごちそうさま」と手を合わせた。
 気温はマイナス三度。空を見上げれば、また冷たい雪が一片二片と舞い落ちてきた。手袋をしていても指先が動かなくなるような寒さだが、凍える人は誰もいない。
 その日、里山町には二千人を超える人々が訪れ、かつての賑わいが、たった一夜だけ、幻のように蘇っていた。
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