第18話

文字数 4,059文字

 翌週、香芝と内村は公民館へ行く前に、里山町のスキー場跡近く、キャンプ場などが隣接する林道の脇にある『木の手作り工房』へ立ち寄った。
 工房で木工教室の講師をしている雨宮が手掛けた、チェーンソーアートのお雛さまを見に行くためである。
 雨宮はマコちゃんと同年代の三十代後半で、痩せているものの、筋骨はしっかりしている細マッチョである。脂肪が少ないからなのか、顔は皮ばかりで、笑うとそれがしわくちゃになり、無邪気な表情になる。人柄もおおらかで、声が大きく、オーバーな手振り身振りの説明が、木工教室に訪れる子供たちに評判だった。
「香芝さ~ん、ご無沙汰ですがぁ」
 工房の入口を入ると、雨宮が外国人のように長い両手を広げ、突進してきた。
「大作ができたんですって?」
 香芝は愛想よく言いながら、雨宮のハグから逃れるように後ずさり、さりげなく内村を前へ押しやった。
「内村さんも、よう来てごさっただがぁ」
 逃れる術を知らない内村は雨宮の両手にがっしり挟み込まれ、息苦しそうに「うごうご」と呻いた。
「雨宮さん、それで、さっそく見せていただけますか」
 香芝が助け舟をだすと、雨宮はやっと内村から離れて、奥の工房へと案内した。
 入口から受付をすぎて、教室の前の廊下をさらに進むと、その突き当りに雨宮のプライベート工房があった。
「これですがぁ」
 工房の引き戸をガラリと開けると、工具が並んだ作業台の前にそれは鎮座していた。
 怖い…。
 香芝と内村は目を瞠り、声を発することなく凝固した。
 高さは一メートル二十から三十センチ、直径は一メートルきるくらい、九十センチくらいだろうか。それに、着物を模した、生地を重ねたような筋が流れる線を描いて幾重にも彫られ、その上に顔がある。
 薄目を開けた切れ長の目、縦長のつんと上を向いた鼻、かすかに微笑む薄い唇。全体にニスがかけられており、木目を際立たせながら怪しく黒光りしている。
 お雛さまというより、二体の巨大な仏像だった。
「どがですがか」
 雨宮が腰に手をあて、胸をそらしてご自慢の大作の出来に満足な顔を向けた。
「すごいですがぁ…」
「確かにすごい…。これ、ホントに全部チェーンソーだけで彫ったんですか」
 呆気にとられて、巨大な仏像から目が離せない香芝と内村に、雨宮は誇らしげに言った。
「チェーンソーは僕の手先同然ですけん」
 すごい。確かにすごい出来なのである。職人技といえる大作である。
 しかし、怖い…。愛らしいとか美しい、ではない。恐ろしいのだ。
 暗闇の中、下から一筋のライトをあてれば、心霊もののテレビ番組のオープニングにうってつけだ。いや、このままでも、幼い子なら即座に泣きだし、悪夢にうなされるかもしれない。
「これ、どがに置きますがか?」
 内村が怖いモノみたさで仏像もとい、雛人形から目をそらすことができず、凝視したまま雨宮に訊ねた。
「そりゃあもちろん、入口の受付手前、正面がええがて、思っちょうがぁ。扉開けたら、すぐに目に入るところにどんと金屏風立てて設置するだがぁ。来週から春休みの特別木工教室で、広島から子供会の小学生の団体が来るけん、間に合ってよかっただがぁ」
 腕を組み、仕事を成し遂げた達成感に浸る雨宮を見ながら、香芝と内村は顔を見合わせ、複雑な表情を浮かべている。
「子供たち、驚きますね、きっと」
 独り言のような香芝のつぶやきに雨宮は大きく頷いた。
「そがそが。春休みの思い出になるがぁ」
 子供たちにとって、恐怖を乗り越え成長できる機会になってほしいと、香芝はお雛さまに手を合わせて祈った。
 男雛と目が合って、一瞬、口元をひしゃげたような気がしてぞっとした。

「見て来られたがか。恐ろしげなもんがおっただがぁ。ありゃあ、木工教室の生徒が減りますがぁ」
 公民館に到着すると和室で飾り付けを始めていた山口が、人の良さそうな顔で笑いながら、人の悪いことを言った。
「インパクトはかなりありましたね。自分は怖かったけど、美香なんかは喜ぶかもしれません。心霊番組が大好きなんで」
 畳の上にゆっくりと膝を折りながら、フォローにならないフォローの言葉を述べた香芝は、並び始めた雛人形をゆっくり見渡した。
「やっぱりここに並べられるものは、見ごたえありますね。平日だけしか見られないのはちょっともったいない気がしますが」
 顎に手をあて、横目で様子を窺っていた香芝に、山口は手を休めずに返した。
「土日も開けることにしましたけん。朝十時から夕方五時まで。内村君も手伝いに来てごさるけん、なんとかやりますがぁ」
 山口の言葉に内村がはにかみ、肩をすくめながら香芝の方を見た。
「市役所からは、職員は里山町はじめ、各公民館の手伝いは今後一切禁止なんて馬鹿げた通達がでてますがぁ、休みの日にボランティアするのは僕の自由ですけん、とやかく言われることはないですがぁ」
 頬を赤らめて俯き、照れながら言い訳する内村に、香芝は目を細めた。
 内村は、畳の上にちょこんと正座して、新聞紙にくるまれた人形を丁寧に取り出しながら思い出したように笑みを浮かべた。
「こないだ、県立病院に来月からお世話になりますがぁって挨拶に行きましたがぁ。そのときに『今まで市役所ではどがな仕事をされとったがぁ?』って訊かれて、観光課で里山の“雪のあかり”とか“おんせんdeふうりん”の手伝いしとりましたがぁって言ったら、みなさん『知っちょうだがぁ。あれはよかったですがぁ』って言ってごさったがぁ」
「へえ、みなさん、来てくれたんや。それは鼻高々やったやろ」
 香芝の喜ぶ顔にもじもじしながら、内村は照れ隠しなのか、唇をアヒルのように突き出し、アヒル口のままぽつぽつと思いを吐き出した。
「今まで、市役所に入って、誰かに、市役所で何しとるが?って訊かれても、まともに答えられたことがなかったですがぁ。それが、今回は特に考えず、思いついたことを話しただけなのに、予想以上にみなさんがええ反応してごさって、なんか、こう、やってよかったがぁって。市役所なんて、仕事覚えたと思ったら異動だけん、一生懸命やっても無駄だがぁって思ってたけど、そんなことない、見てくれている人がちゃんとおるがぁって。そがなふうに思えるようになったんは、香芝さんのお蔭ですがぁ」
 内村の鼻は赤く染まり、目は充血してきた。
「そがなのに、こがなこと、香芝さん追い出すなんて、あんまりだがぁ」
 両手で顔を包み込み、畳に額を押し付けて、内村はしくしく泣き出してしまった。
 その姿に胸を打たれ、香芝が内村の肩にそっと手をかけ慰めの言葉をかけようと口を開きかけたとき、奥の体育館の方から、空気をまったく無視した、複数の足音がどたどたと迫ってきた。
「和尚~、雛段組んで毛氈ひいたがぁ。あ~センセ~、来てごさったがか」
 リュウちゃんを筆頭に、マコちゃん、勇次、あと、五人ほど、里和会の若者たちが和室になだれ込んできた。
「いけんいけん、あんたらはここに入ったらいけんがぁ。大事な預かりもんの人形になんかあったらいけんだがぁ」
 山口が荒くれ者たちをしっしっと手で追い払う仕草をしたが、連中は気にせず香芝を取り囲むようにしゃがみこみ、リュウちゃんが代表して険しい顔を近づけ、香芝の目をじっと覗き込んだ。
「センセ、ホントに辞めえがか」
 雨宮の仏像を見た後に見る、久々の毛のない熊は恐怖が倍増する。香芝は胡坐をかいたまま、両掌を畳に押し付けて、尻で後ずさりした。
「辞めるんじゃなくて、任期満了でお役御免ですよ」
 後ずさった分以上にリュウちゃんは顔を近付け、香芝の目をまっすぐ捉えてさらにドスの効いた声を発した。
「観光課の竹原にハメられたって、聞きましたがぁ」
「いやあ、まあ、竹原さんだけの問題じゃあ、ないですしね。仕方ないですよ」
 リュウちゃんのこめかみあたりが、ピクリと動いた。
「センセ、そがでええがか」
 久しぶりに見た、リュウちゃんのスナイパーのような鋭い視線に、香芝は恐れるよりも、なんだか愛おしさを感じた。
「センセ、諦めぇがか、そがでええがか」
 香芝は、何も答えることができなくて、ふっきれたように微笑んだ。それを見たリュウちゃんは、唇を震わせ、もう、ドスもカスもない、彼本来の、透明な言葉を吐いた。
「センセは、センセは、ワシらに、諦めはいけんって、努力する前に、諦めぇことが一番、いけんって、教えてごさった。そがなこと、ワシらはいっぺんも考えんかったけん、目から鱗が落ちるみたいな気持ちになったが。今は、諦めんでよかったがって、本当に、思っちょうが。そがなのに、センセは、センセは…、ワシらを捨てるがか~、うが~」
 リュウちゃんはそのまま、叫びながら飛び出して行った。その背中をぼんやり眺めながら香芝は深いため息をついた。今は、そうすることしかできなかった。
 不意に背後から肩をぽんぽんと叩かれた。振り向けば、マコちゃんの苦笑いの顔と、勇次の泣きっ面があった。そして、金髪に眉毛のない看板屋の青年や、真っ黒に日焼けした水道屋をはじめとした里和会の面々。みんな顔はいかついけれど純粋で無垢な若者たちだ。
 彼らの視線を浴びながら、やっぱり香芝は何も言えなかった。それを見かねたのか、山口が「よっこらしょ」と小さな掛け声と共に立ち上がり「邪魔だがぁ」と言って、荒くれものたちをしっしっと追い出した。そして、何食わぬ顔で香芝に向かって、
「体育館に七段飾りを置きますけん、内村さんと飾り付けお願いしますがぁ。細かな作業は里和会では心配ですけん」
と体育館の方を指差しながら言った。
 香芝は口をへの字にして肩をおとし、大げさにため息をつくと、なげやりな調子で返事をした。
「よっし、やるか、ほら、内村くんも立って」
 顔を真っ赤にして鼻をすする内村を引きずって、体育館へ移動した。
 屋根から滴り落ちる雪解け水に日差しがあたって、窓がきらきらと輝いている。里山町の長かった冬が、ようやく終わりを告げ、春を迎える準備が始まろうとしていた。
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