第1話

文字数 3,773文字

「ありゃ。こがなとこから、いつのまに咲いちょうがかぁ」
 里山町公民館の玄関前で掃除をしていた山口尚一は竹箒を手にしながら、丸いお地蔵様のような柔和な顔をさらに緩めた。
 舗装などされていない地面がむきだしの駐車場の奥に、ひっそりと佇む三角屋根平屋建ての公民館の、コンクリートで固めた玄関ポーチと地面の境目あたりから、一メートル近くに生育し、伏し目がちに真っ白な花を開かせた野草、タカサゴユリを見つけたのは暑さの盛りもすぎた、橙色の空にまだらな雲がかかる、夏の終わりの夕暮れだった。
 山口は、毎日出入りしている入口の脇に、ここまで成長するまで誰にも見つけられずにいたこの野草のしたたかさに、ほくそ笑んだ。
「へえ、野生のユリですか?こんなとこから生えるんですね」
 不意に背後から声をかけられ、振り返ると見知らぬ男が立っていた。
 年のころは自分と同年代か少し上、四十代なかばといったところだろうか。この辺りの人間が間違っても着ることのない垢抜けたスーツ姿に、ハイカラなモスグリーンのフレームのメガネをかけた、色白でひょろっとした男だ。
「どうも。館長の見山さん、いらっしゃいますか」
 男は愛想のいい笑顔で会釈し、丁寧だが、少し関西なまりのある口調で挨拶をすると、名刺を差し出した。
「観光プロデューサー、香芝博実さん、ですがか」
 市が観光プロデューサーなる人物を雇い入れたという話は、館長の見山から聞いていたが、市にとってはお荷物の冷や飯食いと陰口をたたかれている、この山間部の里山町には関係のない話だと思っていた。
 眉間に皺をよせ、首をかしげていた山口だったが、ちらりと男に視線を向けると「ちょ、ちょっと待ってごせ」と言い置き、慌てて館内に駆け込んだ。
 玄関を入ってすぐの左手にある事務室の扉を開け、テレビの前に陣取った椅子の、背もたれの上から覗く白いひよこのような綿毛頭を確認すると、すたすたと近づき、名刺を正面に突き出した。
「館長、こがな人が来たがぁどがするがぁ」
「どがしたがぁ」
 うろたえる山口とは裏腹に、見山はのんびりとした調子で黒目が勝った小さな目をしばたたかせ、首をひねって窓の外に立つ男と名刺を見比べた。
 しばらく小刻みに瞬きを繰り返していたが、何かを思い出したように目をぱっちり開くと、「あ~あ~」と声を上げた。
「先週、山降りたついでに市役所に寄ったら観光課の竹原課長から紹介されたけん、うちの公民館にも顔だしてごせって言うたような気がするがぁ。まさか、ほんとに来るとは思わんかったがぁ」
「また、その場限りのつまらんことを。とにかく中に入れますけん。ええがぁ」
 少々面倒な気もしたが、こんな田舎で顔見知り以外の人間に会うこともなく、しかも観光プロデューサーなんて想像もつかない、自分たちにとっては外人というより宇宙人に近い存在に興味をそそられ、山口は香芝を公民館の中へ招き入れた。
 築五十年は経過し、すっかり古びたというより、朽ち果てたヒビだらけのコンクリート造りの公民館の入口に足を踏み入れると、玄関の先に十メートルほどの廊下がまっすぐ伸びている。廊下の奥の突き当りに体育館、その左手前に十畳ほどの和室、廊下を挟んだ向かい右側に調理室がある。玄関すぐの左手に受付の窓がついた事務室あり、その横の汲み取り式の男女共用のトイレからは、田舎の臭いが漂った。
 事務室の簡単な応接セットに腰かけた香芝と、その向かいに座った見山に茶をだし、香芝が近くの和菓子店で買ってきたという饅頭の包みを手渡すと、見山は無邪気に喜んだ。
「高木の蕎麦饅頭がか。わしの好物だがぁ」
 挨拶もそこそこに、見山は包装紙をむしり取ると、蕎麦饅頭を旨そうにたいらげた。
「高木の店はの、もう少し、さむうなるとな、きんつばがでぇけん。焼き立てをだしてごさるけん、香ばしいてうまいだが。あれは、冬場しか作らんけん、また機会があったら買ってみたらええがぁ」
 みっつめの饅頭の包み紙をめくりながら、館長はすっかり上機嫌だ。
「あのお店は、老舗なんですかね。なかなか渋い佇まいでしたが」
 香芝もお持たせの菓子を勧められ、軽く会釈してから手にとった。
「もう、あが息子で五代目だがぁ。五代目は山口の同級生だがぁ」
「高木の良太ね。あいつもやれんやれん言いながら、店継いだけん。こがあたりでは、数少ない、営業しとる店ですがぁ」
 自分の湯呑を手にしながら、山口は見山の横に「よっこらしょ」と腰かけ、香芝に柔和な顔を向けて話し始めた。
 四十路をすぎたばかりの山口が小学校にあがる前までは、このあたりは山陰の温泉街として、夏は避暑地、冬はスキーとずいぶん賑わいを見せていた。しかし、彼が中学に通うころになると、近隣の交通の便のいい温泉地へと客が流れはじめた。
 唯一、頼みの綱だったスキー場も、客足が伸び悩み、雪不足とあいまって、とうとう十数年前に閉鎖されてしまった。それをとどめに、宿や商店は一軒、また一軒と閉ざされ、鉄道も、高速道路も通らない里山町は世間から見捨てられるように寂れていったのだ。
 現在、空家ばかりが目立つ温泉街の本通りでは、高木和菓子店をはじめ、数軒が細々と営業しているだけである。
「まあ、かつての稼ぎ頭も、いまではお荷物じゃいうて知らん顔だがぁ。市役所から、なんか聞いとらんがか」
 見山の問いかけに、香芝は笑みをたたえながら答えた。
「市役所からは、里山町の方を重点的に面倒みてくれって言われました。なかなか魅力的な町で、やりがいがあります」
「そがですがか。寂れきった侘しいとこだけん、わしらはもう諦めちゃあが、都会の人には物珍しい見えますがか」
「まあ、風流を表現するのに“侘び寂び”なんて言いますからね」
 茶をすすりながら見山と笑顔で話す香芝を見ながら山口は、あからさまに表情を曇らせた。
「そがな言葉遊びのようなことで、こが町がなんとかなるとは思わんですがぁ。金もないし、観光資源もない。それをどがしようと考えられとるんですがか」
 口を尖らせる山口の反応が予想どおりだったのか、香芝はゆっくり頷きながら答えた。
「金をかければいいという問題ではないでしょう。それに、今すぐどうこうというわけにはいきません。最初は一時的な人集めをすることになるかもしれませんが、最終的には年間通して人が訪れる町づくりをしなくてはと思うのです」
「はあ、そがにうまくいくもんですがか」
 腕を組んで考え込む山口の姿に、なぜか見山はほくそ笑み、ずずずと音をたてて茶をすすると、香芝に視線を向けた。
「まあ、香芝さんはヨソから来られた人だけん、わしらが気付かんことに目を向けられることもあぁがね。うちの山口も知恵もんだけん、二人でよう相談してごさらんがか」
 いきなり話を振られた山口は「え?」と驚いて見山を見た。見山はにた~っと笑い返した。
「見山さん、もしかして面倒なことを僕におっつけようとされとるがか」
「面倒って山口、香芝さんに失礼だがぁ」
「失礼って思われぇなら、館長が率先して対応してごさらんがか」
「こがなときだけ、館長、館長って立てられても困るがぁ」
 二人のお鉢の押し付け合いに、香芝は困った顔をしながら頭を掻いて「あの~」と割って入った。
「なんとかせんとって、思ってらっしゃるんですよね、この里山町を。だったら、どちらかがというより、お二人に協力していただいてですねえ…」
 遠慮がちにしゃべっていた香芝の言葉が途中で途切れた。なぜか、口をぽかんと開けたまま、見山と山口の背後を凝視し、目を瞠っている。
 二人が何事かと振り返ると、窓の外に狸が一匹、窓枠の下から顔をだし、鼻をひくひくさせながら部屋の様子を窺っていた。親狸の左右には子狸が背伸びをして中を覗こうとしているらしく鼻先がぴょこぴょこと見え隠れする。
「ありゃ、また来ただがぁ」
 山口はため息をついて平然と立ち上がると、事務机の引き出しから何やら取り出した。赤や緑の棒状のものが連なっており端に導火線がついている。
「なんですかそれ」
 香芝が目を丸くして山口が手にした物体に顔を近付ける。
「え?爆竹も知らんがか。これで追い払うんですがぁ。この先に畑があるけん、荒らしにきよるが。最近はやつらも慣れてきちょうけん、一時的にしか効かんで、狸相手にイタチごっこですがぁ」
 山口が爆竹とライターを手にして外にでると、火をつけるまもなく狸の親子は走り去った。
「よく出るんですか、狸」 
 ぽかんとしながら山口の一連の動作を見守っていた香芝は、まだ少し動揺していた。
「この辺りは、狸もイノシシも、人よりようでくわしますがぁ」
 冗談なのか本気なのか読めない見山の言葉に香芝が呆然としていると、山口が吐き出すように言った。
「こがなとこですがぁ。ホントに客なんか、来てごさるがか」
「え、ええ、まあ」
 香芝が返す言葉に詰まっていると、見山がこほんとわざとらしい咳払いをした。
「まあ、そがなことで、山口も期待しちゃあけん、香芝さんよろしくたのんますがぁ」
 見山が「がはは」と笑いながら山口と香芝の肩をつかんでもみほぐすと、二人は顔を見合わせ、複雑な表情をした。
 走り去ったはずの狸の親子が、また窓枠に前足をかけて顔を覗かせ、室内のテーブルの上にのった蕎麦饅頭をじっと見つめていた。

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