第34話:竜宮兄妹

文字数 4,196文字

 因幡さんが宝船高校に転入してきて、しばらく経った日のこと。
 その日は偶然、友人の竜宮海人と一緒のグループで掃除をしていて、グループの他の生徒がゴミ出しに行ったときのことだった。
 俺――番場虎吉は突然、海人が言っていたことに対して感じていた違和感の正体に気づいてしまったのだ。
「……なあ、海人」
「どしたー、虎吉」
 海人は机と椅子を並べながら、俺に背を向けている。
 俺は掃除道具をロッカーに片付けていて、こちらも背を向けていた。
「こないだ……俺が因幡さんに見とれてたことあったろ」
「ああ、体育の時間な」
「――お前、なんで天馬百合さんのこと知ってるんだ?」
「ん? だから、お前が以前に天馬さんの話を――」
「それで、なんでお前が店長と因幡さんの顔が同じってわかるんだ?」
 俺は海人のほうへ振り向く。
 海人も俺を見ていた。
「店長――天馬百合に一度でも会ってないと、因幡さんと同じ顔だなんてわかるわけがねえんだよ」
 少し間が空いて、沈黙が流れたあと、
「……あー、しくったなあ」
 たはは、と海人は苦笑いのような照れ笑いのような顔をする。いたずらに失敗した子供のような表情だった。
「海人……お前、本当は何者なんだ?」
「――それは、『聖なる魔女』に訊いたほうが早いんじゃないか?」
 夕陽が差し込む教室。
 黄金の光を背に浴びて、海人は何でもないことのように微笑んでいた。
 聖なる魔女。
 その単語を聞いて、俺は息を呑む。
「お前、アヤカシ堂のことも知ってるのか」
「たまに、お世話になってる」
 海人は静かな口調で、そっと並べた机を撫でる。
「そうだ、今日もアヤカシ堂に用事があるんだ。よかったら、一緒に行かないか」
「その前にひとつ、聞かせてくれ」
「なんだ?」
 俺は海人を真正面から見つめる。
「――お前は、人間に害を与えるようなやつじゃないよな?」
 海人は、机に向けて伏せられた目を上げて、まっすぐに俺を見た。
「そんなやつだったら、アヤカシ堂に出入りなんてできないだろ?」
 それは、そうなんだけど。
 掃除グループの生徒たちが戻ってきて、掃除を終えてから、俺と海人はなんとなく黙ったまま、鳳仙神社へと足を向けた。

「ああ、竜宮の坊っちゃんはアヤカシだよ」
 アヤカシ堂の店長――天馬百合は、あっけらかんとしていた。
「ど、どうして俺に教えてくれなかったんですか!?
 海人とは小さい頃からの腐れ縁だったのに、俺だけ知らなかったのが悔しい。
「守秘義務って知ってるか? 本人の許可無く個人情報は教えられないだろう」
 店長はズズッと湯呑のコーヒーを啜った。店長は甘党である。砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーは、白い渦を巻いていた。
「それに、前にも『君のクラスにも何人か魔術師やアヤカシが紛れ込んでいる』って言ったろう」
「たしかに言ってましたけど、まさか自分の幼馴染まで妖怪だなんて思わないでしょう!」
「海人くんも虎吉には普通に言ってたものだと思ってたがな」
「はは、すみません。僕もまさか虎吉が半妖になってたなんて思わなくて」
 海人は人差し指で照れくさそうに頬をかく。
「虎吉がバイトのシフト入ってない日を狙ってアヤカシ堂に来てたのでバレてないとは思ってました。虎吉がもし人間のままだったら話すつもりはなかったんですが、どのみちアヤカシ堂で働いてるんだったら妖怪のことも知ってたんだろうなとは思ってましたけど」
「で? お前は何の妖怪なんだ?」
 蚊帳の外にされていたことに不機嫌になり、俺は椅子にどかっと座って肘掛けに片肘をつく。
「虎吉、竜宮城は知っているか?」
 店長が不意に突拍子もない質問をする。
「日本人なら誰だって知ってますよ」
『浦島太郎』というおとぎ話に出てくる、浦島太郎が亀を助けたお礼として連れて行かれた場所だ。城の主である乙姫様に歓待され、タイやヒラメの舞い踊りを見たとかなんとか。
「竜宮城はこの世界の海底にある異界だ」
「い、異界?」
「普通に考えて、海底に人間が呼吸できる宮殿なんてあるわけないだろう」
 いや、それはそうだろうけど。
「竜宮城には海を支配するアヤカシの王――海竜王が棲んでいる。竜宮海人はその海竜王のご子息であらせられる」
「急に敬語使うのやめてくださいよ、あなたに言われると緊張しちゃうな」
 海人は照れくさそうに頭をかく。
「……おい」
 俺はジトッとした目で海人を見る。
「ん? なんだよ」
 海人は不思議そうな表情をしていた。
「言えよ、そういう大事なことは! 海竜王ってなんだよ、かっこいいじゃねーか! なんで幼馴染の俺にそういうこと一言も言わないわけ!?
「言ったらびっくりするだろうし、言っても信じないだろうなと思って」
 そう言われると、グッと言葉に詰まる。
 たしかに、俺が半妖になんてならなきゃ、海人の言葉はエイプリルフールには早い冗談として片付けてしまっていただろう。
「それで、海人くんがここに来たご用事は、またあの薬かな?」
「流石店長さん、話が早い」
「薬?」
 首をかしげる俺を放って、店長は店の奥へと消えていく。
「お前、病気なのか?」
「ああ、そういう薬じゃないんだ」
 俺が気遣うと、海人は片手をひらひらさせて否定した。
 やがて、店長が戻ってくる。
「――これ、魔法薬ですか?」
「ああ、人間に変身する薬だ」
「人間に……?」
 つまり用途としては、人間でないものを人間の姿にする薬なのだろう。何かの悪事にでも使えそうだ。
 そういった内容を海人に言うと、
「お前の中の俺は本当に信用ないなあ」
 怒るでもなく、そんな苦笑を漏らす。
「いや、海人がそういうことするようなやつとは思ってないけどさ」
「……俺の妹、竜宮乙姫っていうんだけど覚えてるか?」
 来客用のソファに座った海人は、膝の上で指を組んで話し始める。
「乙姫は俺と違って不完全な生まれ方をしてさ。水を浴びると足が魚に、お湯をかけると人間の足に戻るんだ」
 知らなかった。
 小さい頃、俺が見た乙姫ちゃんは、二本の足で立って歩いていた。
 高校二年生の俺達から三つ年下だから、今は十四歳だろうか。三つも離れていると学校で会う機会はないが、おそらくその体質ではプールや海には入れなかったに違いない。
「そこでこの魔法薬だ」
 店長はテーブルの上に、さっきの魔法薬をコトンと置く。
「人間の姿に変身する薬を応用して、乙姫お嬢さんの足を人間に変身させる――つまり、水を浴びても足が魚にならないようにする」
「おお、なるほど」
「しかも、声と引き換えに――なんてことはないから安心したまえ」
 納得する俺に、店長はいたずらっぽく笑う。
「そこまでしたらガチの魔女っすね」
 チョップされた。
「とりあえず今回も錠剤タイプを三十日分出しておく」
 薬局のような会話をしながら、店長は薬をまとめていく。……そういえばこの人、魔法薬やその材料を取り扱っているが、薬剤師の免許は持ってるんだろうか。いや、魔法薬に薬剤師免許が使えるか分からないけど。
「そういえば、その妹――竜宮乙姫のことで今回は他にも相談があって……」
「伺おう」
 海人は背を丸めて、組んだ指を口に当てる。
「今度、妹が男とのデートでプールに行くんですよ」
「はあ」
 店長はいまいちピンときていない顔でうなずいた。
「なら、今回の薬がちょうどいいんじゃないか?」
「ええ、まあ、それは別問題として……」
 海人は視線をさまよわせる。
「乙姫が心配なので、虎吉も借りていっていいですか?」
「なんで俺? やだよ、男二人でプールとか」
「では面白そうなので私も行こう」
!?
 俺は目を丸くして店長を二度見する。
「私と……数人連れて行こう。それで乙姫お嬢さんと男のデートを監視すればいいんだな?」
「助かります」
 海人はニッコリと微笑んだ。
 海人は昔から何でもそつなくこなす、要領のいい男だった。
「鈴、水着を買いに行くぞ。着物ではプールに入れないからな」
「わーい、プール初めて! 楽しみ!」
 鈴は店長の影からぴょんぴょん跳び上がる。
「それでは、日時と場所は決まり次第またご連絡いたします。僕はそろそろ失礼いたします」
 海人が店長に丁寧に頭を下げる。
「――なあ、海人」
 俺の呼びかけに、海人は視線を向ける。
「お前は……何年生きてきたんだ?」
 アヤカシは基本的に長生きゆえに外見が変わらず何十年何百年と生き続けるものである。
 幼馴染だと思っていた海人は……今、果たして何歳なのか。
「……ああ、大丈夫だよ、虎吉。俺もお前と同じ十七歳だ」
 海人は俺を安心させるように優しく笑いかける。
「お前と同じ年に生まれて、十七年間生きてきた。外見年齢がいくつで止まるかは分からないけど、お前と同い年なのは変わらない」
 店長がいつか話していたことを思い出す。アヤカシは変化以外では基本的に自分の外見年齢がいくつで止まるかは決められない。
 だからずっと子供の姿のままの妖怪もいるし、しわくちゃの爺さん婆さんの外見になった妖怪もいる。完全に運次第だ。
 ただ、俺は半妖になった経緯が特殊であるがゆえに、おそらくは今の姿のまま変わらないだろうとも言われている。
 若いままで変わらないとしたら、それはとても運がいいことなのだろう。身体も自由に動くし、自分が老いていく苦しみもない。
 でも――自分の妖怪の血が、いつか人間に危害を加えるとしたら。
 俺は、因幡さんの擦りむいた膝から滲んだ血を思い出す。
 あのとき、人間の血を吸ったら間違いなく自分が暴走する未来が見えた。
 あの未来を阻止するために、俺は人間に戻らなければいけない。
 ――たとえそれが、店長や海人を置いて死にゆく定めだとしても。
 海人が帰ったあと、店長と鈴は洋服に着替えて水着を買いに出かけた。
 俺は店番をしながら、自分の手を見る。
 半妖と化してから、爪が鋭く長く伸びるスピードが早くなった。妖怪の中には自分の意志で一瞬にして爪を伸ばせる種類のものもいるらしい。
「……爪、切らないとな」
 爪もそうだし、髪の伸びるスピードも早い。毎日自分で切ってる気がする。まあ妖怪化したら一気に爪も髪も伸びるからあんまり意味はない気がしている。
 半妖になって便利なことも不便なこともある。人間に戻る方法はピクシー博士の研究の進捗次第なので、今は自分に出来ることをするのみ。
 俺はそんなことをつらつらと考えながら、店長と鈴の帰りを待ったのであった。

〈続く〉
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