第7話:『魔女』と半妖少年

文字数 3,541文字

 あれは忘れもしない、去年の冬。
 夜の公園でコウモリのような姿の怪物に襲われた虎吉は、布団の上で目を覚ました。
 見知らぬ天井。彼の顔を覗き込む、知らない幼女の顔。真紅の瞳。
「お姉ちゃん……お兄ちゃんが、起きたよ」
 黒い着物の幼女は、ふすまの向こうに声をかけた。
 ふすまが開いて、気を失う前に見かけた巫女が歩いてくる。
「気がついたか。やれやれ、面倒なことになった」
 すとんと虎吉の傍らに座る巫女。虎吉は布団から身を起こした。
「ここは……」
「私の神社に運ばせてもらった」
「あなたは何者ですか。あの化物は……」
「順を追って説明するから、落ち着いて聞いて欲しい」
 巫女はふうとため息をつきながら言った。
「私の名前は天馬百合。このアヤカシ堂の店主および鳳仙神社の巫女だ」
「アヤカシ堂?」
「アヤカシ堂は主に妖怪に関するトラブルを処理する店だ。生業は妖怪退治とかそんなところだな」
「妖怪……それじゃ、あの化物は」
「おそらく海外の妖怪だろうな。日本であんなのは見たことがない。それで、退治中に君を巻き込んでしまった。すまない」
「そうだったんですか……」
 だんだん状況が飲み込めてきた。
「俺こそお仕事の邪魔してすみませんでした。あの化物はどうなりましたか?」
「ああ、退治したよ。これで新たな犠牲者が増えることはない」
 百合と名乗る女は、その割には苦々しい顔をしながら言った。
「あの妖怪は、何人か食い殺してる凶悪なやつでね。仕留められて良かった」
「それは良かったです。あんなやつがこの町にいたなんて……」
「……あー、それで言いにくいんだが、君も犠牲者の一人なんだ」
「そうですね。殺されはしなかったけど一応襲われたし」
「……うん……ええと」
 百合は歯に物が挟まったようなぎこちない態度で、何かを言うべきか迷っているようだった。
「鏡を見てくれないか」
 と、手鏡を渡された。
「? はい」
 言われるまま覗き込むと、虎吉は自分の変化に気づいた。
 顔が、というか肌が黒い。自分の手も見てみたがやはり褐色に染まっている。短髪だったはずが腰まで髪が伸びている。瞳が紅い。牙が生えている。
「な、なんじゃこりゃ!? あの、これは一体」
「うん……」
 二人のあいだの空気が重くなる。
「おそらく、あの妖怪は吸血鬼の亜種……新種かもしれないな、あんな吸血鬼は見たことがない。それで、噛まれた君は半分吸血鬼になってしまったようだ。完全な吸血鬼は鏡には映らないからな」
「俺が……吸血鬼……」
「半分吸血鬼なら日光を浴びても死んだりしないし、日常生活に影響はないだろうが……まあなんだ、すまない」
 すまないで済む問題じゃないと思うが。
「元に戻れないんですか」
「戻る方法は分からないが、あるかもしれない。それで、方法が見つかるまでうちで働かないか」
「アヤカシ堂で?」
「さっきも言ったとおり、うちは妖怪を扱う店だ。妖怪に関する情報が集まってきやすい。吸血鬼に噛まれた人間を元に戻す方法もわかるかもしれない。……まあ、半妖になった君を我々が監視しなければならないというのもあるが」
 ああ面倒だ、と百合はぼやいた。本音を隠しておけない人なのかもしれない。
「どうする? 元に戻りたいかい?」
「うーん、でも、吸血鬼の体って色々すごいんじゃないですか? コウモリに変身したり、なんかすごい能力とか持ってるんですよね?」
 漠然としているが、映画なんかで見る吸血鬼は怪力を持っていたり壁をよじ登ったり、日の光にさえ当たらなければ最強に見える。
「そうか? 吸血鬼は確かに強いが弱点も多いぞ。十字架に触ると火傷するしニンニクなどの強い匂いも苦手だ。聖水や聖別された銀も天敵だな。半吸血鬼だからそれらの弱点も効きづらくはなるが。あと、君はコウモリには変身できないぞ」
「なんと……」
 知らなかった。吸血鬼がそんなに不便で生きづらい体質だったなんて。そんな体で俺はこれから先を生きていかなくちゃならないのか。
「なにより――」
 百合は人差し指を立てた。
「妖怪は人間とは流れる時間が違う。君は半妖だから妖怪ほど長生きはしないけれど、それでも十分人間よりも若いままでいられる。それは素晴らしいことに思えるかもしれないけれど、若いままの君を残して周囲の人間はどんどん死んでいくということだ」
 虎吉は思わず想像する。友人や家族の墓の前に佇む、今の姿のままの自分。周囲の人間は皆しわくちゃの老人になって、若い姿のままの虎吉を奇妙な目で見る――。
 それは、とても、
「嫌――ですね……」
「だろう?」
「俺、人間に戻りたいです。働かせてください」
「わかった。私のことは店長と呼んでくれ。これからよろしく」
 百合――いや店長は、顔に微笑を浮かべながら握手を求めた。
 虎吉は両手で百合の柔らかな白い手を包み込んだ。

「――まさか、こんな命懸けの仕事だなんて思いませんでしたけどね!」
「私と出会ったあの事件で察するべきだったな、それは」
 虎吉の言葉に、百合は冷静な言葉を返した。
「ま、そんなことはどうでもいい。ホルスタインのミノタウロスは珍しいから封印して持って帰るとしよう。とにかく弱らせるぞ、虎吉」
「了解っと」
 虎吉はミノタウロスの腕を振り払うと、棍棒を手にとった。棍棒を握り締めると、球の部分から幾本もの刺が生えてくる。――棍棒はモーニングスターになった。
「おらよっと!」
 虎吉はモーニングスターを軽々と振り回す。胴に頭に、重い一撃が加わった。
「ブモッ……」
 よろけるミノタウロスに、百合の放った御札から放たれる火球が止めを刺した。
 ズシンと鈍い音を立てて倒れるミノタウロスの額に、百合が御札を貼ると、ミノタウロスの身体は御札の中に吸い込まれるように消えた。おそらくこれが封印なのだろう。
「任務完了だ」
「お疲れーっす!」
 百合の言葉に、虎吉はやりきった顔で伸びをした。
 ミノタウロスが消えたおかげか、異界化していた迷宮は消え、本来の廃墟へと戻っていた。妖怪たちも親玉がいなくなって慌てて四散している。
「虎吉! 怪我ない?」
「香澄……」
 虎吉に駆け寄る香澄に微笑みかけた虎吉は、彼女に手を差し出した。
「? 何、この手は」
「カメラ出せ。写真消すって言ったろ」
「チッ」
 香澄は思わず舌打ちした。覚えてやがったのか。
 こうして事件は解決し、香澄のカメラからはミノタウロスの存在や、虎吉が吸血鬼に変身する瞬間などの決定的な証拠写真が抹消された。

 場所は変わって、香澄の家。
 アヤカシ堂の面々と別れて、夜も更けている。
 香澄は自室で学校新聞を作っている真っ最中だ。
「ふっふっふ……さて、明日の一面はアヤカシ堂の妖怪退治に決定ね……」
 香澄の手には、あのミノタウロスや肌の黒い虎吉の写真が握られている。
 虎吉がカメラから写真を抹消することを予想していた香澄は、別に隠し持っていたカメラに写真を転送していたのである。
 いまやその写真は、自宅のプリンターで印刷され、この学校新聞に貼られるのを待つのみとなっていた。
 ウキウキしながら写真を貼ろうとした矢先、香澄は突然視線を感じた。その視線は窓の外からのように思われた。なんだろう。すっと目を窓に向ける。
「! きゃああ」
 香澄の口から、思わず悲鳴が漏れる。
 窓の外には、昼間迷宮にいたような妖怪がびっしりと窓に張り付いていた。キシキシと音を立て、窓を圧迫している。まるで写真に吸い寄せられ、集まったようだった。このままでは、窓を破られ、香澄自身も無事ではすまない。香澄は自らの危機に恐怖を覚えた。そのとき。
「オラッ!」
 聞きなれた声。
 虎吉が窓から妖怪を引っペがしては投げていた。
 あとから百合もベランダに飛び乗り、窓に御札を貼った。その瞬間、妖怪は蒸発するように消え失せた。
「虎吉に……百合さん? なんで……」
「アフターサービスってやつだよ」
「香澄さん……だから写真は処分してくださいと申しましたでしょう」
 百合が咎めるような視線を香澄に送る。
「ごめんなさい……まさかこんなことになるなんて」
 香澄は心から申し訳ない気分になった。
「やれやれ……まあ、ちゃんと反省していただけたようですし良しとしましょう。今度こそ写真は全て抹消させていただきます。妖怪の存在を公表することは、社会にも個人にも危険なことなんです。ご理解いただけましたか?」
「はい……」
「それでは、窓から失礼します。虎吉、引き上げるぞ」
「あ、はい」
 写真を全て消したことを確認して、虎吉と百合は窓から出て行った。
「鈴が神社で待ってるぞ。今日は肉じゃがだそうだ」
 百合の足取りは心なしか軽いようだった。
「楽しみですね。鈴の料理はいつも美味しいから」
 虎吉と百合は神社への道を歩いて行った。

〈続く〉
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