第23話:烏丸鈴の過去、あるいは『魔女』と『黒猫』

文字数 3,912文字

 神社に戻った私たちは、再び地図を広げ、作戦会議を行う。
「やはり……最初の被害があった場所から、少しずつ赤丸があの光岡という家に近づいてきている」
 黒猫様は地図の赤丸を指でなぞっていく。
「あの光岡という家になにか秘密が?」
「わからないが……急いだほうがいいかもしれない。今日あの影喰いは家のすぐ近くに来ていた。あの家になにか目的があるとすれば、そろそろあの家の住人が被害に遭う可能性が高い」
「蛇を向かわせましょう」
 私は巫女服の袖から鳥の翼の生えた白蛇を出す。この蛇は本物の動物ではなく、私の術というか、気を練って作ったものである。この蛇の目も鼓膜も私の感覚と繋がっているので、狭い場所を通るときや、こういう偵察にもってこいなのだ。
 蛇は翼で羽ばたいて、光岡の家へ向かう。家に着くと翼をしまい、ニョロニョロと蛇行しながら家の庭へ入っていく。縁側の窓から、住人の話し声が聞こえる。
「……またあのニュースだわ……」
「影喰いなんて、馬鹿らしい」
「でも、少しずつこの家に近づいてるじゃない……やっぱり、あの子の怨霊が……」
「たしかに、あのガキは影を操る妖怪とか言ってたが……クソッ、このままじゃ……」
「ねえ、やっぱりちゃんと弔ってあげたほうが良かったんじゃないの? まだあの山の中に埋まってるんでしょ?」
「馬鹿、今更死体掘りなんか出来るか。だいたい、死体を見られたらどう説明すればいいんだ。妖怪とはいえ、養子を殴り殺したなんて言えるかよ」
「ああ、なんであんな子を引き取ってしまったのかしら……」
 ――住人の会話で、だいたいの事情が分かってしまった。胸糞悪い。
 私は蛇を通じて知った情報を黒猫様に伝える。
「なるほど……妖怪の養子を虐待か……」
「どうします? 完全に自業自得ですし、私は復讐させてもいいと思いますけど」
「そうもいかない。私たちアヤカシ堂は人間の味方でいなくてはならない。たとえどんなに反吐が出るような人間でも救わなければいけない」
「何故です? 怪異対策課の下請けだからですか?」
「百合……人間を愛する女神たる君が、そんなことを言ってはいけない」
 黒猫様は悲しそうに目を細める。……そんな顔をさせたかったわけではないのに。
「……すみません」
 私は静かに目を伏せる。
「とにかく、明日の黄昏時にはあの影喰いが光岡家を襲うだろう。その前に対策を講じなければ」
 それから私たちは、怪異対策課に連絡し、総員で光岡家と影喰い――養子について調べ上げた。
 養子の名は烏丸鈴。私と黒猫様が戦い抜いた、あのアヤカシ大戦で滅びた烏丸一族の生き残りだった。黒天という兄がいたらしいが、その兄とは別の家――つまり光岡家に引き取られた。兄は妖怪の家だったが、鈴は人間の家に引き取られた。しかし妖怪への偏見が強かった時代である。鈴は毎日のように虐待を受け、最終的に死亡した――いや、殺害されたというのは想像に難くなかった。
 調べれば調べるほど、不愉快だった。そもそも私を封印したのも人間である。女神は人間を愛するものとはいえ、いい加減奴らには辟易する。
 人間が皆、黒猫様のような優しい人間だったら、どんなに世界は平穏だろう。
 そう思うとため息が出る。
「百合、大丈夫か? 気分が悪くなったりしていないか?」
 黒猫様はコーヒーを差し出す。砂糖とミルクがたっぷり入った甘いやつだ。
「まあ気分が悪いというか胸糞悪いですが体調は大丈夫です。いつでも出動できます」
「頼りにしている」
 黒猫様は短くそう答えて自分のコーヒーに口をつける。彼の好みはブラックコーヒーである。
 私はなんとなく黙って、渡されたコーヒーを啜る。甘い。
 ふと、私の中で疑問が浮かんだ。
「烏丸鈴が影を喰っていたのは、力を増すためでしょうか」
「順当に考えればそうなるな」
「しかし、光岡は普通の人間です。十も二十も影を喰わなくても、妖怪の力なら簡単に殺れそうなものですが」
「ふむ……だが、実際鈴はその人間に殺されているわけだからな。対抗する力をつけたいと思うのは当然じゃないか?」
「それもそうですが」
 胸の中で何かが引っかかる感覚がある。鈴の目的がよくわからない。影を喰い、妖力を増し、恨みがある人間を殺す。一見筋が通っているようには見えるが、何故か納得がいかない。
 影を喰いすぎな気がするのだ。あんなに影を喰って妖力をつけても、人間相手にはオーバーキルな気がする。鈴が慎重なのか、よほどの恨みを抱えているのか。まあ殺されたらそのくらい恨みもするのか。
 とにかく、今考えることはそこじゃないな、と私は思考を切り替える。犯罪者をかばうのは癪だが、まずは鈴から人間を守らなければいけない。
 怪異対策課の協力を取り付けて、私と黒猫様は一旦休眠し、黄昏時を待った。
 日付が変わり、鈴が本格的に光岡家を襲うだろうその日、光岡の家に向かうと、怪異対策課は既に光岡と話をつけていたらしく、怪異対策課と我々アヤカシ堂で警護にあたることとなった。
 光岡の家の前で、鈴を迎え撃つ準備をする。私は御札を大量生産し、黒猫様は魔弾を魔銃に装填している。
 黒猫様の魔弾はいくつか種類があり、炎や氷などの属性攻撃から使い魔を召喚する弾もある。私の御札での戦術と偶然にも似通っていた。
「……黒猫様は、鈴を再び殺すんですか?」
「説得できるものなら、なるべくこれ以上苦しませたくはない」
 怨霊とは、怒り続け、恨み続けることは、苦しいものである。しかし、怨霊は悪霊ゆえに、説得するのはおそらく難しい。たいがい、力ずくで除霊――排除するしかない。
 鈴は、どうして人間の都合で苦しまなければならないのだろう。
 そろそろ黄昏時である。金色の夕陽が黒猫様の横顔を照らす。
 ――やがて、鈴は来た。
 あの毛むくじゃらのぬいぐるみが、二足で立って歩いてくる。
「ヒッ……!」
 家の玄関からぬいぐるみを見た光岡の奥さんが悲鳴を上げる。
「あのぬいぐるみは、鈴ちゃんが持っていたものですか?」
 光岡の傍らに控えている鬼怒川さんが訊ねた。
「そ、そうです……我が家に来る前から、大切に持っていたものです」
「許して、許して鈴……ああ……」
 奥さんが顔を覆って泣き崩れる。
 影を喰って充分に力を増した鈴から、莫大な妖力が膨れ上がっていくのを感じる。
「百合、来るぞ。構えろ。ここから先は鈴を通してはいけない」
「はい」
 黒猫様の言葉に、私はバッと御札を展開する。御札が結界となり、鈴が通れないようにする。そしてその御札の隙間から、黒猫様が魔弾を撃つ。
「ドウシテ……ドウシテ邪魔スルノ……」
 ぬいぐるみ――鈴は、怨霊となっても理性は残っているようだった。もしかしたら説得に応じてくれるかもしれない、という一縷の希望が湧く。
「私ハ、家ニ帰リタイダケナノニ……」
「君の名前は、烏丸鈴――で、間違いないかな」
 黒猫様が声をかけると、鈴はコクンとうなずいた。
「家に帰って、何がしたい?」
「何モ……タダイマ、ッテ、言イタイダケ……」
 そのしおらしい態度に、私たちは当惑する。
「どうして無関係な人たちを襲って、影を食べた?」
「……ソレニツイテハ、ゴメンナサイ……。影ヲ食ベナイト、私ノ魂ガ、保テナカッタカラ……」
「――もしかして、鈴の身体は山の中に埋められたまま、まだ生きているのでは?」
 私はそんな直感を口にする。
 鈴は、ぬいぐるみに己の魂を憑依させて、ぬいぐるみの姿でも家に帰りたかった。
 しかし、ぬいぐるみに魂を定着させるためには、妖力が足りなかったので、影を食べてなんとかその姿を保っていた。
 そんな仮説が立った。
「お、おい、さっきから何やってんだよあんたら! 早くその化け物を退治してくれよ」
「黙りなさい」
 鬼怒川さんは、光岡の言葉をピシャリと遮った。
「あなた方が妖怪とはいえ児童を虐待していたことは把握しています。あまつさえ、殴り殺したと思って山中に埋めるなど言語道断。鈴ちゃんを埋めた場所を確認後、署にご同行願いますのでお忘れなきよう」
「ヒィィ……」
 鬼怒川さんの容赦ない言葉に、光岡は震え上がる。
 私は御札を展開するのをやめた。黒猫様も、魔銃をホルダーにしまう。
「おかえりなさい、鈴ちゃん」私はそう言って、門からどいた。
 鈴は、ゆっくりと歩み寄り、家の門をくぐる。
 光岡と、その奥さんにニコっと笑った。
「――ただいま、お父さん、お母さん!」
 そう言って、ぬいぐるみは力尽きたようにぐったりと倒れる。どうやら魂が抜けてしまったようだった。
「鈴……」
 奥さんは涙を流したまま茫然としていた。
 鈴は、怨霊なんかではなかった。
 彼女は、親を恨んでなんかいなかった。
「鈴はまだどこかに埋められている。すぐに探して保護しなければ」
「光岡さん、道案内よろしくお願いします」
「……はい」
 光岡はすっかりしおれた様子でうなずいた。
 こうして、山の中から鈴の身体は発見され、アヤカシ堂で保護された。魂は既に身体に戻っていたが、長時間身体を離れていたせいか、あるいはトラウマがそうさせたのか、鈴は過去の記憶――自身がアヤカシ大戦で滅びた一族の生き残りであることや、光岡家での出来事などが、すっかり抜け落ちてしまっていた。
 そして、鈴が食べた影は、持ち主のもとに全て返されていた。木蓮殿は今も元気で健康に過ごしている。
 あのぬいぐるみはボロボロだったので、黒猫様が新しいぬいぐるみ――黒い竜のぬいぐるみを買い与えてくれた。鈴は今でもそれを大切にしている。
 はて、この話は何十年前のことだったか。
 黒猫様が行方をくらませても、私と鈴は鳳仙神社で、ずっと黒猫様の帰りを待っているのである。

〈続く〉
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