2:コージ

文字数 3,106文字

 夕暮れ時になって降り出した雨の中を、貢士は官舎に帰ってきた。
 古びた官舎は自治体のもので、一部を再構築委員会が借り上げている。築五十年を超える全戸二十数戸の建物には空き家が多い。最近になってさらに灯火が減った。
 四階の彼の部屋からは鶴ヶ島一号機の姿が影のように見えた。
 今日の作業はすでに終了し、照明は落とされている。解体が始まった直後はかなり高い位置で点滅していた赤いマーカーランプも日に日に低くなり、灯す必要がなくなった。
 彼はシャワーで濡れた髪をタオルでかきむしりながら、薄闇の底にうずくまる鶴ヶ島一号機を見つめた。
 鶴ヶ島一号機は、貢士がまだ再構築委員会に入るよりも以前に、よく眺めにいっていた目黒一号機と同じ第三世代の機体だった。こうして解体の様子を日々眺めながら生活していると、彼自身の心のうちでも何かが終わっていくように感じた。
 彼は、青く輝いていた目黒一号機のマーカーランプを思う。そして四年前の雨の夜をまた思い出す。

                 ◇ 

 フロントグラスに散ったブレーキランプの光をワイパーがはらった。その日、昼過ぎから降り始めた雨は夕方になっても続いていた。
 貢士が乗った車の前に連なる渋滞の列の彼方で、目黒一号機は優雅に作業を続けていた。外観は通常の建築用のクレーンに似ているが、人間が操縦する重機類とは動作の速度が違う。昔のコンピュータグラフィックスのような違和感をともなった、しかし滑らかな動作を、貢士は車の助手席からじっと見つめていた。
 黙って運転に集中していた竹内はるかが声をかけた。
「ほんとに好きだよね、クレーン」
 雨の目黒通りは混雑し、視界もよくない。そうでなくても路上駐車が多くて走り難そうな道路がよけいに狭く感じられる。
 はるかは唇を結んで、緩急を繰り返す車の流れについていく。路肩に停まった車をかすめるような運転に、貢士は何度がひやりとした。都心で育った人間の運転にはかなわないな、と思う。彼はあまり運転に自信があるほうではない。
「お父さんがクレーンの仕事してたんでしょ?」
 信号で停止すると、はるかが再び口をひらいた。貢士は黙りがちになっていた自分に気づく。低気圧のせいだ。悪い癖だと自分でも思っていた。
「高校に入る前までは詳しく知らなかったんだけどね」
 自分の声がどこか違うところから出ているように感じる。雨の日はいつもこうだ。
 車が山手通りを左へ折れると、それまで見え隠れしていた目黒一号機の機影は視界から消えた。
「ねえねえ」
「ん?」
「なんでもない」
 貢士ははるかが運転に飽きているのだと思い、自分から話を振る。
「今日もお店?」
 彼女は仕事をかけもちしている。夕方までは貢士と同じ職場でデータ入力のアルバイトをし、夜は母親の知り合いがオーナーをしているスナックのような店を手伝っていた。はるかの他にもう一人女の子がいる。小さな店だ。
「今日は九時から入る」
「きつくない?」
 しばらく間をおいて、彼女は貢士の問いかけには答えずに質問を返した。
「バイトやめるってほんと?」
 信号が変わり、車が動き出す。
「ノブから聞いた?」
「クレーンの仕事するって。なんだっけ、あれ」
「解体屋」
「うん、それ」
 目黒一号機のようなストラクチャシステムが建てた建築物を更地に戻したり、緑地や公園などに造り替えたりするのが解体屋と呼ばれる業者だった。
 この国で暮らす人たちにとってストラクチャシステムは自然災害のようなものだった。彼らはある日突然、土地に侵入し、最大限の情熱と誠意をもって新築工事を開始する。工事を終えて撤収するまで、人間たちは黙って見守るしかない。単にセキュリティと呼ぶにはかなりやっかいな防御システムを備えていた。
 彼らが素晴らしい仕事をするケースもないわけではなかった。しかし、多くの場合、日照などの法規制や建物の運用コストなどの問題が絡んで取り壊しになる。建物があっても使う人間がいないのではしかたがない。そこで解体屋の出番になる。
 解体作業が雇用確保に少なからず貢献するという奇妙な状況が生み出されていった。土地の所有者はストラクチャシステムの展開に備えて保険をかけていたし、竣工した建物の立地や状況によっては政府から助成金が出た。
 けれども、自分が就職しようとしているのはその解体業者ではない。貢士は、アルバイト仲間の代田信哉に辞めることを打ち明けたときと同じように、再構築委員会のことは話さなかった。
 この車にはさっきまで代田信哉も乗っていた。資料を運んでいて腰を傷めたらしい。動けないといいだしたので、アルバイト先の近所に住んでいるはるかが自分の家の車を出して送っていくことになった。車中でこの話を持ち出さなかったのは、本当に腰の痛みがひどかったからだろう。
「大学時代のコネでさ。まあ、悪い話ではないと思って」
「えー、やっぱりほんとなんだ」
「バイトは再来週いっぱいまで」
「話すのが――」はるかがアクセルを踏み込みながらいう。
「遅いっ!」
 話を変えようと貢士は口を開く。
「それにしてもノブもしょうがねえよなあ」
 はるかはそれにも答えずに言った。
「うちのお店で送別会やるから」
 提案ではなく、決定事項のようだった。
「ありがたいけど、みんな金あるかな。はるちゃんの店って高いんだろ?」
 貢士は自分が辞める日と給料日を思い浮かべた。
「だいじょうぶ。ママに話しとく」
 またひとつ信号が変わって、車窓を雨の街が流れ始める。貢士は首を回して、目黒一号機とは別の機影を探す。

                  ◇

 官舎のバルコニーから眺める鶴ヶ島一号機の残骸は闇に沈んで、もう輪郭もはっきりしない。
 はるかや信哉とのあの時間を思い出すと、貢士の胸で苦いものがざわつく。自分は彼らに嘘をついて姿を消した。あの頃は“潜る”ことで何かを変えられるのではないかと考えていた。
 貢士は全自動建築システムの事故で父を亡くした。
 全自動建築システムは、ストラクチャシステムの前身にあたる。ともに開発に携わっていたのが同僚の安田だった。安田は貢士たち遺族に手を差し伸べ、何かと世話を焼いた。貢士は父の遺志を継ぐように、退職して大学の教員になった安田のもとで学んだ。
 貢士にとって全自動建築システムは幼い頃からの憧れだった。システムが暴走し、ストラクチャシステムへと変貌しても、彼は強い興味を抱き続けた。
 だが、成人し、父の死が単なる事故ではなくシステムのセキュリティ機能がもたらしたものであることを知らされたとき、彼は混乱した。その日まで彼の母親もずっと言い出しかねていたことだった。
 そして、大学は卒業したものの、就職もせずにアルバイトで日々を過ごした。自分は逃げたのだ、と彼は思った。
 逃げた先には、はるかや信哉がいた。定まらない気持ちを持て余してたどり着いた貢士に、アルバイト仲間たちとの日々は優しかった。時給は安かったが融通がきくそのアルバイトには、信哉のようなミュージシャン志望や大学の二部に通う学生などが集まっていた。貢士と同じような就職浪人もいた。
 そして、先輩として仕事を教え、なにかと気を配ってくれるはるかに貢士が惹かれるのに、それほど時間はかからなかった。
 思えば、妙におだやかでなごやかな毎日だった。安田の支援で大学に進学できたとはいえ、早くに父を亡くした彼にとって母と姉との三人の生活にはそれなりのままならなさと緊張があった。
 けれど、その宝物のような日々を曇らせてしまったのは自分だった。
 貢士は思う。
「あの時も、おれはまた逃げたんだ。はるちゃんから」
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