36:眠り

文字数 1,503文字

 貢士はレストランのテーブルから窓の向こうに視線を投げた。
 “シティ”の夜景が雨でにじんでいるように見える。最上階から望む苫小牧六号機は、このホテルとほぼ同じ高さのように思われた。
 ――まだ降りそうだな。
 それまでどうにか繋がっていた会話がまた途切れてしまった。雨の夜、ストラクチャシステム――心がどこかへ押し戻されそうになる。
「班長、やっぱり元気ないね」
 碧が夕方からぼんやりしたままの貢士に声をかける。
 またしばらく沈黙があり、彼が口を開く。
「ごめん。おれ、さっき嘘ついた」
 はるかがいたのは“逗子”なんかではなかった。
「わかってた」
 即答され、貢士は少しあわてる。彼女は気づかうように続けた。
「ごめんね、無理に誘って」
「無理なんてとんでもないよ」
 今もしも部屋に一人でいたら、自分はこの時間をどうやってやりすごしただろうか。貢士には見当もつかなかった。
 彼は、自分に何かを命じるようにあらためて碧に向き直る。
 ――ここにいる間は、はるかのことは考えない。
「タイラは次、何にする?」言いながらウェイトレスを呼んでビールを頼んだ。
「あたしも同じのっ」
 碧が元気に言い、ついでにホッケ焼きを注文する。
「今度はホッケかよ」
「だってメニューにあるんだもん」
 確かにホテルのレストランとはいってもメニューは何でもありで、二人のテーブルは自然といつも居酒屋で飲んでるのと変わらない状態になっていった。
 空気がほぐれていき、貢士はこれでいいのだと安堵する。
 どこで仕入れた蘊蓄なのか、みどりはホッケと縞ホッケの違いについて話し始める。得意げな口調がおかしくて貢士は笑った。
「ねえ、ちゃんと聞いてた? ちょっとバカにしてるでしょ」
 碧は少し不服そうにその話をまとめた。彼女の演出だ。貢士は彼女の気づかいに心の中で礼を言う。
 ちょっと不機嫌そうな芝居を続けたままで、彼女が話題を変える。
「で、班長さ。再構辞めるとき、連絡先訊いたら、なんか困ってたじゃん?」
「そうだったかな」貢士はとぼけた。
「もし訊かなかったら、そのまんまばっくれる気だったでしょ」
 今度の演出は絡み酒だ。
「いい先輩ってわけでもなかったからな。押し売りもできないじゃん」
 碧はまっすぐに貢士の目を見た。
「――もうナシだからね。そういうの」

 苫小牧六号機は、続けていた作業を二十時ジャストに中断した。
 貢士と碧がこれまで見てきたどの機体も、自己メンテナンス期間に入るのは作業停止から五分後なのが常だった。
 碧は自分のリストデバイスに視線を落とす。
「30秒前。カウント開始しますか?」
「やめろって」
 貢士は周囲をうかがいながら碧の悪ふざけを止める。
 静止していた機体が再び動き出した。
 左右に伸びていた機腕(アーム)が、天に向かって祈りを捧げるようにゆっくりと持ち上げられていく。
 機腕(アーム)そのものは闇の中では黒い影でしかない。ただ、そこには青いマーカーランプが設置され、規則正しく並び輝いていた。その光の列を、貢士はいつ見ても美しいと思う。
 二筋の青い光の列が垂直に並んだ。そして、光の列は揃って機体の前方に降ろされていく。
 二人は行儀の悪い子どものように椅子から立ち上がり、その様子を見守った。レストランの客や従業員も、ほとんどの者が黙って“彼女”を見つめている。
 斜めに降ろされた青い光の列の先端から、ひとつひとつ光が消える。後を追うように次は赤いランプが灯り、連なっていく。三秒ずつの間合いが最後まで正確に維持され、青い光はすべて赤に入れ替わる。そして、二筋の赤い光の列は、ゆっくりと静かに点滅を始めた。
 ストラクチャシステム苫小牧六号機は、しばしの眠りに就いた。
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