16:友人

文字数 3,995文字

 信哉はかなりひさしぶりに函館に連絡をしていた。
 彼が親しくしていたライブハウスのオーナーは、まるで昨日も顔を合わせたようにどうでもいい話をする。
「ノブちゃんが好きなアレ、アルバムが出たろ。七年ぶりだな」
「聴いた。いいよね、かなりいい」
「メンバーみんな爺さんなのにね。人のことは言えないけど」
「もうあのまんま消えちゃうのかと思ってたよ」
 昔からいつもそうだ。こちらから要件を話しはじめるまでは突っ込んだことはまず訊かない。質問も、先回りもしない。
 ライブハウスのオーディションの数日前に信哉はバイクの転倒で負傷した。アルバイトでやっていたファストフードのデリバリー中だった。ムリを押して本番に臨んだが結果は惨憺たるものだった。彼は「ケガが治ったら連絡おくれ。待ってるから」といって髭面をほころばせて言った。
 やがて「おっちゃん」「ノブちゃん」と呼び合う仲になった。
 信哉が東京に行くと言い出した時にも「お客さんいっぱい連れて凱旋してくれ」といって笑った。そして「一人っきりでも、たまには帰ってくるといいよ」と付け加えた。だが信哉は上京してから、おっちゃんに連絡をしなかった。いや、できなかったのだ。簡易AIに関わるようになってからはなおさらだった。
 信哉は心を決めて要件を切り出す。数年ぶりの連絡だ。おっちゃんだって、ただの電話だとは思っていないだろう。
「いきなり電話していい加減にしろって感じなんだけど」
「ん?」
「頼みがあるんだ」
「知ってると思うけどお金ならないよ。あいかわらず」
 のんびりした声が返ってくる。予想していた通りのリアクションについ口元がほころんだ。
「ちがうちがう。預かってほしいものがあるんだ」
「うん」
「おれのオベーション。送るから」
「ここに置いておけばいいの?」
「とりあえず。おれが取りに行けなければ、友だちが行くかもしれない」
 信哉は、貢士のことを思い浮かべる。
「だいじな友だちなんだなあ。親友?」
「なんで?」
「だって、ノブちゃんがあれ渡すくらいなんでしょ? 売るのか貸すのか知らないけど」
 信哉は不意を突かれてしばらく黙る。

                  ◇

 信哉や貢士たちの職場は、昼夜の二部体制で業務を回していた。
 交代勤務ではなく、アルバイトたちもそれぞれに分かれていたが、夜の部は人員が足りなくなりがちだった。残業をしたい者を昼の部から募ることがあり、週末などに信哉と貢士はよく手を上げた。
 夜の部の作業は深夜に終了する。電車で通っていた貢士は、始発までよく駐車場で時間をつぶしていた。
 信哉には彼がその時間を楽しみにしているようにも思えた。ポーターと呼ばれるストラクチャシステムの搬送機を待っているのだと彼は言っていた。
 ポーターは、ほとんどが深夜時間帯に稼働している。フルトレーラーを超える全長20mの巨体は、興味のない信哉から見ても圧巻だった。形状は搬送物によって違うようだったが、いずれも運転席らしいウィンドウなどはなく、機体はマットグレーの塗料で覆われていた。
 貢士の話では、カメラとセンサーが搭載されているので機能的にはヘッドライトすら必要ないらしい。巨体には事故を回避するために回転灯とマーカーがちりばめられていた。運行状況は、カーナビへの配信やラジオの交通情報で事前に把握できるという。深夜に走るタクシーやトラックはその情報を見てポーターを回避した。
 その夜も勤務時間を終えると、また貢士は建物の外にふらりと出ていった。追うように信哉もバイク置場に降りた。ちょうど、ポーターが乾いた轟音を立てながらゆっくりと通過していくところだった。貢士はその後姿が消えるまでポーターを熱心に観察していた。
 信哉は自分のバイクにまたがりながら彼に話しかける。
「ポーターの前を走ってた小さいの、あれもクレーンの一部ってことになるのか?」
「あれは走査ユニット」
 貢士はそっけなく答える。街灯の下で表情が一瞬険しくなったように感じた。夜勤の後で疲れているのだろうと信哉は思った。
「ポーターと一緒のときはああして先導をやる。人間のトレーラーでも、青い回転灯を点けた乗用車が前を走ってることあるだろ?」
「ああ、見たことあるよ」
「でもメインの役目はストラクチャシステムが防御に使う武器だ」
「武器?」
「人も殺せる」
 それきり貢士は黙ってしまった。
「じゃあ、おれ帰るわ」と信哉がヘルメットを両手に持ったとき、唐突に貢士が言った。
「あのさ、おれバイト辞めることになった」
 信哉はヘルメットを被る手を止めたが、あえて驚く様子を見せずに訊ねた。
「次の仕事、もう決まってんのか?」
「死んだ親父のコネだ」
「お前は割といい大学出てるもんな。行くとこがあるのは羨ましいよ」
 さほど羨ましいと思っていたわけでもなかった。自分では話をまとめるような気分でそう言ったつもりだった。
「連絡先は変わらないだろ? おれだけじゃなくてはるちゃんにも教えといてくれよ」
「でも、おれとかいてもいなくてもあんま関係ないと思うわ」
「お前、たまにそういう言い方するよな。ちょっと気に入らない」
 信哉は少し苛立っている自分に気づく。さっきの「羨ましいよ」も、どこか言い方が卑屈だったかもしれない。
 信哉は一度またがったバイクから降りた。
「お前まさか、はるちゃんから距離とろうとかじゃないよな」
「おれはこのままじゃだめだよ」
「だめって何が」
「うまくいえないけど、いまの自分がいやになった」
「あいつはお前といるの、楽しそうだけどな」
「はるちゃんにはちゃんとした彼氏がいるだろ」
 信哉は言葉に詰まり、話してしまったほうがいいのかと一瞬迷う。
 男の素性については、はるかから口止めされていた。男に妻子がいるだけではなく、彼女とその男のつきあいには経済的な問題も絡んでいた。
 信哉は再びバイクにまたがり、ヘルメットを被るとシールドを上げた。
「これだけは言っとくぞ」
 信哉には信哉の無力感があった。
「必要なんだよ、お前が。今すぐじゃなくても必ず必要になる」

 貢士の送別会はそれから数週間後だった。
 はるかが夜に働いていた飲み屋に話をつけた。信哉は複雑な気分を抱えながらも、はるかの気持ちに押されて幹事を手伝った。
 会の雰囲気はすぐにほぐれて、皆は思い思いに席を移動し始めた。
「いきなり辞めるだもん。つまんなくなっちゃうじゃないですか」
 貢士が年下のアルバイトに絡まれるのを信哉は笑ってみていた。ふだんはしっかり者の後輩なのだが、少し飲むと他愛なく酔っぱらってしまう。
 貢士はどこか照れ臭そうに相手をしていた。
「まだノブがいるからさ。あれがいるうちはやりたい放題だよ」
「誰がやりたい放題だよ」
 割って入った信哉を相手に後輩が話し始める。
「こういう店ってなんていうんですか? スナック? クラブ? キャバクラじゃないすよね」
「おれだってわかんねえよ。はるちゃんに聞いてみればいいだろ」
 十人ほどのアルバイトのほかに、職員も何人か顔を出してくれていた。はるかと一緒に幹事を務めた甲斐があったと信哉は思った。
 はるかが重ねた灰皿を持ってフロアを横切っていく。シフトはオフなのだが、結局そうはいかない。カウンター席の職員の灰皿を慣れた手つきですっと取り換える。
 隅からさりげなく店内に気を配り、信哉や貢士と目が合うと、照れ隠しなのか少し困ったように眉を寄せて大人っぽく微笑んだ。
「当たり前なのかもしれないけど、昼間と別人すぎだろ」
「だな」
 女性がいるような店には縁がない信哉と貢士は、夜のはるかを半ばあきれながら眺めた。
 ざわざわと皆が各々の話に興じている中で、信哉もようやく息をつく。
 あの後、貢士がはるかにどのように話をしたのかはわからなかった。少なくともはるかにも事情があることは自分がよく知っているのだし、これ以上お節介を焼くのは違う気がする――けれど。
 くぐもった音で耳慣れた歌のイントロが鳴りはじめた。
 皆をカラオケにまかせて手があいたはるかが、自分のグラスを手にして信哉と貢士がいるソファ席にやってきた。
「ねえねえ、三人で写真撮ろ?」
 貢士がふざけ半分に信哉に寄り添うように席を詰める。
「バカじゃねえの? 真ん中開けろ」
 信哉は笑いながら貢士を一度立たせ、自分たちの間にはるかを座らせた。
 向かいでは後輩がはるかから預かったスマートホンを構えている。
 はるかは何を思ったのか、貢士と信哉の首に両腕をかけると二人の顔を自分に引き寄せた。ひんやりとしたはるかの頬が二人の頬に触れた。
「ねえねえ」カメラ目線のまま、はるかが小さな声でつぶやく。
「ごめんね、私――」
 うろたえた貢士の視線が泳ぐ。
 信哉は貢士の代わりに低い声ではるかに言う。
「そんなことねえから、笑えよ」

                  ◇

「そうだね、割とだいじな友だち。ただ、ずっと会えてないんだ」
「そうなの? わかった、ギター送っといてよ」
「ありがとう。また連絡するよ」
 信哉が話を終えようとすると「あ、ちょい待ち」と声が返ってきた。
「ところでノブちゃんは次、いつ帰ってくる?」
 おっちゃんが自分からこうして何かを訊いてくることは珍しかった。
「おれだってノブちゃんとはずいぶん会えてないよ?」
 信哉は自分自分でも意外なほどの安堵が心に広がるのを感じる。おれにも一応、行くところはあったんだったな――。
「そうだね。もう少ししたら今やっている仕事が片付くと思うんだ。音楽じゃないんだけどさ」
「なんだってご飯食べられる仕事があるのはいいことだよ」
「うん。だもんで、いろいろ片付いてその友だちに会ってからそっち行こうかな」
 信哉は、まだ迷っていた気持ちが固まってくるのを感じる。
「じゃあ、みんなでここに来たらいいよね」
 おっちゃんの口調は、やはりのんびりしていた。
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