1-10:捕われの身
文字数 4,613文字
鬱蒼と茂る枝葉の間から、青白くのびる月明かり。仄かに光る白い花。古木のうろに集めた木の実。枝に吊るした遊具。
「(懐かしいなぁ……)」
小枝が折れる音がして、リオははっと目を向けた。遠く離れた木々の向こうに懐かしい者の姿があった。
赤い長髪、真っ赤な瞳、左頬には
男はこちらに気付いていないが、その横顔は
あの頃
のもの。「(あぁ良かった。考え直してくれたんだ……!)」
だるい体を木に寄せて、リオはおーいと手をふった。伸ばした腕にはりつく袖が、腹が、真っ赤に染まっていることに気付く。
破れた服の奥に自身の内臓が見える。
「(ん……?)」
視線を戻すと、男が歩み寄ってくる。
血濡れた指をぺろりと舐め、歪んだ笑みを浮かべながら。
「(あ……あぁぁ。そうだ、逃げてる途中だった!)」
棘の茂みをかき分けて、リオは必死に走り続けた。ふたりの距離は開いてゆき、暗がりの向こうに見えなくなった。
「(よかった……助かった……)」
すると突然、寂しいと感じた。
リオは逃げながら何度も何度も振り返る。
「(……なんでだよ。オレはこんなにも想っているのに、なんでなんだよラダリェオさんっ……!)」
すぅと意識が遠退いて、黒の中へと落ちてゆく。
深緑の瞳がゆっくりと現実に戻る。
耳鳴りのような機械音と、つんとする薬品の臭い。
リオは治療室の手術台に寝かされていた。両手両足はアームで固定されており、口元には酸素マスク、左腕には点滴が施されていた。
医師達は術後の後片付けをしているようだった。銃弾を取り除かれ、外傷で包帯だらけとなったリオは、麻酔で頭がぼーっとしていた。
眩しく霞む照明が誰かの顔に遮られた。
「リオ……! 良かった、気がついたのね!」
ふわりと香る栗色の髪。目をすぼめて見えてきたのは、眼鏡をかけた白衣の女性。身の周りの世話をしてくれる人間のひとり、イブキだ。
リオの冷えた頬に、温かい手が触れた。
「本当に良かった。貴方が死んでしまったら凄く悲しいんだから……」
死んでしまったらとは何だ。
死ぬような事があっただろうか。
いや、あった。
リオは強く瞬きをして、息を荒らげた。
「イブキさん、アイツはどうなった!? どこにいる!?」
「ここは施設よ。もう船からは降りたの。貴方は帰ってきたのよ」
「そうじゃなくて、まさか連れてきたのか!? なぁどうなんだ。あれはオレ達みたいに飼い馴らせる相手じゃないぞ!」
リオは起き上がろうとしたが、拘束具はびくともしない。
イブキは静かに微笑んで、注射器を取った。
「駄目よリオ。傷口が開いてしまうから。今日はゆっくり休んでね」
「あれ、はロゴ、ド……ら……で…………」
首に小さな痛みを覚え、リオは再び眠りについた。
イブキはうっとり目を細め、お気に入りの寝顔を撫ぜた。
白い肌に整った顔立ち。細身ながらも引き締まった体。爽やかな緑色の髪。見とれていたらこんな時間。眼鏡をかけ直して治療室の出口へ向かった。
「地下の収容所を見てきます。その後で研究室に戻るわね」
「わかりました。では、また後で」
医師達と軽く会釈を交わし、イブキは白衣を翻した。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_dcc7af784fca8a0e1feca2b745b5c4c1.png)
ここは火の国・ブレノスの国家機関の一つ『竜族の研究所』。
竜族とはあまりに種類が多く、人類にとってはいまだ未知の脅威であった。当研究所は、その様々な生態と特異な能力を研究・解明し、安全な活用法の確立によって社会的貢献を目指す組織である。
施設は都心部から離れた丘陵に設置されており、万一に備えて陸軍の駐屯地が近くにある。
火の国・ブレノスは世界で最も多くの野生の竜族が発見される土地である。
古くからブレノス人は竜族との戦いを繰り返し、現代では共存という名の蹂躙関係を手に入れていた。それを確固たるものにしたのは、まさに研究の成果だといえる。
多くの賛同と倫理的批判の中で、ブレノスでは今日も多くの竜族が調教され、人間社会に動員されてゆくのだった。
イブキは竜族生態学を専門とした研究員の一人で、リオを含めた複数の竜族を管理していた。イブキが担当する竜族には特筆すべき能力があり、その観測と記録をとるのが仕事だ。
そこへ不可解な能力を持った竜族が捕獲されたとあって、仕事が増えてしまったのだ。
研究所の
エレベーターを降り、鋼鉄の壁に囲われた通路を進んでゆく。頭上には何本もの配管が通っていて、けたたましく稼働しているわりに空調だけは悪い。
やがて対竜族用に造られた特殊な防御壁が見えてくる。
開閉装置にカードキーを通すと、三重の壁がゆっくりと開く。この防御壁の向こう側、竜族の収容所にはAクラスの階級を持つ職員だけが入ることを許されている。
内装は全てが頑丈な造りとなっている。
天井にまで積まれた檻が一本の通路を挟んでどこまでも連なっている。騒音が絶えない空間で、檻の中には様々な竜族が収められていた。
野生で捕獲されたもの、実験体として控えているもの、献血用に飼育しているもの、実用に向けて調教の予定があるもの、殺処分予定のもの、等々。区画に応じて収容の扱いも違った。
どの竜族も人間の足音に怯え、身を縮ませている。
その横を素通りして、イブキは研究員が集まっている特別な檻に到着した。
収容所の最奥に位置する隔離部屋。
首輪型の爆弾を取りつけるにあたって、麻酔銃や睡眠ガスが効かない竜族を無力化させるために使われている。前面は強化ガラスとなって内部の観察もしやすい。部屋に備わった様々な装置から、職員の間では拷問部屋とも呼ばれていた。
「皆さん、お待たせしてすみません」
「やぁイブキ君、待っていたよ。これでAクラス職員が揃ったね」
研究所長であるヒエイ博士は、老年ながらも相変わらずのユーモアで、集まりの中からひょっこりと笑顔を覗かせた。
イブキは軽く頭を下げて、博士の隣についた。
「様子はどうですか? 一個体で何百人もの被害を出したと聞きましたが……」
「凄いぞ~、久々の新種だよ! それも驚くべき多くの発見がある!」
博士は恐れるよりも研究者として胸を躍らせているようだった。
防護柵に手を掛け、イブキは新しく捕えられた竜族を眺めた。
その赤い髪の少年は、倒れて意識を失っていた。体から煙が上がっている。部屋に電流を流したのだろう。仕事の一環とはいえ、イブキは少し心が痛んだ。
研究員達は口々に状況を説明した。
「目覚めても暴れて喚くばかりでしてね。やむを得ず、もう三度目となります」
「体には銃弾の痕と思われるアザやいくつかの打ち身があるだけで、裂傷は一つもありませんでした。生体のサンプルを取ろうと試みたのですが、この子の皮膚には針もメスも入りませんでした……」
「人型で耳の形が丸いのは初めて見たよ。これは奇形か障害なんだろうか?」
「気絶時に撮ったX線写真の結果、火系の竜族特有の火袋を持っている事がわかりました。ただ形は退化している様にも見え、正常に機能しているかは不明です」
「なにより興味深いのは、この子が何もないところから物体を出現させることです。……二本の剣が現れて、消えるんです」
耳を疑う情報ばかりで、イブキはさらに困惑した。
「何もないところから剣を?? そんな非物理的なことって……」
「いやぁ~、実に面白い! 竜族は面白い! これからの研究がますます楽しくなるなぁ!」
怪訝な顔が並ぶなか、博士だけはご機嫌だ。
そこへ一人の研究員が意見した。
「お言葉ですが博士。海軍からの速報によりますと、今回の件における死者はおよそ百名以上、行方不明者は二十名以上、損失した竜族は三十体以上とのことです。この場合、竜族の取り扱いに関する法律では研究の余地なく、早急に殺処分しなければならないはずです」
すると博士はフッと表情を消し、騒音を立てて回っている巨大な換気扇を眺めて言った。
「……ああ、そうだね。ネヴァサの足取りを掴んだと思ったら、まさかの大事件になってしまった。国民の皆さんも軍人さんのご遺族も、今後の報道に注目するだろう……」
重い口ぶり調から一転。
振り返った博士は無邪気に笑んでいた。
「殺処分はね、もうした事にしよう! 表向きだけね。私はこの子をもっと知りたいんだ!」
「博士……国家機関として、生かしている事が世間にバレたらどうなるか……!」
別の研究員も乗り気ではない。イブキも同じく頷いた。
しかし博士は譲らない。
「でもさ、こんなに面白い素材を捨ててしまうなんて勿体なさ過ぎると思わないのかい? もっと竜族の未知に迫りたいとは思わないの? 君達それでも竜族の研究を生業としている者??」
気まずい空気となって、それぞれが顔を見合わせた。
従わなければAクラスから外されるのは必須。最悪、職を失うかもしれない。なにより竜族の研究界を総括しているヒエイ博士は、政治家や警察の重鎮とも繋がっている厄介な人物である。
研究員達は口を
それで良いと博士は頷く。
「とはいえ今回は、軍人さんが全く歯が立たなかった特殊な個体だ。どのように処理したかは注目度が高いだろう。処分したとの報告だけでは信用に欠けるというもの。処分したところは撮影しておいて、求められれば証拠として提示できるようにしておこうか」
博士は廊下に連なる檻を見渡し、両手を広げて満面の笑み。
「顔や体格が似ている個体を探してくれ。多少違っても色は染めれば良いし模様は描けばいいからね。ともかく、この中から殺処分の替え玉を選んでおいてくれ。最低でも三日以内には実行するよ!」
「かしこまりました、博士」
研究員達は隔離部屋の前を解散し、それぞれで替え玉候補を探しはじめた。
イブキも右に倣おうとして、なにやら博士に呼び止められた。
「ああイブキ君。君には協力してもらいたい事があるんだ」
「はい。なんでしょう」
博士の視線は赤い少年の方にある。
「火器も刃物も効かなくて、無力化できないんじゃあ研究がはじめられないよ。そこで私は考えたんだ。君の管轄にこの子の捕獲に大きく貢献した竜族がいるそうじゃないか。分かるかい?」
「はあ。リオのことでしょうか……」
「その竜族を世話係につけようと思うんだ。何かあったらまたリオに無力化してもらおう。それにこの子も、竜族が一緒なら警戒心を解いてくれるかもしれない」
まさかの提案にイブキは動揺した。自分のお気に入りに白羽の矢が立つのは嫌だ。
「残念ですが、リオは酷く負傷しています。左肩は重症で動かせません。右足は靭帯が切れていますし、ところどころの骨にひびが入っていて、期待に添えるような働きは出来ないかと。他の竜族なら適任に心当りが……」
「なんだいそりゃあ。それならもう何にも使えないって事だよね。飼育するのも税金の無駄だから、必要なデータが取れたら早めに処分しちゃってよ。報告書、待ってるよ」
その言葉に込められた脅しが、イブキには痛いほど伝わった。
「いや、ですが……竜族の回復力は凄まじいですからね。案外任せられるかもしれません、ね……」
イブキは袖の中で拳を握りしめた。
その横を素通りして、博士は鼻歌を響かせながら行ってしまった。
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