第4話 恋愛について #3

文字数 1,891文字

心、か…。
うん、心だ。

この心は、記憶のかたまりでもある。

人間が今知っていること、「知識」なんか、ちっぽけなものだよ。


昨日話した有史以前の「一体」だった頃の記憶さえ、この心はおぼえている。

ヘビやトカゲが好きな人間がいるだろう?

彼は、それらに、かつての自分を見て、懐かしんでいるんだよ。


花が好き、鳥が好き、月が好き、蝶が好きな人間たちがいる。

同じことだ、彼らは、それを愛しているのだよ、かつての「仲間」に郷愁を感じてね。


遠く遠く、過ぎ去ってしまった自分自身をそこに見ているのだ。

その自分自身とは、心自身だな。

だから、やすらぐわけだな、好きなものを愛(め)でていれば。


とすると、「一体」であった大昔の頃、その心にインプットされたものが、今、人にそれを愛させるということになる。

プラトンの「二身一体説」とも被るな。


でも、だとすると、人間は自分しか愛せなくなるじゃないか。

その通り。

人間は、自分しか愛せないのだ。

エーゲ海の一国で、ソクラテスがプラトンの書によって伝えられたように、中央アジアの一国にも経典によって後世に伝わる話がある。

アジアのそれは、かなりシュールだ。


コーサラ国王のパセーナディが宮殿の中でマリッカ夫人と交わした会話──

「私は、自分より愛しい人はございません。あなたはどうですか」

「うん。わしも、自分以外に愛する者はおらん」


といって、二人は、ケンカしているわけではない。

二人ともに、それを認め合っているのだ。

人間は、自分しか愛せない。この事実を、厳粛に承認した上で、よろしくやっていたという話だ。

うん。つまり、それぞれの心を、みつめあっているのだね。

ところで古文書によれば、ソクラテスとブッダは、ほぼ同時代に生きていた。

これは面白いことだね。

まだ紀元前だったし、有史以前の記憶から、そんなに遠ざかっていなかったからな。


あのだった頃の記憶が気になって、想い出そうと、まだ人々が必死に追っていた時代だ。

愛という概念(すでにある念だぜ)も、はじまりはその頃だったろうね。

それがいつのまにか、愛なんか忘れて、自分勝手になり下がった人間が多くなってしまった。

しかし、心に操られているとしたら、われわれはどうすりゃいいのだ?

そんな原始の頃に戻れない。

心がどんなに「一体」の頃を懐かしみ、愛し、いくら戻りたがっても、無理な話だ。

そうだ、無理だ。

だが心は、愛したい愛したいと、今もその対象を探しているのだよ。


その心が愛する対象を、人間自身が愛することが、大変な思いをずっとしてきた心に掛けてやれる、せめてもの暖かい毛布だろうよ。

何だかんだ、心と人は、永く永く、最も身近に、つきあってきた間柄だ。


その心が、「この人!」と決めた相手を、きみはその心にしたがって、愛してやることだよ。


そして翻弄されるのだ。

うまく行ったり、行かなかったりして、そして失望し、満足したりする心に。


つまり、恋愛はチャンスなんだよ、

心どうしを、だいじに、癒し合い、抱きしめ合えられる。

お互い傷ついたら、もっとだいじにしてやろう、とすることができる。

その前に、フラれたら絶望するだろう、ひとりで。

心は傷を負い、嘆き、悲しむだろう。

思い通りにならなかったダダッ子は、地面に転がって泣き叫ぶだろう。

へたしたら、ショックで死んじまうかもしれない。

そんなイヤな思いを、おれはしたくないし、心にもさせたくないね。

それも引き受けていくんだよ。

今までも、何億年ものあいだ傷ついたり癒えたりしてきた記憶が、心にはある。

思い出すまで時間がかかるけど、それまで、いたわってあげるんだよ。


いたわられた心は、ゆっくり、むっくり、起き上がってくるよ。

それまで、人間自身は我慢強く、寄り添って、見守ってあげるんだ。


そして人間には、そのくらいのことしか出来ないんだよ。

大変だな。

でも心さんは、もっと大変な思いをしてきたってわけかい。


どうしてこんなことにならなきゃいけないんだ。生まれてきたばっかりに。

あるからだよ。

心はそれ自体としてあり、きみにはこれが自分だとする自分がある。

この二つのものは、離れているのだ。


自分と、自分が愛する人が離れているようにね。

考えてもみろよ。

わざわざ恋愛するなんて、自分から熱湯のシャワーを浴びに行くようなもんだぜ。

ひとりで、安穏と、平穏に生きれるなら、それに越したことない。

その方が、よっぽどいいだろう。

でも心は、人を探し、求めているんだ。誰に命じられたわけでなく。

やれやれ。

ペシミスティックどころか、デスペレート・サロンだね。

それじゃ、ゴロが悪い。

ペシミスティック・サロンでなくちゃいけない。

これは、センスのもんだいだ。

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