第1話 希望と絶望について
文字数 1,402文字
希望が叶わず絶望するのだから、希望がなければ絶望もないということになる。同じことだよ。希望も絶望も、そこにあるものだ。
それをわざわざ引っ張ってきて、自分の中に取り入れて苦しんだり楽しんだりしているだけなんだよ。
こちらとしては、それを感じることしかできない。感じるのは自分だから、それはいかにも自分のものであるかのようだ。
でも、自分がしたことといえば、自分の外にあったものを取り入れたことだけで、自分の中にはもともとそれはなかったんだよ。自分のものでないものを、思い通りにはできないよ。
ところが、たまたま思い通りになったらば、希望が叶ったと感じ、簡単に希望のモノにされて、猿みたいに喜ぶ。
思い通りにならなくても、その簡単に絶望・失望のモノにされて、深海魚みたいに沈む。
どちらも自分のものでなかったのに。
嬉しさを感じたらまた喜びたいと願い、苦しさを感じたらもうこんな目に遭いたくないと願う。
同じタマゴから生まれた希望と絶望なのに。
つまり、絶望も希望も外にある、と?
望遠鏡でそれを眺めて、「good!」と思ったものを見つけ、それを拾い、自分のモノにしたいと願う。
その時点で、もう「希望」の役割は終わり、あとは自分でそこへ向かって歩いて行くだけ。
そして思った通りの希望に叶わなかったら、絶望する。
その絶望は、希望がそうだったように自分から離れたところのものだから、もともと自分にないものだ。
でもそれに心奪われて、つまりそのモノにされて、苦しんでしまうということかい。
そういうことになるね。
このサロンでは、ものの見方・考え方ひとつで、世界の景色が変わっていくんじゃないか、ということを話し合えたらと思っている。
なぜなら、ぼくにはあまりいい世界には思えていないのでね。理由を挙げたらキリがない。
せっかくこういう場があるのだし、言いたいことは言った方がいいんじゃないかと思ってね。