第86話 彼氏づくし(前)~二人の時間・開く秘密の窓~ Bパート
文字数 4,936文字
しばらく休んで、ここの景色を堪能した後、再び先へと進もうとする優希君。
そう言えば私は今日ポーチと多少お手拭きの入った、たすき掛けのカバンを持って来ているだけで、残りは全部優希君が持ってくれているんだっけ。
私は優希君の後ろに付くようにして、
「まだ喉は大丈夫だけれど、それ重くない?」
足元にも気を付けながら優希君に声を掛ける。
「僕は全然平気だから気にしなくても大丈夫」
そう言って得意げに私の方を振り返る優希君。今日は優希君のそんな姿をたくさん見てる気がする。
しかもこれが優希君の素なのかなと思えるくらいには自然体に見える。
それに妙に男らしく見えるから困る。メッセージ通りもっと優希君の事が好きになってしまいそうで怖い。
私は自分の気持ちを悟られない様に、優希君を追い抜いて私が先を歩く事にする。
そうすればこの人ひとり分くらいしかない道で横に並ばれる事が無いから、私の顔を見られる心配もしなくて済む。
そして今度は10分ほど歩いたら
「『馬酔木(アセビ)のトンネル』?」
別に何かがある訳でも無く、トンネルと言う割には見上げても緑の葉が屋根を作っているだけだ。
「アセビって事は初春? いや早春かな? に綺麗な花を咲かせるんだろうね」
私が疑問に思っていた事に答えてくれる優希君。私の知らない事にもスラスラと答える優希君って、こんなに博識だったのかとまた新たな発見をした気分になる。
今日は本当に優希君の“秘密の窓”をのぞいてばかりだ。
確かに生い茂る葉に花が実ればとてもきれいかも知れない。
しかもここだけやたら歩きやすくなっている気がする。
私が楽しみながら歩いた先に、今度は地図付きの立て看板が現れる。
私がその看板を目にしようと一歩踏み出したところで、優しく後ろに引かれる感覚。
「こういう場所なら手を繋げるから」
「優希君ってそんなに私と手を繋ぎたいって思ってくれてるんだ」
あまりにも嬉しそうにしてくれるからからかうつもりで聞いたんだけれど、
「そうだよ。金曜日の日は残念で仕方なかったから」
最近私に対して思ってる事、思った事を言ってくれる優希君に、素で返されてしまう。
「……うん。ありがと」
どこを見ても木だらけの森の中、気が付けば私たち二人以外に誰もいない。
吹く風によって葉の揺れる音と、どこからか聞こえてくる鳥のさえずりが私の鼓膜を叩くだけで、後は何の音もしない。
だからこんな広い森の中にも関わらず、優希君の言葉によって早められた心臓の音が、ハッキリと自分で分かる。
「じゃああと少しで頂上って言うか主峰だから行こう」
なのに優希君は平然と先へ進もうとする。
どうして私ばっかりドキドキして、優希君はいつも平然としているのか。納得が行かない。
私だって優希君にドキドキして欲しい。他の誰でもない。私で一番ドキドキして欲しいに決まってる。
そう思いながら優希君に手を引かれるようにして歩くこと30分程。
「何これ! さっきよりももっと綺麗な景色っ! ねぇねぇここでも一枚写真撮ろうよ」
さっきよりも空が近くて、眼下に広がる山は小さい。飛び跳ねたら空に手が届くかと錯覚を起こしそうだ。
「分かった。じゃあ愛美さんはまた空を背景に写真を撮ったら良いかな?」
「うんお願いするね」
畑なんてもうほとんど地面と一体化していてちゃんとは見えない。まあ実際は地面がボコボコしていて、飛び跳ねる事は出来ないし、何より優希君が近くにいるし、そんな子供っぽい所を見せる訳にはいかない。
私はその気持ちを写真に乗せて一緒に映してもらう。
「じゃあ次は優希君の番だね」
「じゃあ今度は愛美さんと同じ背景が良いな。そしたら一緒に映ってなくても、同じ場所だって分かるからね」
そんな姿を見せてしまったら、また新しくからかわれるだけだ。って思ってるところに、まさかの一言。
今日は優希君にドキドキさせられっぱなしだ。
「……ありがとう。そう言ってもらえて私も本当に嬉しいよ」
「……ふふっ。どうする? ちょうどお昼くらいだけど、ここでお昼にする? もう少し歩く?」
なのに優希君は余裕そうに、あの妹さんと同じ、鈴が鳴るような綺麗な笑い声をあげる。
「さっき主峰って言ってたけれど、ここが一番高い所?」
「そうかな? 後はゆっくり下るだけだと思う」
ここが空に一番近いのなら、ここで食べるのが一番おいしい気がする。まあ優希君が作ってくれたお弁当がおいしくない訳無いけれど。
「じゃあここでお昼しよ」
全天とはいかないけれど、視界の半分くらいは近い空を見ながら食べられると言うのは、カクベツな気がする。
そして優希君から受け取ったウェットティッシュで手を拭いた後、優希君のお弁当を貰うのだけれど、どうも気恥ずかしい。
別に女が料理って訳じゃ無いけれど、私の中で少しずつ優希君の私の手料理を食べて欲しいって思う気持ちが強くなってきてる。
私がそう思っている間に出してくれたのは、スーパーの揚げ物コーナーなんかに良く置いてある、フタ付きの透明のプラ容器だった。
「これも優希君……だよね」
思った以上に素朴なお弁当みたいだ。
「うん。愛美さんがどう思ってるのかは分からないけれど、愛美さんが食べるものは僕が作ることが多いと思う」
何となくだけれど、妹さんは私のために腕を振るうのは嫌だって言ってる気がする。
でも私としては、私の事を考えて作ってくれたお弁当もすごく好きだったりする。そして私の横に水筒から注いでくれたお茶も準備してもらった所で、空に近い場所からの静かにベンチに座っての昼食。
「あれ? 今日のお弁当少し塩辛い?」
優希君でも塩の分量、味付けを間違える事ってあるんだなって思っていると、
「海と同じで、山も汗をかくから、その分塩気は多くしてあるんだ。だから喉も乾くと思うし、一本渡しておくから好きな時に飲んでよ」
そう言って水筒のコップの横に、お水の入ったペットボトルを一本置いてくれる。
「……ありがと」
辛くても食べられない事は無いなって思っていた自分が恥ずかしい。前のサンドイッチの時にも、私への気遣いがたくさん詰まっていたはずだったのに。
「念のために。別に塩を振り過ぎたとか、分量を間違えたとかじゃないから。その証拠に食べられない事は無いはずだけど」
何もかもお見通しと言わんばかりの笑顔を私に向けて来る。
「……優希君のイジワル」
せっかく空に近い、いつもよりも涼しい場所でカクベツなお昼をしているのに、どうして私の体を熱くさせるのか。
誰もいない二人だけの空間。大好きな大空も見てくれている私たち。確かに幸せなのに、楽しいのに納得が行かない。
それでも手で摘まめるもの、爪楊枝一本で口に入れられるものばかりだから、空いた手で、時折優希君の手に触れながら、優希君が作ってくれた気遣いのつまったお弁当・飲み物を口から体の中に入れる。
今日は体の中も外も優希君で一杯だなって、恥ずかしい事を考えながらいつもとは全く違ったお昼を楽しむ。
適度にお昼と休憩を挟んだ後半戦。なんかこう言った山の中って言うのは、自分で出したゴミは自分で持ち帰るって言うのがルールみたいで、食べ終えた空容器なんかをもう一度リュックに戻してから、次は何とかって言う池を目指して移動を開始する。
……確かにここに来るまでにゴミ箱らしきものも、途中にゴミが一つも落ちてなかった。
そして本当に緩やかな下りだけなのか、さっきまでよりもさらに歩きやすい地面に、横に5・6人くらい並んで歩けそ
うなほどの道を優希君と二人手を繋いで並んで歩く。所々木の根もあるけれど幅が大きい分避け易いから、歩き辛さは全く感じない。
その途中にブナの原生林って言うのもあって、まるで森林浴でもしているかのような場所を通ってなだらかな道を優希君と共に歩く。
「ちょっと気になってたんだけれど、時々木とか石に赤や黄色のテープとか、マーカーみたいなので塗ってあるのは何で?」
「僕たちみたいにレジャーを楽しんでいる人が、道に迷わないようにするための目印」
私の質問に得意気に答えてくれる優希君。
「迷わない為って。こんなに分かり易いのに迷う人なんているの?」
でもこんな優希君を知っているのは学校内では私だけだと思う。
「晴れてる時は大丈夫だけど、雨が降ったり曇ったりし始めると、この目印の数でも本当に分からなくなるから間違いなく動けなくなるよ」
そして私の追加の質問にも淀みなく答えてくれる優希君。
「優希君。そう言う経験あるの?」
「そこまでのは無いけど、曇って周りが見えなくなって怖い思いをした事は何回かあるかな。まあそう言う時の為に雨具も持っては来てるけど」
そう言って青とピンクの合羽をカバンの中から少し覗かせてくれる。ピンクのは妹さんの分かな。
でもよく考えたら、こんなところで一人で迷子になったら、恐怖でパニックに陥りそうな気がする。
「だから雨が振らないと分かってる日じゃないと来ないよ」
そう言って私の手を引きながら微笑みかけてくれる優希君。
そして一時間半ほど歩いた14時過ぎくらい、休憩を挟んだとはいえもう四時間くらいは歩いたと思うけれど、優希君と歩いて、優希君と綺麗な景色を見て、そんなにたくさん歩いた気がしない。
「そしてここが今日のもう一つの目玉。になるのかな?」
木々の隙間から夏の日差しが降り注ぐ、とてもなだらかな道が視界と共に開けた時、
「――っ!」
声にならない感嘆をもらす私。
そこには天然の芝生かと思うくらい碧くきれいな草原に、緑色に映し出した水面。
それに対比させるような真っ青な空が、私の視界に飛び込んで来る。
それに今までほとんど人がいなかった道中なのに、どこに人が隠れていたのか、真ん中の湖畔とでも言うのか、を囲むようにして、みんなが思い思いに
「やっぱり気持ちいいね。ここから少し遠いけど、あそこにトイレもあるしここで少しゆっくりしようか」
そう言って花柄のレジャーシートを広げる優希君。
みんなどの人を見ても大小さまざまなリュックを持っていて、手ぶらで来ているのは私くらいじゃないのか。
そんな事を考えながら優希君のレジャーシートの上にお邪魔させてもらう。
なんか景色もきれいだし、さっきのすごく近い空も良かった。それに優希君の気遣いもすごく嬉しいけれど、
「周りの人みんな何かしら荷物を持っているけれど、私だけ手ぶらでも良いのかな――っ?!」
私が気まずい気持ちを口にしたら、なんと優希君が私の頭を撫でてくれる。
「今日は愛美さんを驚かせたかったし、僕が愛美さんにカッコつけたかったから、今日は僕に付き合ってくれてありがとう。嬉しかった」
しかもカッコつけたかったって、今以上にカッコ良くなってこれ以上私に惚れさせて優希君は一体私をどうしようと言うのか。
「ううん。初めは何が何だかさっぱりだったけれど、私もとっても嬉しいよって言うか、楽しいよ。それにそんなに格好つけなくても優希君は十分に……」
「……十分に?」
その上私は何を口走ろうとしているのか。こういう事はあの図書館で学習したはずじゃないのか。
頭で思った事をそのまま口に出すのは恥ずかしいって学習したはずじゃないのか。
私の頭を撫でたままの優希君が、私に期待の目を向けてくれる。
「……ごめん! ちょっとお手洗!」
好きな人から頭を撫でてもらえるのは格別ではあったけれど、本人の前で格好良いとか口にするのはさすがに恥ずかしすぎるって。
―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
「私この写真消さないで保存しておくね」
私だけが知っている優希君の趣味・姿
「そうじゃないなら愛美さんを誰にも渡したくない」
そして優希君の心の中の本音
「それか、優希君が雪野さんをはっきり断ってくれたらね――」
断ったら?
「ただ優希君も男の人なんだなって考えてただけだよ」
87話 彼氏づくし(後) ~ 二つの信頼「関係」~