(二十一)黄昏

文字数 1,217文字

 車掌が通りかかったので声をかけた。
「だいぶ涼しくなったね。夏も終わりかね?」
「もう秋でございますから」
「秋?」
 驚いたわたしを置いて車掌はさっさと歩き去った。窓を見た。すると確かに木々の葉が色づき街の景色はもう秋の佇まいだった。列車はいつか川沿いを走っていた。川の向こう側にビルが建ち並んでいる。随分都会のようだが。もう夕暮れのラッシュ時なのか人の波が慌ただしく行き交っている。黄昏の陽が街も川も紅く染めている。川の面にきらめく黄昏の光を目で追いかけわたしは窓から顔を出した。すると川は列車の下まで続いていた。
 何?川が列車の下を流れている!
 なんと、列車は川沿いではなく川の上を走っていた。
「なにーー」
 わたしは大声で叫んだ。けれど驚きを分かち合う人などいない。まあいい、きっと大丈夫なのだろう。現にこうやってちゃんと走っているのだから。落ち着きを取り戻したわたしは再び川を眺めた。きらきらと黄昏の光が瞬いている。そこへ突然声が。

「だいとうりょう」
 ん?確かに声が聴こえた気がした。車内を見回したが誰もいない。きょとんとしていると再び声が。
「大統領。ここだよ、ここ」
 声は列車の外からだった。何処?誰だろう?周りの景色を見回した後川を見下ろした。川の水面。
 おお!
 なんとそこに人影が映っていた。川は列車の立てるさざ波に揺れ、人影ははっきりとは見えなかった。と突然列車が止まった。川の上で。さざ波が収まり川に映る人影の像が定まった。わたしはじっとその影を見つめた。
「大統領。気付いたかね?」
 川に映った人影が再びわたしを呼んだ。そしてわたしはそれが誰なのかわかった。
「首相」
 大統領と呼ばれたわたしは川の面に映る男に答えた。男はある国の首相だった。男は待っていたように話し出した。
「大統領、では早速本題に入ろう」
「そうですね、いつまた川が荒れるとも知れません」
 何の本題だろう?大統領と呼ばれたわたしは男の言葉を待った。男は言った。
「例の投下目標だが」
 例の?例のとは何だ?
「ドイツはもはや敗色濃厚」
 ドイツ、例の投下目標?男はさらに続けた。
「さらに開発の可能性もない」
「では、そうなると」
 大統領と呼ばれたわたしは恐る恐る尋ねた。男は静かに答えた。
「あの国」
 あの国、例の投下目標。
 その時突然波が起こり川の面が揺れ出した。
「待って下さい」
 大統領と呼ばれたわたしは川に映る男に叫んだ。けれど川は揺れ続けた。ゆらゆら男の影が消えてゆく。
「待て、待ってくれ」
 再び川が平静に戻った時けれどもう男の影はなかった。わたしは我に返った。
 例の投下目標、あの国。

 突然列車が激しく揺れた。動き出すのだろうか?待っていたが列車は動き出さなかった。その代わり列車は沈み出した。川へと少しずつ少しずつ。
「どうしたのだ?」
 わたしは大声で叫んだ。おい、このまま沈没してしまうのか?
「車掌!おーい」
 けれど答えはなかった。列車は川へと沈んでいった。
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