(二十八)離脱者

文字数 1,329文字

 列車は暗黒と静けさの中を黙々と走り続けた。やがて遠くに灯りが見えた。どこか見覚えのある灯りの群れ。どこだ、ここは?わたしは記憶を辿った。ここは確か。
 そうだ、ここはロスアラモス!
 人里離れた山奥に建つ研究所。しかし、またなぜここへ?そう思う間もなく列車は止まった。目の前には研究所の門があった。相変わらず固く閉ざされた門。
 ドアが開くわけでもなく列車はしばらくそこに停車していた。どうしたのだ?わたしはシートに座ったまま待った。何を?列車が再び動き出すのを?それとも車掌が事情を説明しにやってくるのを?いや、そうではない何かを予感のようにわたしは待っていた。なぜだかわからないが。あたりはしーんと静まり返っていた。

 静寂を破り突然音がした。研究所の門が開く音だ。何だ?わたしは息を殺し事態を見守った。門が開くとひとりの男の姿が見えた。男は守衛とひと言ふた言言葉を交わし、それから研究所の外へ足を踏み出した。男を残し研究所の門は再び閉まった。誰だろう、あの男は?なぜ研究所から出たのだろう?
 研究所の門が閉まるとすぐに今度は列車のドアが開いた。何というタイミング!まるであの男を待っていたかのようではないか?そして男は列車へと乗ってきた。男が乗車するとすぐに列車のドアは閉まり、列車は走り出した。静まり返った山の中を。
 
 男はシートを探しわたしの車輌へと移動してきた。男は段々とわたしのシートに近付き(わたしのシート以外は空いているのに)男はわたしの座るシートの前で足を止め、わたしの向かい側のシートに座った。なぜだ?あるいはまたか、とわたしが思うより早く男はわたしに声をかけて来た。
「所長」
 何?
 しかし次の瞬間わたしはその研究所を出た男に向かってこう答えていた。
「どうしたのだね?」
 例によって無意識に。わたしは研究所を出た男がわたしに向かって呼んだ『所長』として、あの山奥の研究所の所長として、今男と向かい合っていた。男は科学者だった。
「研究を止めたいそうだが」
 所長と呼ばれたわたしは科学者に問いかけた。科学者は叫ぶように言った。
「ええ。ドイツが降伏したのですよ」
「ああわかっている」
 所長と呼ばれたわたしは静かに答えた。
「だったらもはやこんな研究など必要ないではありませんか?」
「しかしきみ」
「なぜまだこんな研究を続けるのですか?」
「わたしたちは」
「わたしたちはドイツに対抗するためにこの研究を始めたのですよ」
「ああそうだが」
「ではもう必要ないではありませんか?」
「しかしこれは、この研究は」
 科学者と、所長と呼ばれたわたしとの話し合いは平行線を辿った。所長と呼ばれたわたしの言葉は歯切れが悪かった。
「それでは仕方がない」
 長い議論の末、所長と呼ばれたわたしはその科学者が研究所を出てゆくことを認めた。

 疲れたわたしは列車の暗い窓ガラスに目を移した。長く長く続く暗黒の中にふとわたしは小さな光、瞬きを見つけた。おや、何だろう、あれは?
「きみ。何だろうね、あの光は」
 わたしは研究所を出た男に問いかけた。さっきまで議論をしていたあの男。けれどもう男の姿はなかった。
 遠くで車掌の声が聴こえた。
「次はほたる駅。お降り遅れのないよう、お気を付け願います」
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