(二十)夕映え駅

文字数 1,438文字

 わたしは我に返った。列車はすでに海岸線を離れもう海は見えなかった。
 わたしは滝のような汗をかいていた。その時車掌の声がした。
「次は夕映え駅。お降り遅れのないよう、お気を付け願います」

 夕映え駅?
 走り続ける列車の窓から空を見上げた。夏の夕映えが広がっていた。地平線の彼方に小さな駅が見える。あれが夕映え駅か。列車はゆっくりと駅に到着した。駅舎もホームの看板や線路もみな夕映えの色に染まっていた。何という美しさだろう。
 ベンチにひとりの男が座っていた。男の顔も夕映えに染まっていた。男は列車がホームに入ってくるのを見ると立ち上がった。
 列車が止まりドアが開く。静かだ。何という、せみしぐれも聴こえない。ただ遠く何処からかカラスの鳴く声が聴こえるだけ。懐かしい夕暮れの風景、誘われるようにわたしはホームへと降りた。するとベンチにいたさっきの男が近付いて来た。わたしに何か用か?それともただの乗客?男はわたしの前で立ち止まった。男は静かにわたしに話しかけた。
「大統領」
 大統領!またか、わたしは心の中で叫んだ。

「大統領、お待ちしておりました」
 男は手を差し出した。大統領と呼ばれたわたしは訳がわからないまま男と握手を交わした。男の手に触れたその瞬間、けれどわたしは男が誰なのかわかった。男は科学者B博士だった。わたしは男に向かって答えた。
「博士。お待たせしてしまって」
 男は笑みを返した。
「立ち話も何ですから」
 男とわたしはホームのベンチに腰を降ろした。ふと空を見ると空は夕映えのままだった。雲は立ち止まり夕映えの色も変化がない。まるで時間が止まっているかのようだ。もしかしてこの駅はずっと夕映えのままなのかもしれない、ふとそう思った。しばらくわたしたちは黙って夕映えを見ていた。やがて男から口を開いた。
「早速ですが、大統領」
 男は深刻な表情で大統領と呼ばれたわたしを見つめた。
「今作られているあの新型爆弾は」
 なに、その話か。わたしは息を飲んだ。
「これまでの爆弾とは比較にならない破壊力を持つでしょう」
「博士」
「そして世界の大国が競い合い、次から次へとあの新型爆弾を作るでしょう。密かに、無秩序に。世界を支配する、弱い国を脅す新型爆弾として」
「博士」
「想像して見て下さい、大統領。もしも何処かの国がその使い方を一歩誤れば、世界は一瞬にして滅亡してしまうかもしれないのですよ。この世界、地球。大統領、そうなってからでは手遅れなのです」
 男は身を乗り出し大統領と呼ばれたわたしへと迫ってきた。その熱気に押されわたしはベンチの端まで後退りした。
「博士、ではどうすれば」
「ですから、大統領。野蛮な国の暴走を、人間の愚かな過ちを食い止めるため、国際的な管理体制が必要なのです」
「わかりました、博士」
 わたしは曖昧に答えた。見上げると夕映えの空が変化していた。止まっていた時間が再び動き出したかのように。雲が流れ、赤々と燃えていた夕映えの色が翳り始めた。突然発車のベルが鳴った。
「博士」
 わたしは立ち上がった。
「大統領」
 男は咄嗟にわたしの腕をつかもうとした。けれどわたしは男の手から逃げた。
「わたしはもう行かなければなりません」
 わたしは列車に飛び乗った。男は追いすがってきた。
「大統領!大統領、大統」
 けれど男の声は途絶えた。振り返ると男の姿はもうなかった。夕映えのプラットホームにベンチだけが残された。

「そろそろ発車の時刻でございます」
 列車のドアが閉まり、列車は夕映え駅を発車した。
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