(三十二)夜市駅

文字数 5,204文字

 夜市?終着駅を間近に控えて夜店とは。
 駅に到着すると夜だというのにホームには大勢の人が立っていた。どうしてこんなに人がいるのだろう?みんな列車を待っていたのだろうか?列車のドアが開くと人々は勢い良く列車に乗り込んできた。わたしの車輌にも大勢の人が押し寄せた。子ども、大人、老若男女。
「寄ってらっしゃーーい」
 突然威勢のいいかけ声が上がった。
 何だ?見るといつのまにか列車の中に夜店が並んでいた。ほんの一瞬のことだ。どうなっているのだ?あちらこちらから人々の歓声が沸き上がる。成る程この駅では列車自体が夜店というわけか、それで夜市駅。
 最初は目を丸くしていたわたしも人々の賑わいに慣れ何だか心が浮き浮きしてきた。まあ、いいではないか。たまには賑やかなのも悪くない。折角だからわたしも見て歩くとしよう。そう思ってシートを立った時ざわめきに紛れてひとつの声が聴こえて来た。

「大統領」
 ん?
 浮かれた気分が吹っ飛び夢から醒めたように辺りを見回した。耳を澄ますとその声は隣の車輌から聴こえて来る。わたしは人込みを掻き分け隣の車輌に移動した。そこには長い客の列があった。何の店だ?前へ歩いて見るとそこは綿菓子屋だった。
 綿菓子屋の客たちは何か熱心に話し合っていた。客のひとりが叫んだ。
「大統領」
 何?ピクリとわたしは反応した。わたしのことか?けれど客の言葉は。
「大統領だ!今すぐ大統領に訴えよう」
 何、そうか。わたしを呼んだのではなかったのだな。わたしは安堵しながら客の列の最後に並び彼らの話に耳を傾けた。一体何を訴えるというのだ?
「しかし驚いたな」
「まさかあんなに凄まじいものだとは」
「悪夢だ、まさにあれは悪夢だ」
 彼らの様子には緊迫感が漂っていた。ひとりがつぶやいた。
「もしあんなものがこの地上の何処かに」
 彼らは息を飲みそれから声を揃えて叫んだ。
「計画を中止させなければ」
 計画?すると綿菓子屋の店主も叫んだ。
「それが、この計画に携わったわたしたち科学者の使命だ」
 科学者?さらに客たちのシュプレヒコールが上がった。
「そうだ、わたしたちはやらなければならない」
「今すぐ大統領に訴えよう」
 綿菓子屋の客たちは自分の順番が来ると綿菓子屋の屋台に置かれた用紙に何かを書いていた。何だろう、あの用紙は?みんな何を書いているのだ?不安になりながら後ろを振り返るといつのまにかわたしの後にも大勢の客が並んでいた。みんな真剣な眼差しをしている。わたしは雰囲気に呑まれその場から立ち去ることが出来なかった。
 とうとうわたしの順番がやって来た。わたしは恐る恐る綿菓子屋の店主と向かいあった。その瞬間なぜかすべての客の姿が消え、そこには店主とわたしのふたりだけが残された。わたしは目の前の店主の顔を眺めそして息を飲んだ。
「おお、きみ!」
 それは科学者Sだった。彼は静かに頷きわたしに綿菓子を差し出した。わたしはそれを受け取り綿菓子の棒を握り締めた。
「いいんだよ。遠慮せずに食べて」
 彼の言葉にわたしは一口綿菓子をかじった。
「苦い!」
 思わずわたしはつぶやいた。何と苦い綿菓子だろう。彼は笑いながら答えた。
「後悔で作ったから」
「え、こうかい?」
「わたしたち科学者の」
 黙り込む彼の顔を見つめた。確かに綿菓子は苦かった。そうか、確かに後悔の味だね。それから彼は静かに言った。
「それでは署名を」
 そうか、みんなが書いていたのは署名だったのだね。過ぎ去りしあの夏が甦った。あの日あの時、わたしが署名をし、そしてそれからすべてが始まったあの夏。もしも、過去にもしもが許されるなら、あの時もしもわたしが、わたしが。
「新型爆弾投下に反対する請願書なんだ」
「そうか」
 わたしは彼が差し出すペンをつかもうとした。けれどその瞬間綿菓子屋の屋台の灯りが消え辺りはまっ暗になった。わたしの手にはしぼんだ綿菓子だけが残っていた。苦い味の綿菓子だけが残された。

「大統領」
 ん?また声がした。声は隣の車輌から聴こえてきた。わたしは手探りで隣の車輌に移った。隣の車輌に入ると二つ三つ灯りが灯っていた。一番近くの灯りの下に少年たちの集団がいた。少年たちは何かを取り囲み、その何かに見入っていた。彼らは殺気立っていた。
 何だろう?
 少年たちに気付かれないように彼らの中心を見るとそこには木箱がひとつ。その箱の上に二ひきの虫がいた。カブトムシだ。ああ、カブトムシを闘わせてそれを楽しんでいるのだな。無邪気なものだ。しかし良く見ると一方のカブトムシには角がなかった。角が折れていたのだ。それでも少年たちは闘いを止めさせなかった。
「きみたち」
 わたしは少年たちに声をかけた。
「もういいのではないか、きみたち?もう勝負はついているだろう?」
 けれど返事はなかった。誰一人振り返る者さえいない。勝負に夢中で聴こえなかったのか?わたしはもう一度叫ぶように言った。
「なあ、きみたち。角が折れていてはもう勝負になるまい?」
 とその時、誰かがわたしの肩を叩いた。
「大統領」
 振り返ると軍服を着たひとりの男が立っていた。はて、誰だろう?と思っていると男は言った。
「わたしですよ」
 するとわたしは答えた。
「ああきみか。将軍」
 大統領と呼ばれたわたしはそう答えていた。例によって相手が誰かわかった。
「何だね、将軍?」
 将軍と呼ばれた男は辺りを見回した後、大統領と呼ばれたわたしの耳にささやいた。
「もはやあの国は壊滅状態です」
「うん、そうだね」
 大統領と呼ばれたわたしは答えた。
「ならば大統領」
「何だね?」
「あの国に」
「あの国に?」
 そして将軍と呼ばれた男は再び周囲を見回した後、大統領と呼ばれたわたしの耳に静かにささやいた。
「新型爆弾を使うまでもないと思われます」
「何?」
 大統領と呼ばれたわたしは耳を疑った。大統領と呼ばれたわたしは言葉に詰まった。突然少年たちの喚声が起こった。わたしは木箱の上のカブトムシに目を移した。
「しかし」
 答えようとして再び振り向いた時けれどもう軍服の男の姿はなかった。
 少年たちの喚声が止み、木箱を照らす灯りがふっと消えた。

「大統領」
 また声がした。同じ車輌からだ。声のする方角に目を移すとそこには金魚すくい屋があった。わたしは金魚すくい屋の灯す灯りへと歩いた。
「大統領」
 わたしを見るなり金魚すくい屋の店主は言った。客はひとりもいなかった。
「わたしか?」
 問い返えすわたしに男は頷いた。
「勿論。あなたですよ、大統領」
 わたしは男の顔をじっと見た。見覚えのある顔。男は陸軍長官Sだった。
「おお、きみか」
「大統領、あなたもひとついかがですか?」
 男は金魚のすくい網を大統領と呼ばれたわたしに渡した。見ると水槽には五匹の金魚が泳いでいる。
「金魚のお腹に文字が刻まれております」
「文字?どういう意味だ?」
「すくって見ればわかりますよ」
 大統領と呼ばれたわたしは言われるまま五匹の中の一匹をすくった。すぐに金魚を掌に乗せ、金魚のお腹を見た。そこにはこう記されていた。
 "hirosima"
 なに?男の顔を見たが男は黙っていた。大統領と呼ばれたわたしは急いで別の金魚をすくった。金魚のお腹を見ると、そこにはこう記されていた。
 "kokura"
 なに?これは。大統領と呼ばれたわたしは急いでまた別の金魚をすくった。金魚のお腹にはこう記されていた。
 "niigata"
 なに?おい、これは?わたしはほたる駅で見たカードのことを思い出した。トランプカードに書かれていた文字。すくい網はもうほとんど破れていたが大統領と呼ばれたわたしはなんとかもう一匹すくった。これで四匹目。金魚のお腹を見た。そこにはこう記されていた。
 "nagasaki"
「何だね、これは?どういう意味だね?」
 大統領と呼ばれたわたしは男に尋ねた。けれど男は答える代わりに言った。
「もう一匹残っております」
 すくい網はけれどもう完全に破れていた。
「もう無理だ」
 大統領と呼ばれたわたしがそう答えると、男は水槽に残った最後の一匹を自分の手で捕まえた。男はその金魚のお腹を見せた。そこにはこう記されていた。
 "kyouto"
 次の瞬間金魚屋の灯りが消えた。

「大統領」
 それからまた声が聴こえた。声は綿菓子屋の車輌から聴こえて来た。綿菓子屋の車輌に引き返すと綿菓子屋は既に消え、代わりにお面屋があった。客がふたりいたが店主は見当たらなかった。見るとたくさんのお面が並んでいる。正義の味方、怪獣、天使、悪魔、ミッキーマウス。わたしは何気なくひとつのお面を手に取った。それは虎のお面だった。すると突然声をそろえてそのふたりの客がわたしに向かって言った。
「大統領」
 一人は狐のお面を被り、もう一人は龍のお面を被っていた。わたしは相手が何者かわからず答えに困った。狐のお面の男が言葉を続けた。
「大統領、例の爆弾はどうなっておりますか?」
 すると龍のお面の男がその言葉に反応した。
「何ですかな、例の爆弾とは?」
 ふたりはじっとわたしを見つめた。
「大統領!」
 狐のお面の男と龍のお面の男は再び声を合わせ、沈黙を続けるわたしを呼んだ。
 何と答えればいいのだ?
 困ったわたしは顔を隠すように手に持っていた虎のお面を被った。するとどうだ!
「落ち着いて下さい」
 大統領と呼ばれたわたしの口が勝手にしゃべりだした。
「これが落ち着いていられますか?例の爆弾とは何ですか?」
 問い詰める龍のお面の男に大統領と呼ばれたわたしは答えた。
「新型爆弾のことですよ」
「何、新型爆弾?そうでしたか」
 龍のお面の男はショックを受けたように俯いた。
「それでどうなんです?」
 狐のお面の男が尋ねた。
「ええ、実験は成功しました」
「なんですと!」
 龍のお面の男が再び驚きの声を上げた。けれどその反応は何処か白々しかった。
「それでは、それを何処に?」
 狐のお面の男が尋ねる。
「あの国ですよ」
 大統領と呼ばれたわたしが答える。するとまた龍のお面の男が反応して叫んだ。
「なにーー!」
 けれど矢張りそれは何処か芝居じみていた。狐のお面の男にしても同じだった。お面を被っているせいだろうか?何もかもがお芝居のように思えた。そうだ、戦争も平和も、何もかも。ただ傷つき死んでゆく人々の痛みだけがお芝居ではなかった。あのテニアン島で死んだひとりの兵士。
 わたしは自分の顔からお面を取った。その瞬間お面屋の灯りが消えた。

「大統領」
 それからまた声が聴こえた。それは隣の車輌、わたしが元々座っていた最後尾の車輌からだった。移動してわたしは元の車輌に帰ってきた。
 バーーン!
 バーーン!
「大当たりーー!」
 車輌に入るなり威勢のいい声と少年たちの喚声が聴こえた。そこは射的屋だった。
「大統領」
 射的屋の店主がわたしに声をかけた。
「大統領、指令をお願いします」
「指令?」
 男はわたしにコルク銃を渡した。大統領と呼ばれたわたしはコルク銃を受け取った。男は標的の人形を指差した。
「あれです」
「あれ?」
 その人形は折り紙で出来た、あの国の人形だった。
「あれを狙えと?」
 大統領と呼ばれたわたしの問いに男は頷いた。
「大統領、指令をお願いします」
 男は繰り返した。
「しかし」
 大統領と呼ばれたわたしは言葉に詰まり手に持ったコルク銃を見つめた。
「大統領、みんな指令を待っております」
「大統領、指令をお願いします」
「大統領、指令をお願い」
「大統領、指令を」
 いつのまにか大統領と呼ばれたわたしの周りに少年たちが集まっていた。
「早くしてよ、おじさん。ぼくたち順番を待っているんだから」
 ひとりの少年が叫んだ。仕方なく大統領と呼ばれたわたしは恐る恐るコルク銃を構えた。わざと標的から外れるように。
「大統領、指令を」
 男は重い口調で催促した。
「早く、早く」
 少年たちが合唱した。
「だから、何の指令だね?」
 大統領と呼ばれたわたしは思わず叫んだ。
「・・・への投下指令ですよ」
 男の答えは少年たちの喚声にかき消された。
「何だね、よく聴こえなかったが?」
「おじさん、早く」
「おじさん、早く」
 少年たちにせかされ、つい大統領と呼ばれたわたしはコルク銃の引き金を引いてしまった。ところがコルク玉は。
 バーーン!
「大当たりーー!」
 そして折り紙の人形は倒れた。わたしはコルク銃を床に落とした。

 突然まっ暗になった。人々の気配は消え辺りはしーんと静まり返った。何という静けさだろう。さっきまで夢のように華やいでいた夜市。まるで夏の夜の夢。気付くと隣には車掌が立っていた。わたしは静かに尋ねた。
「もうお祭りはお終いかね?」
 けれど車掌はわたしの問いには答えず、いつものようにアナウンスを告げた。
「そろそろ発車の時刻でございます」
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