文字数 4,699文字

 リズの怒りを受けてぼろぼろになった紙切れを受け取った先生は、中身を見なくても内容を察したようだ。
 大きくため息をもらす。
「俺も、どうしてお前が内定をもらえないのかがさっぱりわからん」
 言いながら、よれよれになった不採用通知に目をやる。
「ここがダメだとしたら、どこもダメな気がするが……」
 進路指導室に呼び出されたリズは、すっかりここの常連になってしまった。常連になるということは、まだ内定をもらっていないということ。リズとしてはまったく嬉しくなく、早くこの部屋からおさらばしたい。
「この会社なら大丈夫だと思ったんだがな」
 リズの進路指導を担当している先生も困った様子でつぶやく。
 がしがしと後ろ頭を掻き、眉を寄せてもう一度息を吐いた。
「うーん……」
 言動からはあまりやる気を感じさせないのだが、面倒くさがらないでしっかりと相談に乗ってくれるのでいい先生だと周りの評判は高い。
「リズはどうしても医療分野に進みたいんだろ?」
「はい。それ以外の進路は考えてません」
「そっち方面は求人自体が少ないから、どうしても数が限られるんだよな。ほかの分野だったら、もう少し求人が多いんだが……」
 学校に届けられた求人票は、分野ごとに仕分けされる。先生の言うとおり、医療分野とそのほかの分野ではファイルの厚みが違った。
 医療分野の求人票が綴じられている青いファイルを開き、先生がぱらぱらとめくり始める。
 しばらくめくっていたものの、いいものが見つからなかったのかうなりながらぱたんとそれを閉じた。
 その姿を申し訳なく思いながらも、リズは医療分野以外の進路は考えていない。絶対にこの道に進もうと今までがんばってきたのだ。ここで進路変更なんてしたくない。
 求人票に目を通していた先生がふいに、「そこで提案なんだが」と言ってくる。
「時期的に条件のいいところはほとんど残ってない。これからやってくる求人も期待薄だ。だから先生からの提案なんだが、就職のために一年留年するってのはどうだ?」
「――それは絶対に嫌です」
「デスヨネー……」
 きっぱりと断ると、予想していたらしく簡単に引き下がった。
「とりあえず、私は早く就職して出世してがっぽり稼いで借金を返して、家族を楽させるんです」
「……その最初の段階でつまずいてるってことか」
「私の将来設計では、ここでつまずくのは想定外です」
 手に持った赤ペンで額を掻いた先生は、何枚かの求人票を差し出してくる。
「来ている求人の中では、これらがわりかし条件がいいと思う。目を通してくれ」
「はい」
 受け取って、言われたとおりに目を通す。どこも給与は同じくらいだ。手当て、研究成功報酬、賞与、昇給、福利厚生。今まで受けた会社より条件は低くなるが、それでも一般人よりかなりいい条件が揃っている。
 そのとき突然電子音が響き、「おっと。悪い」と言って先生が席を外す。どうやら携帯が鳴ったようだ。
 通話ボタンを押してから携帯を耳に当てて話し始めた先生を気にすることなく、リズは真剣な表情で求人票を見る。
 今からでも遅くないから大学を受験すればいい、と先生は言うが、そんなお金はどこを叩いても出ない。それなら奨学金を借りればいい、と言うが、返せるか返せないかわからないお金なんて借りたくない。それに、これ以上借金を増やすのは嫌だ。
 就職のために留年する人も過去にはいたらしいが、リズはこれ以上家族に負担をかけたくないから、なにがなんでも卒業までに内定をもらいたい。
 この際はどこでもいいと思ってしまうが、やはり働くならば少しでも条件がいいところがいいし、自分のやりたいことがやれる会社に就職したい。じゃないと、長続きしないだろう。ただえさえ、最近は新卒就業者の離職率が高いと言われているのに。
 じっくり吟味し、一つにしぼったところで先生が電話を切って戻って来た。
 携帯の画面を見つめたまま、「あー……。バッテリー切れそう」とつぶやく。
「充電したらいいじゃないですか」
 そう言うと、先生は肩をすくめた。
「バッテリー自体が弱ってるから、どれだけ充電してもすぐに消費してしまうんだよ」
「だったら、早めにショップに行って携帯を替えたほうがいいですね」
 魔道具の一つである携帯電話は、魔力を消費して電話やメール、ネットやそのほかの機能が使える。
 一般人は二ヶ月に一回くらいのペースでショップに行って魔力バッテリーを購入し、それと携帯をコードでつなげて充電を繰り返す。
 魔力保持者は、専用の充電器を購入し、自分の魔力で充電を繰り返すことができる。バッテリーを購入する手間が省けるのだ。
 どちらも大体二年くらいで携帯の充電池が弱ってしまうため、それに合わせて携帯を替えてしまう人が多い。それに合わせた二年区切りのサービスもたくさんある。
「最近はなにかと物入りだから、あんまり金は使いたくないんだが仕方ないな。それで、どこにエントリーするか決めたか?」
「はい。ここにします」
 そう言って差し出した求人票を見て、先生は「まぁ、妥当ってところか」とつぶやいてから選ばなかった求人票を受け取る。
「ここに連絡して、まだ決まってないようだったら履歴書を送るから、とりあえず書いとけ」
「わかりました」
「じゃ、また呼ぶから。それまで待っててくれ」
「はい」
 ――今度こそ。
 今度こそ、この部屋とおさらばしたい。
 頭を下げたリズは部屋を出ると、進路指導室と書かれたプレートをにらみつけた。



「少し遅くなっちゃったな……」
 腕時計を見ると、バイトの時間が近づいてきていた。しかし、特に急ぐような時間帯でもない。教室に鞄を取りに戻り、寮へ帰って着替えて向かえば余裕で間に合うだろう。
 教室にたどり着いたとき、中でクラスメイトたちが話しているのが聞こえた。
「アーネルさん、また不採用だってさ」
 話題が自分だと気づき、リズは反射的にドアを開けようとした手を止める。
 盗み聞きはいけないことだとわかっているが、クラスメイトたちはリズの存在に気づかずに話を始めてしまった。完全にドアを開けるタイミングを逃してしまう。
「もう内定が決まってないの、アーネルさんだけになったって先生たちが話してるの聞いちゃった」
「学校の就職率一〇〇パーセントの実績に、このままじゃ泥を塗りかねないね」
「言えてる。いくら勉強ができて学年次席でも、就職できないなんて笑っちゃう」
「毎日シドくんと言い争いをする暇があるんだったら、少しでも内定がもらえるように努力しろって感じ」
 わずかな悪意のある言葉が、胸に突き刺さった。
 思わず息をひそめて聞いてしまう。逃げればいいのだとわかっているのだが、足の裏から根っこが生えているかのように足を動かすことができない。
「毎日毎日シドくんを独り占めしちゃってさ。今日届いた不採用通知で落ち込んでるのを見て、ざまあって思っちゃった」
 ――シドのファンの子たちか……
 前から色々と囁かれているのは知っている。被害を受けたこともある。
 最初は落ち込んで気分が沈んだものの、シドの名前が出た瞬間に条件反射的に怒りがわき上がってくる。
 ――それなら、あんなやつリボン巻き付けてくれてやるわよ……っ!
 ためらうことなく思いっきりドアを開けると、中にいた数人の女子がはっとした顔で振り返ってくる。
 リズの姿を認めると、気まずそうな顔をした。
 本人に聞かれてそんな顔をするんだったら、誰が聞いてるかわからない学校で陰口なんて叩かなきゃいいのに、と思いながら、何事もないかのように教室に入って通学鞄を手にする。
 その一挙一動を静かに見守る女子生徒達は、リズの様子から今の話を聞かれてしまったと確信しているようだった。
 鞄を持ってその脇を通り抜けたとき、肩越しに振り返る。
「シドのやつが欲しいなら、リボンを巻き付けてくれてやるからいつでも言ってね。私だって、あいつと言い争いをするたびにこんな暇があるんだったら早く内定が欲しいと思ってるから」
 にっこりと笑って言ってのけると、相手はさっと顔色を変えた。
 言われっぱなしは嫌だ。ただ黙って言われているだけだと思うなよ。言ってくれた分、こっちだって言ってやるんだから。それくらいの覚悟をして陰口を叩いてるんでしょ?
 一人は怒りで顔を赤くし、二人は罪悪感からなのか青くなっている。
「ま、あげたところでシドがあなたたちに興味を示すかはわからないけど」
 シドは驚くほど他人に興味を持たない。
 最初は大企業の御曹司という立場でたくさんの人に囲まれていたが、そのうち気の合う数人だけを残して一切の関わりを持たなくなった。
 積極的に自分から他人に関わろうとしている姿は見たことがない。
 なのに、リズには自分から近づいてくる。それが不思議でならないが、ただ単に貧乏人が珍しいだけなのかもしれない。その証拠に、会えばその口から出てくるのは主に嫌味だけだ。
 この学校は魔力を持っていてそれなりの成績を修めれば学費がいくらか安くなるが、それでも一般の学校よりかは高い。必然的に、裕福な家の子供が集まってくる。
 その中で借金を抱えて入学してきたリズは異質な存在であるらしく、入学当初は注目された。
「なによ。シドくんが話しかけてくれる優越感に浸ってるつもり?」
 一人の女子が、怒気を含んだ声音で訊ねてくる。
 リズはその子に向き直り、右手を腰に当てて「違う」と答える。
「あなたたちは私がシドを独り占めにしているって言ってるけど、私にそのつもりはないの。あっちが勝手に絡んでくるだけ。それを私のせいにしないでって言ってるわけ。あなたたちは、あいつに存在を認識してもらうための努力をしたの? 私はあいつに少しでも存在を知ってもらおうと努力して今があるだけ。知ってもらう努力もしてないくせに、それを私のせいにして私を貶めて優越感に浸ってるのはそっちでしょ?」
 ぐっと相手が言葉を呑み込む。
 二年生のときに首席を奪われてから、リズは悔しくてたまらなくて必死に勉強した。しかし、結果は常に次席だった。
 そのうち、貼り出されるテスト結果でずっと自分の隣りに並んでいる名前を覚えたのか、あちらから声をかけてきた。
 そのときから嫌味たっぷりで、ムカついて言い返したら、怒るどころか楽しそうに笑って教室にすら現れるようになったのだ。あの嫌味返しのどこが楽しかったのか、今でもさっぱりわからない。
 澄ました顔で首席を奪っておいて、こっちの存在すら知らないなんて許さない。いつでもその地位を奪ってやるからなと虎視眈々と狙っても、やっぱり追い抜くことができない。
 悔しくて悔しくて、首席を狙われている危機感を覚えろ、と死に物狂いで勉強して、やっとその視界に入れてもらったのだ。
 シドと言葉を交わしている今は、決して興味を持ってもらうためではなく、その座を狙っている人間がいるんだぞと知らしめるための努力をした結果だ。
 なにもしていないやつに、なにもしてないように言われたくない。
「じゃ、また明日。卒業までそんなにないし、あと少しで私の顔なんて見なくてすむようになるから。それまで我慢してね」
 そう言って教室を出る。
 背後で、「ムカつく!」と叫んでいるのが聞こえた。
 言ってろ。
 こっちだってムカついたんだから。
 シドのことと就職のことは関係ないだろうが。
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