文字数 3,210文字

信じらんない……。
 朝食のスクランブルエッグを作りながら、リズは昨日の出来事を思い出していた。
 このタワーマンションがある場所が高級住宅街だから少し考えればわかることだが、コンシェルジュに教えてもらったお店の食材はかなり高級なものが多かった。いや、多いではない。それしかなかった。
 ハンバーグ用のひき肉を買おうと思って、見たことないような高級そうな肉が並ぶケースの前に立つと、グラムがリズのバイトの時給を超えるひき肉を見つけてしまい、思わずその場で固まってしまったのは記憶に新しい。しかも、一番安くてだ。
 グラムが私の時給より高い……。
 格差だ。ここに明らかな格差を見た。
 ものすごく迷ったものの、この辺りにお店はこの一軒しかないと聞いているし、店員さんがにこにこと待っているから、仕方なく腹をくくって必要な材料を買い物かごへ入れ、シドから渡されたカードで支払った。
 レジで合計金額を聞いたときはめまいがした。食材でこんな値段になったのは初めてのことだ。
 そして、その高級食材で作ったハンバーグはめちゃくちゃ美味しかった。
 いつもどおりに作ったはずなのに、ナイフで切ればあふれる肉汁が食欲をかき立て、付け合わせのポテトは甘みを感じる。
 シドは会話もそこそこに一心不乱に食べていたから、まずくはなかったのだろう。食べ終わった後に、「うまかった」と一言口にしただけだったが。
 片付けが終わった後にバイトへ向かい、色々と事情を説明すると少し早めに給料をくれたのでかなり助かった。
 今日はそれで必要なものを買いそろえなければ。
 就活に必要な分も残しておかなきゃいけないし、それを考えると自由にできるお金の額も限られてくる。
 とりあえず、最初に必要なものは服だ。いつまでもシドのものを借りているわけにはいかない。
 寝間着も貸してもらったのだが、滑らかな着心地だった。着心地はいいのだが、よすぎて逆に落ち着かなかったのに、いつの間にか眠っていて気づいたら朝になっていた。
 どんなことがあっても、どんな場所でも、体内時計はしっかりしているようでいつもどおりの時間に目覚めてリビングに行くとシドはまだ寝ているらしく、とりあえず朝食を作り始めたのだ。
 冷蔵庫の中には二日分くらいの食料が詰め込まれている。
 今日か明日くらいにはまた買い物に行かなくてはならない。しかし、あのお店は心臓に悪すぎる。一般庶民が行くような場所ではないのだが、あそこしかないのだから行くしかない。
 こんな部屋に居候させてもらうのに、家事をするだけでは家賃として足りないかもしれない。それなのに、食費まで持ってもらうのはいたたまれない。
 ほかにすべきことはないかと思ってしまうが、就活と家事とバイトと学校を同時並行でやっている今ではほかのことに手を伸ばす余裕はない。
 こうなったら、早く内定もらわないと……!
 スクランブルエッグと一緒に焼いていたウインナーを皿に移し、同じ皿にトーストを乗せる。産地直送らしい野菜をガラスの器に盛りつけてからドレッシングをかける。
 コップを傍らに置くと、我ながらしっかりとした朝ご飯が作れた気がする。
 今まで料理なんて弁当作る以外にあまりやったことはないが、最近は新型携帯にレシピアプリがあるくらい便利な世の中になった。
 時間があるときは、そのアプリでいいレシピを検索するのもいいなぁ、と思ったところで、リズははっと我に返ってその場にがくりと膝を突いた。
「……馴染んでる……」
 居候二日目で、すでにこの生活に馴染み始めている自分に気づいてしまった。
 なんでこの自分があんなやつのために美味しい料理を作らなきゃならないのか。いや、置いてもらってるんだし、せっかく作るんなら美味しいって言われたい。高い材料を使ってるんだから、まずい料理なんてもったいなくて作れないし。
 色々と頭の中で悶々と考えているせいで、背後に人の気配が立ったことに気づかなかった。
「……なにやってんだ、おまえ」
 驚きで肩を震わせて振り返ると、そこには黒の寝間着姿のシドの姿があった。どんな格好でもモデルが着ているみたいに見えるから不思議だ。
「……なんでもない」
 一瞬だけ見惚れたもののなにもないかのように答えて立ち上がり、「朝ご飯できてるから、さっさと食べて」と言うと、シドはあくびをしながら返事をして席に着いた。
 ガラスコップに冷たい飲み物を注ぎ入れながら、様子をうかがう。なんだかまだ眠そうに見える。
「あんた、朝弱いの?」
「弱いってほどじゃないけど、苦手だな」
 トーストにバターをぬりながら答えてくる。朝からしゃきっとしているのかと思っていたので、ちょっと意外だった。
 嫌味の一つも言ってこない。
 なんだか、拍子抜けしたかも……。
 リズもシドの向かいに座って、「いただきます」と手を合わせてからトーストを手にする。
 衝突ばかりする同居になるかもしれないと思ったが、開始早々からなにも起こらない。シドが嫌味を言わないから、リズも応戦する必要がないし、静かな朝を迎えることができた。
 朝が苦手だと言ったのはやっぱり本当だったらしく、食事をする手つきにぎこちなさがある。早いけれど綺麗な所作で食べるのを昨日の食事で見ているから、苦手なら朝食は軽めがいいかもな、と思いながらバターをぬったトーストをかじる。
 リビングにある大きな窓からは朝日が射し込み、部屋の中を明るく照らしてくれる。
「……」
「……」
 無言の食事が進み、二人が立てる食器の音しかしない。
 リズが話し出すタイミングをうかがっていると、シドは食事を続けながら「おい」と声をかけてきた。
 嫌味か、と身構えながら視線を向けると、目が合った。
「お前、なんでスクラングルエッグにしたんだ?」
 なんだ、そんなことか。
 少し身体の力を抜いて、「だって、あんた半熟が苦手でしょ?」と問い返す。
「……俺、そんなことお前に言ったことあったか?」
 リズも聞いたことないから正確には知らないが、バイト先での料理の注文内容でなんとなくそう思っただけだ。
「ないけど。バイト先で目玉焼きが付いてる料理に関しては、ずっと両面焼きでしっかりと火を通してくれっていつも言ってるから、半熟が苦手なんだろうなぁ、って思ってただけ。だったら、スクラングルエッグにしようかなって」
「……そうか」
 シドは短く答え、再び無言の食事を再開する。
 なので、リズも口を閉ざす。
 変なこと言ったかな? もしかして、間違ってたとか……?
 ちらり、と盗み見ると、シドはなにを考えているかわからない表情でリズが作ったスクランブルエッグを食べていた。
 半熟が苦手だと思ってしっかりと火を通したのだが、もしかして違ったのだろうか?
 シドがなにも言わないから、間違ったのかすらわからない。
 好き嫌いがあるなら早めに言ってもらわないと困るのだが。せっかく作ったのに「これは嫌いだ。食べたくない」と言われると材料がもったいないし。
 そのまま一言もしゃべることなく食事が終わり、シドは「着替えてくる」と言って席を立った。
 リズはすでに着替えをすませているので、後片付けが終わったらすぐにでも出かけることができる。
「わかった」
 食器を重ねて炊事場へ持って行くと、少し離れた場所でドアが閉じる音がした。
 今日はリズの生活に必要なものを街へ買いに行く予定で、シドが荷物持ちとして付き合ってくれる話になっている。
 皿を洗いながら、リズは思わず「平和だなぁ」とつぶやく。
 顔を合わせれば口喧嘩ばかりしていたのに、なんだか不思議な感じだ。
 学校でも、こんな感じでなにも言ってこなければいいのに。
 そしたら、もっと違うかたちの関係が築けたかもしれない。
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