第9話 その後

文字数 2,424文字

部屋に積まれた箱の山の中にあの子は寝ていた。
ブラックパール号とニューファルコン号はテーブルの上に置かれ、
その他の荷物は箱のまま部屋の中に積まれたままだった。
その箱を一つ空けては中身が外に出され、
そして幾日か経ってからまたひと箱空けられと部屋は無造作に散らかっていった。
そのさまざまの物の海の中にあの子は眠った。

同じ布団にくるまり、朝が来て、夜が来てまた朝が来た。
そしてまた朝が来て、夜が来た。それが何度も続いた。
そして薬がなくなる日が近づいた。
あの子の母は苦労して山を越えた隣町に転院先の病院を見つけて薬をもらいに行くことができた。
精神科は簡単に病院を変えられない、担当の医師から、新しい担当の医師へとつなげられるのだ。
でなければ薬が無くなってももらうことができない
「薬がなくなるのですが、前の病院でもらっていたのと同じものを出せるのでしょうか。」
・・・それができないと言われた。
そんな制度は後になって知った。
それができなければ薬をもらうために青森に行かねばならなかった。
一度は病院の紹介状が間に合わず青森へ行った。
父と母は綱渡りのように薬を手に入れてた。

それは台風20号の時だった。一日早く出発した。
10月11日の夜に青森に向かった。
次男のいる弘前に向かいそこに泊めてもらい、翌日病院へ向かった。
もうなつかしさを感じる光景になっていた。
もうこの土地に属していないんだ。
そんな寂しさを感じた。
いつもの坂を上ると病院についた。
そしていつものように待合室で2時間を待った。
そして先生と話し、薬局へ。
そして薬が手に入った。
それがどんな安堵か。
安心への鍵を手にした保証の安堵だ。
そしていつものように、夕食をとりにあの子の望むところへ行って、食べ終わるとすぐに出て
そしてその日は青森の家ではなく次男がいる弘前の家へと帰った。
そして翌日宮城の山の家に向かった。
あの子はただただ朦朧としていた。
長い帰りの高速道路の旅も一度も目をつぶることなくいつものように起きていた。
5時間という時間を感じないのだ。
感覚は本のページをめくるように、1ページめくったらもう宮城の山の家だった。

そして一か月がたち、薬が無くなり新しい病院へ行く日が来た。
病院へ行くには峠を越えた。
二度目には途中、猿の群れに会った。猪もいた。
一か月前は青森の街中に住み、なんでも歩いて済んだ。
今は車で何分も運転して目的地に向かう。
車の中で変わらずあの子は薬で朦朧としていた。

引っ越しの大きな変化の中で病気を再発させ入院させるわけにはいかないと、
あの子の父母はあの子の病院を見つけることを最優先させていた。

青森では通院は病院の通院バスがでていて、歩いて駅まで行けばそれで通院できた。しかし今は違う。

「青森は良かったな!」
とぼろっとつぶやきがでた。

引っ越しは親の都合だった。
あの子の父と母にはこの引っ越しを乗り越えることは奇跡を期待することだった。
あの子に理不尽な無理を掛けることだと知っていた。
しかし宮城の父母のためにはどうしても必要なことだった。
どちらかも取ることはできなかった。
遅くなる前に宮城行を決めた。
あの子に無理をさせることは承知だった。
申し訳ない!
だから調子を崩してしまっての再入院の一文字が頭に浮かんだ。
それをどうにかやり過ごしたかった。

苦しさと、あやふやな中、
青森のあの子の部屋と山の家のこの部屋は隣の部屋となり
青森の部屋の扉を開けて、あの子は山の家の部屋の扉から入った。
青森の扉を開けたらそこは山の家だった。
あの子に引っ越しは起きていなかった。
扉の間の380Kmはあの子にはなかった。
あの子の意識の中では青森のあの部屋の扉を開けたら、山の家の部屋の中だった。
青森から山の家に移ったことは意識の中にはあったのだろうか、
ないようにあの子の父母には思えた。

リスパダールで朦朧とした意識があの子の世界だった。
幻聴と妄想、幻覚の世界があの子の地球だった。
目が覚めればあの子はその世界に放り出された。

それは何も止めるものはなかった。
ふとした疑問が頭に持ち上がるとそこから妄想が始まった。
昔の記憶が今日になり、それは現実になり、それが思考のすべてを飲みこんだ。
それが日々であり、どこにいるかは意識の曖昧さの中にあった。

ある時は、思いが一瞬で戦国時代に、
「この城の鉄砲の仕掛けは・・・」
そんな関心の糸が次々と伸びて、
それは思いもつかない終着駅に着いていた。

次の瞬間にはあの子の意識は、大きく飛んで小学校の同級生にあった。
同級生、江里子は自分に話しかけてきたのは自分に仕掛けを作り、彼氏にしようとした!?

その理屈は鉄砲の仕掛けがその結末となる。
その結びつかない江里子と鉄砲があの子の頭の中ではつながりがあった。

あの子は好感を持たれた外観だった。
好意を抱いて近くなろうとする子はいつもいた。
そして近くなるとあの子の不思議さと、場違いの一言で誰もの心が冷めた。
それがいつもの結末だった。
好き嫌いでなく。
そしてまたあの子は一人になった。
そして妄想の中で女の子は引き続き在り続けた。
幾度も目の前に現れ、あの子も江里子も中学生だった。
昨日のことではなく今のこの時のことだった。
思い出でも以前のことでもなく。
失うことも寂しさもない。
あの子の別れも壊失もない。
だからあの子は今を話すことが難しかった。
今、昨日、以前、これから・・・それがないのだ。
今しかなく、時間もなく、意識の中であらゆることがありえた。
まるで4次元のようだった。
それでも時間は流れた
変わらぬ毎日
江里子はいつもそこにいて同じことを語る。
あの子にはそれがその一時のこととしてしか意識されない。
毎回初めてのことなのだ。

幻聴、幻覚、意味もなくやってくる不安、胸を締め付けられる寂しさ。
それをやり過ごす技をあの子は試み続けた。

不安をやり過ごす。
来る日も来る日も同じことが続いた。一日が終わり眠りにつく、そして目覚め、また同じ苦労の繰り返し
耐え続け、日が過ぎた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み