第3話 次の面会

文字数 1,854文字

「なんだっけ、あれ、あれ、動物だ、
何だっけ。首伸ばしてがぶっと噛み付いて話さないやつ。
うー、わからない、
なんだっけ、…亀…、亀だ、亀だ。噛み付くんだ」
「すっぽん!?」
「亀なんだ。そう亀なんだ。夜にやってくるんだ。
最初はコップを触ったり、僕のものをいたずらして音を立てるんだ。そして始まるんだ。」
「幻聴、妄想」
「どっちでもない。頭の中で騒ぐんだ」
「大変だね」
「罵声、罵声、罵声さ。」
「意味も無く難しいことを終わり無く早口で話し始めるんだ。グレート愛坂さんみたいに。」
「一度話を始めて噛み付くと、もう終わらないんだ。
いつまでも話が終わらないんだ。それもものすごい速さで話すんだ。
何を言っているのかわからないけど、ずっと聞いてあげないといけないんだ。」
「すっぽんだ、すっぽんだよ。わかるわかる。いきなり噛み付いて、愛坂さんみたいに、
誰もまねできないような速さで難しい理屈を話し始めて、」
「こんなこともわからんのかばか者!て最後は」
「そうだろ」
「うん」
「その罵声か」
「苦しい?」
「苦しくない」
「それはよかった」
「…それはもしかして、お前が助けてくれると知ってくるんだよ。
お前は助けているんだよ。
そうお前しか相手にしてくれないからってやってくるんだよ。
お前がすっぽんを、亀を助けているんだ。」

そのうちに晩御飯の時間になった。
あの子は晩御飯のアナウンスを無視して話し続けた。
あの子の母が「晩御飯の時間みたいだよ」と言うと、
ためらいながら面会室の窓から談話室を眺め、ちょっと椅子から腰を上げて、ドアに手を伸ばした。
そしてまた座って話を始めた。
すっぽんの話を繰り返した。
聞くとそれは毎晩でなくたまにやってくると話した。
あの子の親はそんな一言で、毎日でないんだ良かったとちょっと安心する。
そしてまたあの子は腰を上げて、面会室の引き戸を開けてどこで食べようかと思案していると、
それを察した看護師が、「面会室でご飯だべますか」と声をかけてきた。
あの子はにっこりとした。
ご飯を取りに行くと、看護師が面会室に夕食を持って来てくれるという。
あの子はにもう一度にこっとして、いすに座り続きを話し始めた。

あの子の母はかぜのひきかけか、少し疲労を感じていた。
それでもマスクをして目だけはあの子の話に焦点を合わせた。
母の目を見て、病院の夕飯を食べながらあの子は話し続けた。

すっぽんはたまに夜にやってくる。
晩御飯を食べた後の午後七時頃だ。
カタカタと音を立てて来たよと知らせると、怖くなる。
そして話し始める。ゆっくりだが、だんだん早口になり、止まらなくなり、
延々と意味のないことを理屈でもあるかのように話し続ける。止めることはできない。
罵声を発するのは、あの子でなく、そのすっぽんだ。
「こんなこともわからんのかばか者」とか、…、頭の中が張り裂ける。
それが朝なのかどうなのかもわからなくなる。でもしっかりと寝ているそうだ。そんな夜を昨夜はすごしたそうだ。

食事がおわり、盆を下げると、面会室に戻ってきた。
薬はと聞かれるとあの子はもう飲んだと答えた。
母は朝から調子が悪く、長い話にもうふらふらしてきたのか、
「ごめん、もう帰る」
「ああ」
「またね」
「ああ」
あの子はドアを開けて、ゆっくりと椅子から立った。まだまだ話したいのがわかった。
大部屋の廊下を自分の病室に向かって歩いていき、途中で振り返り手を振った。
ちょっと肩を落として、大部屋に消えていった。
なぜか廊下を遠回りをして部屋に帰っていく。
閉鎖病棟の鍵の音はしっかりしている。
ガチンと音とを立てて、こちらとあちらとを分けている。その音が印だ。
鍵が開いて、ドアの外へ出れば静かな廊下だ。
8階の窓から裏庭が見える。外灯できれいな雪景色になっている。
杉の木がまたねと言っているみたいに雪の重みで頭をたれている。

エレベーターのボタンを押すと、8階にすぐエレベーターはやってくる。
広い移動ベットが入る大きさのエレベーター。
そこに入ると、あの子の父と母は気が落ち着く。
「今日一杯話していたね」あの子がさびしさを見せないだけでもほっとする。
この病院は一階が地下になっている。山のくぼ地に建てたからだ。
2階が本当の1階。2階のボタンを押すと、エレベーターは静かに下りて行き、すぐに着く。
ドアが開くと、いつもの出口。
夜間用の裏廊下にまわり、鉄の扉を開けて、廊下のクランクカーブを3回通ると、夜間用の裏玄関に出る。
雪が降る夜、息が白くなり寒さが肌をきゅっと締める。
今日も終わった。
そう感じて、車に乗り、山から街へと帰っていく。
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