第4話 外泊…・

文字数 2,227文字

携帯の電話が鳴った。
先生からの電話、
そろそろ外泊はどうですかとの問いだった。
「はい、先生の言うとおりにします。」
「では日曜日から」
「いいですね。そうしましょう」
先生は元気良く乗り気の声だった。
二泊三日の外泊が決まった。

あの子の父は3回もナースステーションに確認し、その日の手はずを整えた。
帰還の第一歩となる外泊は家で過ごせるようになる練習だ。
その実験的練習の成果を見て、退院を目指す。

まだあちらの世界にいるあの子は病気が再発した部屋に戻ってきて、いいのだろうかと不安を感じる父だった。
朝に迎えに行くと、あの子は布団の中で丸まっていた。
声をかけると繭の中から抜け出てきたように、
「あれ退院」とあの子は言った。
「ん…外泊、退院の練習」
あの夜にあの子が履きかけた雪用のブーツを持っていった。
そのブーツを履いているのを見ると、入院前の散歩に行くあの子の背中が見えた。

わかってるのだろうか。
まるで退院するかのようにすべての荷物をまとめて手にしていた。
それを止めはしなかった。

ガチャンと鍵が開いて、あの子は外へでた。
エレベーターを降りて、ホールを歩くと、自動ドアが開いて、その先の冬の世界へ。

車のエンジンをかけると、あの子はドアを開け、後部座席に洗濯物と、全部の荷物を載せて、扉を閉めた。
いつもは乗らない助手席に座った。
大きく弧を描いて病院の駐車場を回転して、街へ帰る道へと出た。
長い下り坂になる。松の森をぬけると、まっすぐの坂道が街へ向かう。

「広い風景」
あの子が一言発した。
死んだ魚のような目をしていたが、バックミラーで見た目はさめていた。
喜びの小さな光が目に見えた。予想外だった。
薬の深い朦朧とした世界のコクーンの中にいたあの子の心が小さな感情を表した。
何も言葉も交わさず、車は下界へと白い坂道を下っていった。

坂を下り最初の信号に来た時には目は再び沈んでいた。
あの子の親は緊張していた。
またあの聞こえない声がやってくるのではと。

昼を待たずあの子の希望で中華屋に入った。
静かにチャーシュー麺を注文し静かに待って、出てくると黙々と食べた。
二泊三日の外泊が始まった。

短い旅を終えて家に着くとあの子はベットの中でコクーンとなり、眠りの世界へ。
夜ご飯は父がチャーハンを作った。大盛りを食べて、そのままベットの中に。
母は体調を崩し、一日中寝ていた。お昼は一緒にやっと行けたが、帰ってきたら、床の中に戻った。
ただ淡々と時間がたち、そして
夜は静かに過ぎた。

翌朝は早起きだった。
父が起きたのを知ると、あの子も降りてきた。
1階のダイニングで目玉焼きの朝食を取る。
その時、父の心臓は鼓動を早めた。
何か不穏な雰囲気を感じた。
イラついているあの子、どうしたのか。狭いダイニングをうろうろ歩き回る。
足の動きは硬く、床に当たる音も硬い。

「どうしたの」
「いらいらする」
それ以上言葉をかけるのをやめた。
あの子は薬の時間を覚えていた。
8時、朝の薬を口にした。数分後、
「はあ、楽になった」その言葉を聞いて、父はほっとした。

ただただまた時間は過ぎて行った。
夜まであの子は繭の中にいた。
布団の中に丸まってあの子はじっとしていた。
妄想のあの世界にいたのか、それとも薬の副作用の朦朧とした意識の中か、わからない。
一日がただ過ぎた。

その夜は深夜に除雪車がやってきた。街の人は「ブル」と呼ぶ。
轟音を立て、誘導員の無線機でやりとりが、
さらにうるさく除雪車のぎらぎらとしたヘッドライトに照らされた外の明かりの中で響き渡る。
いつもならあの子はそれで目が覚めて、眠れない夜をすごす。タイミング悪く、今夜は来たなと父は思った。
もう来てしまった。眠れなかったら仕方ない、なるようになるしかないのだ。
ブルがいつ来るかはわからない。
路面を雪が凍って20センチ近くの暑さになると、時を見計らい予告もなくブルは来る。

あの子の部屋の扉は開くことなく、また部屋の灯りも付くことは無かった。
「寝たのか?!」部屋の中を確認することはせず、あの子の父は時計を見てただ床に入った。
寝る前の薬はこんなにも効くのかとほっとした。
あの子は起きることなく、布団の中に丸まっていた。
眠りを見届けたあの子の父も夜の薬を飲んで、ほんの数分もたたずに眠りに落ちた。

帰る朝、あの子はもう起きていた。父は年に一度の健康診断日、卵焼きの朝食を用意した。
食べ終わると、あの子は薬を探した。
見つからない!
父は不安を感じで、まだ体調が悪く暖かい布団の中で寝ているあの子の母を仕方なくを起こして薬をたずねた。
母は機嫌悪く、下に降りてきて、
「ここにあるでしょ、なくなったら今すぐ病院もどるようになるんだよ」と荒々しく声を上げた。
それはあの子に聞こえなかった。父はほっとした。
母はその後、急に優しい声になり、あの子に声をかけた。

父が出た後、母と子は言葉を交わした。
もうおしゃべりのあの子でない。一緒にテーブルにすわり、ちょっと言葉を交わし、そしてあの子はまたベットへもぐりこんだ。
昼も食べずに
そして…無事夜はやってきた。

帰る前の夕食はあの子の望みでまた中華屋へ、
餃子とラーメンを食べて、山の上の病院へあの子は戻った。
一日はこんなにもそっけなく過ぎた。

ガチャンと鍵が開き、すぐ身体検査。服を着替え、母と一緒にあの子は病室に戻って行った。
笑うことも無く、
「あ、退院でなかったんだ」
「ごめんね、外泊、またあるから」
帰り道、父と母は静かに山道を下りた。
ほっとし、心はわずかに軽くなった。
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