第2話

文字数 2,005文字

 今日も仕事を休んでしまった。
相変わらず職員が足りず、パートさんが私の代わりに休日出勤したそうだ。2日続けて休んでしまったから、穴埋めに使われたパートさんからはさぞ恨まれていることだろう。どうしてこうも体調が悪いのか。自分でも分からなくて、不安で、自分のことなのに説明できないことが辛い。
昨日は「寝たら朝になることが怖い」とか「眠いけど寝ちゃったら仕事に行かなくちゃいけない」だとか考え込んでしまっているうちに、朝日が昇ってきてしまった。正しくは昨日じゃなくて早朝のことだ。寝不足になりたくてなってる訳じゃない。朝が来るのが怖い。仕事に行かなくてはならないから。あの満員電車に乗るのも精神的にきつい。人の視線とか、人の密集したニオイとか、電車のブレーキ音だとか、些細な声や音が精神を削っていく。そんなことを思うと、布団から出られなくなる。「怠けてる」と言われればそれまでだけど、私の心情を理解できるのは私だけだ。新卒で正社員として入社した時は、会社を休むなんて悪いことだとしか思えなくて、体調を崩しても一切考えられなくて、罪悪感でいっぱいで休もうと思えなかった。今は休むことにそこまで抵抗はなくなってきている。正社員ではない雇用形態だからというのもあるけれど、このまま休み癖が付いてしまうのもどうなのか。既に手遅れかもしれない。

 仕事を休んでしまった罪悪感からか、家事はしっかり行うようにしている。洗濯物を回して、干して、今まで干していた物は取り込んで畳む。掃除機をかけてフローリングの角や隅まで丹念にモップをかけ、一息入れたら今度はキッチンのシンクを洗う。洗剤とスポンジで洗った後は、ガスコンロをクレンザーで磨いていく。フード付きの換気扇の油汚れも取り除いて、換気も忘れず行って、部屋はピカピカになっていく。私の心もこうしてピカピカになれたらいいのに。何かに没頭している時は余計なことを考えずに済むから良い。
 気が付いたら数時間も立ちっぱなしでいたので、そろそろ腰が限界だ。座って本でも読もうと思い、本棚に手を伸ばす。電子書籍も世の中で随分浸透してきたけど、紙の本がやっぱり大好きだ。表紙のデザインや手触り、ページをめくる時の感触、めくる度に鼻腔をくすぐる紙の香り。内容だけでなく触覚や嗅覚でも楽しめる紙の本は最高の娯楽と同時に、かけがえのない経験をさせてくれる。人生は一度きりだから、本を読むことで様々な人間の、時には人間以外の生き方を学ぶことができる。たとえフィクションだとしても、心情の機微が感じ取れて、自身では出来なかったであろう色々な生き方を体験できる。
 本があればもう何も要らない。本を買うためにお金を得て、本を読むために生きていたい。生きるためにはやはりお金が必要だ。周囲の友人たちが騒ぎ立てるような恋愛や結婚はこの際捨てている。出会いも特にないし、この先もこんな生き方で恋人ができるとも思えない。ただ、大好きな本よりも、甘々な自分よりも大切にしたいと思えるような人に今後出会えたのであれば大切にしていきたい。尽くし、愛したい。人を愛するということは、きっとどんな感情よりも心が揺れ動くことだろう。運命的な出会いというものは、やはり盲目的になってしまうのだろうか。たとえば書店に足を運んでいくと、高く積まれた本棚から私を呼ぶ声がする。そんな私を呼ぶ声を頼りに近づいていくと、ずらっと並ぶ背表紙の中から「私はここだよ」とささやく声が聞こえる。あらすじをさらりと読んで、気が付いたらレジに運んでいくあの瞬間のように。運命的な恋というのは導かれて誘われてくるものなのだろうか。平積みされた本も魅力的だが、背表紙のみをこちらに向けて、私に買われることをひっそりと心待ちにしている本たちは何とも愛おしい。はたして、私は将来、背表紙を見せる本となるのか。それとも本を選ぶ立場と成りうるのか。そして仕事の「天職」と呼ばれるものもそういった感覚なのだろうか。
 もうじき日も暮れる時間だ。今日も特に何もせず、一日が終わってしまう。せっかくの休日になったのだからと、本をたくさん読んだ。ネットサーフィンをして好きな動画配信者のラジオ配信を聞きながら家事をした。掃除洗濯食器洗い等、思いつく限りの家での仕事は終えた。でも、社会に出て仕事をした訳ではないので社会に必要とされていないのではないかと不安に思っている自分がいる。今日の世界に私は誰にも認識されていない。家に引きこもって体調を崩す私を、いったい誰が見つけてくれる。自ら外に出ていかなければ、だれも私を認識してくれない。誰でもいいから私を見てほしい。そうか、私は誰かに私という存在を認めてもらいたかったのか。近くに友人や恋人がいれば、私を認めてくれるのかな。ここにいてもいい、存在しているだけで十分だと、認めてもらいたい。そんな気持ちが自分の中で渦巻いていた。
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