第10話

文字数 1,709文字

 母親への説得を試みたが、馬の耳に念仏。聞く耳の持たぬ母親は、さながら気性の荒い馬の如き。握る手綱さえ無かったので手に負えなかった。精神的に未熟なまま親になると、こうなってしまうのかと冷静に見ることができたが、心拍は高まり続けた。怒りのコントロールが出来なくなった、理性的でない人間の姿はとても怖かった。「あたしの気持ちを察して動けないお前が悪い」と、繰り返し言われた。「察してくれない男」とは聞いたことがあるけど、親の気持ちだって子どもは言ってくれなきゃ分からない。再婚相手の義理父もこんな母親を甘やかすから、余計見ていられなかった。
 ある日、母親が家出した。キッチンとリビングの方から、ドカンドカンと鈍い音が鳴り、金切り声も聞こえてきた。その直後「こんな家、出て行ってやるよ!」と明らかにご近所迷惑な叫び声とともにドアが激しく閉まる音が聞こえた。自室のドアを恐る恐る開けてみると、同じくドアを開ける妹と目が合った。
 「なんか、聞こえたよね、今。お母さんかな?」
 「いつものことでしょ。気にするだけ無駄。」
 そう言ってドアを閉じる妹はスマホを片手に持っていた。友達と通話中だったらしい。妹は全く気にも留めていなくて、通話に戻ったようだ。リビングに行ってみると、義理父が出かける支度をしていた。話を聞くと、母親がキッチンに突っ立ったまま30分以上もスマホをいじっているから何をしてるんだーと軽く声を掛けたら、突然興奮して「あんたに関係ないでしょ!私の自由な時間を奪わないで!」とその辺りにあった雑貨やらクッションやらを投げて家を飛び出していったそうだ。昼に起きてテレビを見ながら不倫相手と楽しく連絡取ってる専業主婦が何を言ってるんだ……と心底呆れた。今回も不倫相手とメールでもしていたのだろう。卒論と国家試験の勉強のかたわらで、アルバイトをみっちり入れている私よりも自由な時間はあるだろうに。そのまま数時間経ち、いつの間にか帰ってきたが特に私も気にするのを止めた。


 妹は私と違って友達にも恵まれ、ちょっと引っ込み思案なところもあるけれど勉強の出来る子だった。中学生の頃から塾に通わずとも良い成績を取り、県内でも偏差値の高い高校に入学した。進学校だったので1年の頃から国立の大学を目指していた。
 妹も進路に悩んだ。中学の友人がたくさん入学するが偏差値はそこそこの高校と、友人は1人もいないけど将来のことを考えて偏差値の高い高校に入学にするかで悩んでいた。学校の先生に相談できる環境があればよかったのだが、妹は親に相談した。すると、母親も義理父も、私の進路を決めたあの時の占い師を紹介した。占い師は妹の進路も占ってくれた。すると、「妹さまが輝ける未来が見えるのは、偏差値の高い○○高校です」と神様からのお告げが来たと伝えられた。
 

 私は、占い師の助言で進路を決めてしまったことを後悔しているので、妹は大丈夫かとハラハラしていた。私が思っていたよりも妹は冷静で、これから入学する高校には友人が1人もいないのは寂しいが、ずっとやりたかった勉強に専念できると大変嬉しそうだったので安心した。
 
 翌日に通学を控えた妹の部屋のドアが開いていたので、ちらりと覗いてみた。パリッとした制服を着こなす妹は眩しかった。好きなことが見つかり、勉強を楽しみにしている妹の姿は本当に輝いて見えた。新品の教科書を机に積み、深緑のリボンを指でつまみながら、スカートの丈はこのくらいまで大丈夫かなと鏡の前でくるくる回る妹がこちらを見た。
 「あっお姉ちゃん。見てこれ。待ちきれなくて着ちゃった。制服可愛いっしょ。それにこれ。教科書がこんなに厚いの。勉強のしがいがあるよ」
 「制服可愛いね。似合ってる。うわぁ……分厚いね。私には内容がさっぱり分からない。やっぱりあなたは頭が良いのね」
 「えへへ。お姉ちゃんも国家試験、頑張ってね。」
 そんなやり取りをしていた。妹は中学時代もテニス部だったのでテニス部に入部したいと言っていた。高校でもまた使えるかなと言って、ラケットのガットやテーピングの調子を大事に整えていたのに。

 夏になると、妹は学校に行けなくなった。
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