わたし編 三話

文字数 2,890文字

 悪い事は重なるもので、今度は次男が不登校になった。おそらく原因は持病のチック症だと思われる。四年生ともなると、児童から生徒に代わる。意識も大人のそれに近づき、クラス単位の社会が構築される。
 その中で、奇異な行動を取る者はやはり目立つ。次男のそれは特定の人を不快にさせるものだ。授業中に咳ばらいをし続ける。集中が出来ないと、受け入れ難い子供たちも存在した。この病気は意識をすると、さらに症状がひどくなる。次男の周囲を気遣う想いが、一層事態を悪化させてしまう。
 わたしは次男の気持ちが痛いほど分かった。しばらくは不登校でも致し方ない。全国小学生の不登校の割合は1パーセント。その中に運悪く入っただけ。そう思おうとした。不登校が原因で進級出来ないことはありえないし、まだ次男は原因が分かっているだけ救われた。チック症が治れば復帰できるからだ。
 次男は一日家で過ごす。先生はコロナで作ったオンライン用のテキストをくれたので、昼食を挟んで、午後二時頃までは自室で勉学してるようだった。学習塾も同時に辞めてしまったので、勉強が終わるとすることがない。友達もいない。
 先生には植物の観察日記を付けるように言われていたので、わたしは狭い庭の一画を菜園にした。そこに次男と一緒に、キュウリ、ナス、シシトウ、シソ、トマトの苗を植えた。案外と野菜作りも楽しい。ネットで育て方を調べて土いじりをする。地味だが達成感を味わえる。数か月先には収穫し食すことが出来る。息子も満更でもなさそうだった。
 ある時、次男と畑の雑草抜きをしていると、どこからネコの泣き声がした。わたしは経験からそれが仔猫のものであることを知っていた。すると、大きな椿の木の下に植えたレンギョウの枝葉の中から、一匹のキジ猫が現れた。

 まだ、小さな生後数週間の個体だった。次男がおいですると、すぐに近寄って指先をクンクンする。わたしは(おもち)のことを想い浮かべて周囲を捜索した。近くにまだこの仔の兄弟姉妹がいるかもしれない。けれど見つからなかった。
 次男は冷蔵庫から牛乳を持って来てお皿に移した。ぺちゃべちゃと音をたてて舐めている。お腹を空かせているらしい。
「お母さん、家にあげてもいい?」
 次男はしっかりと仔猫を抱きかかえている。わたしには拒否する理由は見つからなかった。それ以上におもちの再来に驚いていた。
 ただこの個体は♂で、後ろの右脚の具合が悪いようだった。尻尾はまだ鉛筆のようだが長い。その晩のこと、家族四人で名前を考えた。タマ、トラ、チビにはじまってショコラ、カプチーノ、ソルボンヌなどと、いつか経験したような名前の候補があがったが、わたしは(おもち)と主張して譲らなかった。だって、これはおもちそのものだったから。
 おもちはやはり目やにをつけていた。これも同じだ。野良猫にありがちな猫風邪の初期症状。わたしは次男を伴って、動物病院を訪れた。あれから二十年ぶりだろうか、医師はオバちゃん先生から代替わりして若い男性だった。訊けば公募であとを継いだとのこと。
 病名はやはり猫風邪だった。ただ症状は軽かったのでエリザベスカラーは免れた。ついでに健康診断も受けたが他には異常を知らせる数値は見当たらなかった。右後ろ脚は産まれた時に兄弟姉妹や最悪は母ネコに踏まれたものと診断された。骨折が自然に固まってしまったもので、治すのは難しいとのこと。一番体の小さな末っ子によく見られる症状とのことだった。
 五体不満足でも、おもちは元気いっぱいだった。時にはびっこを引いて、ある時は不自由な右足を床に擦り付けながら、兄弟の引っ張る紐に必死に飛び付いて廻った。
 次男の表情は明るくなった。私とおもちの生活道具一式を買いにホームセンターに行った。数日はトイレが間に合わなかったので、スチールケースの引き出しに百均の猫砂を盛って即席のトイレにしていたが、おもちは大きなウンチをして、まるで富士山のように砂を盛り上げた。(笑)
 なにしろわたしにはネコ育ての経験があったものだから、必要なものはすぐに分かった。商品棚の品々を見て歩くごとに、その当時のおもちの姿が想い出されて可笑しくなる。まずは、ネズミのおもちゃ、一晩で冷蔵庫の下に放り込んでしまった。ボール類も同じこと。紙製のトンネルはすぐにビリビリに引き裂いた。
 唯一長持ちしたのは、鳥の羽根付きの針金棒。人間が動かしているものなのに、いつでも必死に反応して追いかけ廻す。わたしがニヤニヤしていると、次男は、

「なにが可笑しいの、お母さん?」
「うん、前にうちで仔猫を飼ったことがあるのよ。お祖父ちゃんお祖母ちゃんと、亡くなった叔父さんとね。その時のことを想い出してた」
「ふーん、その子の名前は?」
「おもちだよ」

 次男は大きく頷いて、ネズミを買い物かごの中に入れた。その運命も知らずに…。
次男は手作り野菜の日誌の他に、ネコの成長日誌も付けはじめた。これはひょっとすると、学校の勉強や学友関係よりも子供の人格形成に役立つと、わたしは思う。タダのネコではなく、脚の不自由な仔猫だったから。次男と境遇が似ている。
 長男にも変化が生れた。学校から、いの一番に帰ってくるようになった。三十分は早くなったので、今までは相当に寄り道してたんだ。それは所在ない心の在り様にも感じられる。彼は、ランドセルを玄関に放り投げておもちの処に向った。
 おもちもそんな長男の膝頭に頭を押し付ける。遊んで貰いたくて催促する。この頃から兄弟喧嘩はなくなった。代わる代わるおもちと遊び、抱き上げて頬ずりをする。一度、喧嘩をした時に、その罵声に恐れをなしたおもちは台所の隅に逃げ込んで、呼んでも姿を現さなくなった。その時の教訓が生かされている。おもちは、喧嘩は異常事態だと知らせてくれたのだった。平穏な日常が何より幸せなのだ。そうおもちは気付かせてれた。
 おもちの好んで居座る場所があった。それはリビング脇の病床の兄が過ごした客間だった。もうすっかり過去のことになり、その時のことを思わせるものは何もないはずだが、家のあちこちをクンクンした結果として、この場所を選んだ。たぶん、嗅覚の発達したネコ族のこと、兄と先代のおもちの微かな匂いを嗅ぎ分けたのかもしれない。
 わたしは兄の想い出の品として唯一捨てられないでいた、ネルシャツを箪笥から引っ張り出して、オモチの脇に広げた。これは、庭先にふいに現れたおもちを夜露から護るために、兄が差し出した防寒具。兄は夜通し、シャツに潜り込んだおもちを見守り続けた。
 先代の匂いに安心したのか、おもちもこのシャツを好んだ。兄のネルシャツとネコ。わたしは兄との由緒を感じられるこの光景が大好きだった。さらに長男は、ネコが好む小さな段ボールを見つけて来て、ネルシャツを敷いた。
 何事にも気まぐれなネコだが、玄関のピンポンや地震の時には、必ずこの箱に逃げ込んだ。彼には安心の隠れ家なのだ。兄弟は段ボールに「おもちの家」と記し、様々にデコした。戦隊ものやらアニメのヒーローを張り付け、焼けたおもちの絵を描いた。
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