兄編 四話

文字数 2,527文字

 ネコ用グッズの中でムダだった最たるものが、当時愛猫家たちの話題をさらったキャットタワー。おもちの運動不足の解消のためにと、兄は両親に強請った。大きさはまちまちで、どうせなら一番背の高い物を欲しがった。ネコ族は高所を好むから。
 通販で購入したものの、送られて来たのはその部品だけで、組み立ては購入者がやる。そのパーツの数は百近くはあった。しかもよく理解のゆかない設計図に悩まされた。日曜日の朝から、父は組み立てに格闘することと相成った。進捗しない呻き声に兄も参加する。わたしとふたりして設計図の解読にあたる。
 ようやく呈を成し始めたのは昼を過ぎてから。夕方には二メートルを超え、天上にも届きそうな、まさしく聳え立つタワーが完成した。だが、そこからが気苦労のはじまり。おもちは一切、関心を示さない。その時お気に入りのただのソファーから動こうとはしない。

 家族全員がタワーの頂上から眼下を見下す、精悍なネコの居ずまいを想像していた。そんなバカな。父は寝入っているおもちをわざわざ抱き上げて、タワーの中ほどに載せる。しかし、彼女はちょっとクンクンしただけで、すぐに床面に飛び降りてしまった。

「まぁ、気まぐれなネコのことだから、しばらくほっとくか…」
 父のひと言で、様子見が決まった。だが、そこからが長い。夕食時になっても、寝る頃になってもおもちはいつものルーティーンを崩そうとはしない。ソファから起き上がり、夕食をもらって、ひとしきり兄と「鳥の羽のついたゆらゆらスティック」で遊ぶ。あとは窓から庭を眺める。キャットタワーの存在などには全く関心がないようだった。
 まったく呆れかえった。数万円と一日の労力が報われない。すべておもちの為にしたことなのに。しかしよくよく考えてみれば、これは要らぬお節介だ。別に彼女が欲しがったものではない…。
 兄は、さも可笑しそうにおもちの頭を撫でる。その眼には、

 お前のせいじゃない。勝手に喜ぶと思ってた僕らが悪いんだ、気にすんなよ―

 そう言ってるように感じた。
 みんなが諦めてから三日後の夕方に、兄ははじめてタワーの中腹に乗っているおもちを目撃した。証拠の携帯写真も残した。でも、まだ一度もてっぺんには上って居ない。

 さて、暑い夏も過ぎ、おもちは仔猫から若いネコに変わった。人間で言えば高校生てなとこだろうか。もう運動能力も充分に備わり、カラスに襲われることもなく、庭に出たがった。元々外の世界から来たのだから当然のことかもしれない。
 ただあまりに甘ったるい鳴き声を発するので、母は別の理由を指摘した。それは繁殖期。おもちもお年頃を迎えたのだ。
 兄は真剣に悩んでいた。避妊手術をするか否か。手持ちの各種文献では、長期間の家族とするには、各種ホルモンによる病気予防の観点から、避妊手術を推奨していた。でも、実際のネコにとってはどうだろうか?
 女子のわたしは将来子供を持ちたかった。これは女性ならではの本能。猫族の女子にとっても当たり前の理屈じゃないのか。それに加えて兄は己の寿命のことを考えていたに違いない。

 なあ、おもち、お前は我が家の家族だ
 大切に育てるから、お母さんになるのは諦めてくれな…。

 おもちを抱きしめる目頭には光るものが浮かんでいた。
 一泊二日の避妊手術に向ったおもちは再び、エリザベスカラーをつけて戻って来た。切開の跡を舐めて雑菌による感染症を防ぐためだった。一週間後にはカラーはとれ、同時に甘ったるい鳴き声もパッタリと途絶えた。
 ただ外に出たいとの欲求は相変わらずだった。仕方なく兄は庭に出ることを許し、おもちは思いっ切り芝生でのゴロンゴロンを楽しんだ。それでも彼女はそこから先の外の世界には興味はないようだった。牝猫だからかもしれない。こ一時間も庭で雑草を齧り、飛んで来た虫を相手に格闘を繰り広げると、気が済んだのか兄と共に家の中に入って来た。 
 寒さが日増しに厳しくなると、兄は進んで母お手製の毛糸の帽子を被る様になった。それまでは野球帽だった。病院にも着用のまま向かった。おもちも同じ柄のちゃんちゃんこを着るようになった。別に嫌がる素振りも見せなかった。
 その柄はピンクと青と黄色の花柄模様で、とにかく目立つものだったが兄は平然としていた。車椅子にニット帽とは、いかにも放射線治療の癌患者を思わせるいで立ち。それまでは抵抗感を抱いていたものの、この頃の兄は素直に病いを受け入れ、向き合うようになっていた。
 若年者の癌の罹患率はわずか3%に過ぎない。それまで健康で運動神経抜群、病気とは程遠いはずの自分が罹患するとは、そのショックのほどは想像を絶するものがある。一番に気に障ったのがクラスメートからの励ましの言葉と、病院内での同情の眼差し。
 おもちが来てからの兄は、それらを全く意に介さなくなった。病気になったから得られたおもちとの出逢い。彼はそう考えるようになっていたのだ。もし、元気で頑丈なストライカーのままだったら、この縁はそもそもなかった。臥せっていたから、庭にちっちゃな仔猫を発見出来たのだ。
 その頃の兄に、病状を客観視出来ていたのかは分からない。ただ、残された時間をおもちと一緒に楽しもう、との気概に似た情熱は感じられた。リビングに佇むお揃いのニットを纏う病人とネコ。これは紛れもない異色のコラボだ。
 そうそう、母は絶えずその頃最先端のビデオカメラを獲り続けていた。そのために十万円もする新機種を購入した。母にしてみれば生前の息子の映像を撮りためるつもりだったのだろう。兄も母の意を介して、撮られることを嫌がることはなかった。 
 おもちが現れてからは、飼い猫の記録と、取材の目的が倍加されて、撮影は熱を帯びてゆく。いまわたしの手元には、大量の通称HDVと呼ばれる録画媒体が残されている。現在では再生機が手に入らず、処理業者にUSBに変換してもらわなきゃ見られない。
 これはその頃の携帯の画像にしても同じこと。SDカード以前のものは直接携帯のハードディスク内に記憶された画像を取り出す必要がある。わたしは何度も当時を振り返りたいと思うのだが、時間とコストから、哀しいかな未だに実現出来ていない。
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