わたし編 一話

文字数 2,734文字

 兄はそれからふた月後に、我が家に戻ることなく病院で息を引きとった。兄の言葉通りにおもちも帰らなかった。結局のところ両親はおもちの失踪について、兄に話す機会を失ったままだった。
 わたしは兄からの秘密を話さなかったので、両親には永遠の謎だ。なぜに入院と同時に失踪したのか。また、兄もおもちに関して一切両親に尋ねなかった。
 急激に容体が悪化したので、それどころではなかった、との考えで落ち着いた。そう思わせるほど、兄はなにもそんなに急がなくとも、というほど不意に旅立ってしまった。

 ―

 さて、それから二十年後、わたしは結婚し、二人の男児をもうけた。両親は我が家をわたしたち夫婦に譲り、都郊外の新居に転居してしまった。可愛い孫の教育を考えてのこと。家は随分と古ぼけ、あちらこちらに修繕の必要はあったが、若い夫婦にはお金もなく、家を譲って貰った上に、補修費までせびる訳にはいかない。
 また、二人の息子たちはとにかく乱暴で、壁、柱、襖、障子、ドア、そのほか眼につく処に狼藉を加えた。この際、大改修は子供たちが成長して分別がつくようになってからにしよう、と夫婦は考えた。折角ぴかぴかにした処に、再び攻撃を加えられたら致し方ない。そう結論づけた。

 小学生四年と六年生の兄弟は喧嘩も絶えない。四歳離れた兄妹に育ったわたしにはとても理解が出来ない。兄は兄らしく弟の面倒を見てくれればよいものを、端から年少者と見くびり揶揄う。弟もイジられているだけと受け流せばよいものを、真剣にムキになる。
 これをひと言で、戦争、と呼ぶ。物が飛び交い、仕舞いには蹴り、平手、拳が出てくる。もう、よして、止めなさい。わたしは幾度、叫んだことか。そのうちに、わたしは心配になった。どこの家庭でもこうなのか?
 夫に相談しても、男同士はそんなものさ、と取り合わない。彼だって姉弟だから、たぶん、事情は判らないんだろう。わたしは専門家にも相談した。とは言っても、お金のかからない、市民なんでも相談会でのこと。
 後期高齢者の臨床心理士は、

 そりゃ、甘いもんが足りないんじゃ、ないかな…
 おやつにドーナッツをたんと食べさせなさい

 全く呆れた。相談とは云っても、所詮は他人事だし揶揄われているのか、バカバカしい。ただ、冷静になって考えてみれば、回答が出せるものではないのか。まだ年若い兄弟が殺し合いをしたとのニュースは見ない。幼少期の一過性のものと見るべきものなのかもしれない。
 ここで一応、家族の紹介をしておく。
 六年生の長男は翔太。頭は普通だけど、小さい頃からすばしこかった。体育の成績だけは優秀だった。近隣の少年野球チームにも入った。休日の午前中に練習がある。翔太は熱心に通った。三年生の時にはコーチからは将来性があると褒められた。
 このクラブチームに関しては、ママたちの人間関係が挟まるので、あまりよい想い出がない。活動費も月に6000円もとるのに、コーチたちへの昼食はママたちの負担が慣例だった。コーチとは聞こえがいいが、無資格、近所の野球好きの腹が出たおっちゃん数人。学生時代に野球をしてた程度。

 ママたちの負担とは、部員の母親が交代で昼食を持参するもの。しかもビール付き。呆れる。けれど、そこは母親たちの見栄と子供可愛さの所業から、出来栄えを競い合うものになる。
 つまり、ここで高級食材を使った豪華で美味しいお弁当を提供すれば、その息子は対外試合に臨むベストメンバー入りを果たすことに繋がる。さらに、オンナらしい品を作ることも大切な要素だとのこと。そんなまことしやかな噂もあった。
 そういうことの大嫌いなわたしは、自分の番が廻って来た時には、わざと「〇家の牛丼弁当」にした、と言いたいところだが、息子可愛さから、何冊かの料理本を駆使しての一世一代の豪華弁当を持参した。
 年かさのコーチのひとりは偉く感激し、好みのタイプです、とわたしを褒めちぎった。勘違いされて今にも抱きつかれそうだったことを覚えている。現在でも、そのコーチとは目を合わさないようにしている。
 四年生の次男・優斗は内向的な子供だ。外遊びよりも家でのブロック遊びを好んだ。彼は七歳の時より持病を抱えた。それは、小児チック症。彼のは、意思に反して咳払いが出てしまう。食事中でも、お話しの途中でも、何の動作をしていても現れる。
 家族は慣れているし、何より病気のひとつと理解しているので問題ないが、面識のない人はちょっと驚く。そして咳払いの音が嫌いな人はなかなかに慣れない。学校でも容認してくれる生徒ばかりではない。いちぶ反感の矛先は容赦なく向かう。
 医師の所見では、子供の場合は成長とともに軽減される、である。ただ、この三年間で治るような兆候は未だ見られない。親としては、思春期までには何とか完治して貰いたい。当然の想いだ。下手をすると伴侶も得られないまま、生涯をひとりで暮らさねばならない。

 もうひとりの家族は夫の雄一。大学を出て入社した職場で出会った。彼は、大学時代に付き合っていた人と別れてまで、見初めた人だった。当然のことながら、元カレとの確執には疲れた。振った振られたとの関係性だった。ストーカー被害の根っこになる部分でもある。そうならなかったのは、ひとえに元カレの人格による所が大きい。
 余談になるが、この元カレとは昨年、友人に無理やり誘われた同窓会で出逢った。今の主人よりは出世もしていたし、何より裕福に見えた。わたしは夫の選択に失敗したのだ。(涙)
 一緒になって十二年になるが、夫の給料は変わり映えしない。社内結婚だから、会社の事情には明るい。あの程度の会社で出世をしないのだから、能力不足は否めない。また、競争の上に勝ち取った嫁なのに、最近では目もくれなくなった。
 この人は典型的な過保護の元に育った末っ子タイプの人だった。事実、四姉妹の一番下だった。両親は初の男子に関心を奪われたに違いない。望みのものは全て与えて来た。
 なので我が儘で財布は自分で管理していた。わたしには月の生活費だけを渡すだけ。あとは好き勝手にやっていた。こういう人物にありがちで、多趣味で移り気。ラジコンカーやら飛行機、釣り道具一式、テニス道具一式、ロードバイク(自転車)これは四台、スニーカーは二十足あまり、ジーンズは三十本などなど、次々に興味が入れ替わる。でもでも絶対にお金が足りないはず。どうしてそんなお金を持っているの?
 夫は結婚前までの貯蓄で株式投資をしていた。今でも定期的に証券会社から書類が送られてくる。一体、いくらの不労所得があるのかは分からない。訊いてもたぶん白状しないだろう。それは仕方のないことだ。もう独身時代には戻れないのだから。
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