わたし編 五話

文字数 1,092文字

 兄弟が通う小学校では、毎日校長先生と給食の食事会が行われる。あまり知られてはいないが、学校長の大事な職務のひとつに給食を生徒に先んじて食べる、とのことがある。まあ、お毒見役といった処だろうか。校長はその職務を利用して、全校生徒たちと昼食を共にしようと考えたのだ。毎日七名の生徒が校長室に入る。
 たまたま長男の番の時に、校長先生は陳列棚からトロフィーのひとつを取り出した。
「これは翔太君の叔父さんがサッカー県大会で優勝した時のものだよ。僕は彼の学級担任だった。彼はストライカーでその大会での得点王にも選ばれた。中学でも大活躍して、あのサッカーの名門〇高校のスカウトの目にとまっていた。残念ながら病魔に命を奪われてしまったが、私たちの小学校の名が一番輝いた時だった」
 校長先生が、当時、万引事件で戸惑っていた長男を気遣っての発言だったかは知る由もないが、この事実は長男を刺激した。長男は始めて叔父のことを知ったのだった。トロフィーにはその時のイレブンの名前が刻まれ、叔父の名前の頭に得点王と記されていたそうだ。
 長男はわたしに叔父について聞いてきた。わたしは、兄の天才ぶりに関して語った。五十年にひとりの逸材とテレビや新聞でも紹介されたこと。また、中学一、二年の時からレギュラーとしてやはり県大会でベスト8まで進出していたことを語った。
 また、彼を突然に襲った病魔のこと。その後の闘病生活の過酷さ辛さ。それを文句ひとつ言わずに堪えた意思の強さ。そして何よりも、ずっと傍らで支えたおもちの存在についても話した。長男は途中で、涙を流した。

「僕ね、悔しかったんだよ。入部したての〇君に背番号1のエースの座を奪われた。だって僕の方が球は速いし、変化球も投げられる。
 でも監督はあっさりとエースを交換してしまった。それで、プロテインを飲んで筋力を鍛えて断じて負けないことを示そうとした。
 ごめんなさい。叔父さんだったらこんなこと絶対しなかったよね」


 なるほど、わたしには覚えがあった。〇君のお母さんは柴咲コウ似の美人で、お宅も美園町の大邸宅だった。ご主人は県会議員とのこと。ママ友の間でもいっとき噂が流れた。あの腹デブのコーチたちがまた、デレデレになるよって。
 大人の事情によって子供のやる気が失われる。絶対にあってはならないことだ。あんなヘッポコ野球クラブは止めて良かった。わたしは、中学校では野球部があるから、そこでまたいちから頑張んなさい。叔父さんに似て運動神経抜群のあなたなら出来る、と長男を励ました。
 長男はおもちを膝の上に抱えて頷いた。おもちは涙ぐむ長男の鼻頭をペロペロと舐めていた。
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