兄編 五話
文字数 2,926文字
その年の瀬に、新しく許認可された癌治療薬の投与のせいか、兄は体調を崩した。治療を受けてから毎日ずっと気だるさと吐き気、悪寒に悩まされ続けていた。おもちを構ってやりたい気持ちは満々だけど身体がゆうことを聞かない。兄は枕元に蹲るおもちの頭をたださすり続けていた。
一週間たって、母はいよいよ決断した。夜の帳は下りてはいたが、あまりの衰弱具合に業を煮やし、病院に掛け合った。そして緊急入院することになる。母は手早く入院の荷物をまとめ、わたしに兄の介助を命じ、タクシーで病院に向うことになった。父は出張中だった。
家を出る時に、おもちが玄関まで見送りに出て来た。その表情は妙に哀し気だった。
母はひと晩病室に泊まり込むことになった。わたしだけ最終バスに乗って自宅に戻った。扉を開けて、おもちを呼ぶものの何処にも居ない。餌皿には盛ったままの固形の餌がそのままに放置されていた。
わたしは過去に何度も在った事なので、とくに違和感を感じなかった。おもちは何処か居心地の良い場所で寝ているんだ。そんな風に考えていた。明日の登校のこともあって、入浴、予習などでせわしなく時を過ごし、そのまま寝入ってしまった。
さすがに焦ったのは、翌朝になってもおもちの姿が無い事だった。餌も食べた気配がない。ざっと見渡すが気配も感じられなかった。私は不安のまま登校し、お昼休みに公衆電話から自宅に電話した。母が帰って来ているはず。
母は疲れた声をしていた。おもちのことを告げると、また、何処かに隠れてるんじゃない、と取り合おうとはしなかった。こうなれば仕方がない。帰宅時間を待つしかなかった。
夕方、家に帰ってもおもちは居なかった。昨晩からのことだ。母もいささか不安な面持ちだった。
「ゆうべ帰った時には窓は全部閉まってたわよね」
もう冬だ。さすがにあけっばはない。
ただ母は気掛かりなことをもらした。
「ベランダへの窓がほんの少しだけ開いてたのよ。閉めたつもりだったんだけど、入院騒ぎで慌ててたもんだから、自信がない…」
その言葉を聞いて、私はすぐに玄関を出て、家の周囲を探索した。ベランダから落ちれば、もうベランダに上って来られないのではないか。だとすれば家に戻れずにその辺りに佇んでいるはず。私は無我夢中だった。これは家族の失踪事件だ。
隣戸との境の通路、裏の公園、三十メートル先には用水路もある。川沿いの叢も捜した。途中から母も、帰宅した父も参加した。これはもはや一家総出の大捜索だ。けど何処にも居ない。そして最後に、隣戸のピンポンを押した。
「あのう、すいません。隣の〇ですが、うちのネコ見なかったでしょうか?」
収穫はゼロだった。家族三人は食卓に座った。
「一体、どうしたんだ?」
父の言葉には非難めいたものが感じられた。
「私が悪いんだわ。窓を閉め割れたりして、ごめんなさい」
こういう時の母は、悪い事の責任をすべて背負おうとする悪い癖があった。
「おもちはもう一歳になるネコだよ。赤ちゃんじゃない。たとえベランダから出て行っても滑り落ちて死ぬとか、カラスに食べられるとか、迷子になって帰れないとか、そんなのあり得ない」
わたしは冷静な自分に驚いた。ただ、それは的を得ていた。猫の一歳はもはや成猫に近い。父も母も同意せざるを得ない。
では、どうしたんだ?
実は三人とも、この事実を兄に告げるのが恐ろしかったのだ。兄はおもちなしには生きてゆけない。
「おもちに似たちっちゃなネコをペットショップで購入するとかは、どうだろう?」
父は現実的な話しをする。三人は互いを見つめ合った。
「まだ、確定したわけじゃないのよ。今に戻るかもしれない。今度の入院はたぶん、長引くと思う。結論はまだ早いわ」
兄は眠剤入りの点滴で寝入ったらしい。その後の医師の所見では、しばらく経過観察させてください、とのことだった。
おもちはたぶんもう戻らない。わたしには確信めいたものがあった。否が応でも、兄はその事実を受け止めることになる。
…だが、それは杞憂に終わった。兄は、この家に二度と戻ることはなかったのだから。
歳を越して、今年初の冬将軍の到来に木枯らしがキビシイ日だった。
病室の兄は一段とやせ細っていた。わたしは学校が冬休みになって、毎日のように病室に足を運んだ。兄は奇妙なことを告げた。わたしだけにこそりと。
誰もおもちのことを喋らない。(笑)
おもちが居なくなったことは知ってるよ。彼女との最初からの約束だったからね。
彼女は僕がもう永くないことを知っていた。おもちは身の上話をしてくれた。家族のお話しだよ。
お母さんは赤いキジトラ。
ほら「神明社」さんっていう神社があるだろう。小さい頃、友達と缶蹴りして遊んだ。(わたしのピアノ教室の近く) その一角に第三駐車場がある。とは言っても、あまりに狭いんで誰も利用しない。大きな、第一、第二を利用する。
その駐車場の奥に事務所として利用していたプレハブがある。ツタが絡んだ黒ずんだ三坪ほどの建物。その脇に置いてあった古タイヤ(軒下で雨を防げた)の中に、七匹の仔猫を産んだ。その中の一匹がおもちだった。
最後に生れた一匹はお乳が咥えられなくて死んでしまった、可哀想に。六匹は母親のキジトラが三匹、おもちの柄が二匹、黒猫(父親の毛並み)が一匹だったそうだよ。野良猫のお母さんは必死だった。ご近所を廻っては、餌をもらったり、ネズミを捕まえたり、昆虫を食べたり、なにしろお乳を出さなくちゃならない。
ただ、心配なのは留守の時。天敵が居た。まずはハクビシン。コイツは雑食性だ。それから何といってもカラス。「神明社」さんにはたくさん棲んでいた。お母さんは仔猫たちが寝込んで静かな時を狙って食事に向ったらしい。
でもハクビシンにキジトラの一匹が攫われた。また、威嚇してもなかなか諦めないカラスたちには、お母さんは仕方なく、近くに停めてあった車の下に、仔猫たちを咥えて運んで護ったらしい。それでも何も知らない仔猫たちは、ニャーニャーと泣き喚いて車の外に出ようとする。
そこを狙ったカラスは二匹(赤キジトラと黒猫)を攫ったらしい。まぁ、ハクビシンもカラスも子育てで大変なんだよ。生存競争の世界。
三匹になってもお母さんは精一杯、頑張った。ただ、あまりに痩せて抵抗力が無くなった時に、ハクビシンに後脚を噛まれた。びっこを引いてその後の子育てに奮闘した。でもその傷が悪化して、とうとうタイヤの中で亡くなってしまったそうだよ。
残されたおもちたちは、最後までお母さんが眼を開けてくれるのを待った。必死に顔を舐め続けた。でも、夜が明けてもお母さんは微動だにしない。おもちたちはお母さんに別れを告げて、その場を後にしたらしい。だって、天敵たちに場所を知られてるからね。
庭先でおもちを見かけた時には、すぐそばにあと二匹がいたそうだよ。気付いてやれなかった。僕のせいだ。
おもちはその兄妹を捜しに行くと言っていた。もうこの家には僕は戻らない。そのことを知って居たんだよ。なので、これが最後のお別れになると約束して病院に向った。
おもちはずっと兄妹の事を想っていた。なんか切ないね…。
一週間たって、母はいよいよ決断した。夜の帳は下りてはいたが、あまりの衰弱具合に業を煮やし、病院に掛け合った。そして緊急入院することになる。母は手早く入院の荷物をまとめ、わたしに兄の介助を命じ、タクシーで病院に向うことになった。父は出張中だった。
家を出る時に、おもちが玄関まで見送りに出て来た。その表情は妙に哀し気だった。
母はひと晩病室に泊まり込むことになった。わたしだけ最終バスに乗って自宅に戻った。扉を開けて、おもちを呼ぶものの何処にも居ない。餌皿には盛ったままの固形の餌がそのままに放置されていた。
わたしは過去に何度も在った事なので、とくに違和感を感じなかった。おもちは何処か居心地の良い場所で寝ているんだ。そんな風に考えていた。明日の登校のこともあって、入浴、予習などでせわしなく時を過ごし、そのまま寝入ってしまった。
さすがに焦ったのは、翌朝になってもおもちの姿が無い事だった。餌も食べた気配がない。ざっと見渡すが気配も感じられなかった。私は不安のまま登校し、お昼休みに公衆電話から自宅に電話した。母が帰って来ているはず。
母は疲れた声をしていた。おもちのことを告げると、また、何処かに隠れてるんじゃない、と取り合おうとはしなかった。こうなれば仕方がない。帰宅時間を待つしかなかった。
夕方、家に帰ってもおもちは居なかった。昨晩からのことだ。母もいささか不安な面持ちだった。
「ゆうべ帰った時には窓は全部閉まってたわよね」
もう冬だ。さすがにあけっばはない。
ただ母は気掛かりなことをもらした。
「ベランダへの窓がほんの少しだけ開いてたのよ。閉めたつもりだったんだけど、入院騒ぎで慌ててたもんだから、自信がない…」
その言葉を聞いて、私はすぐに玄関を出て、家の周囲を探索した。ベランダから落ちれば、もうベランダに上って来られないのではないか。だとすれば家に戻れずにその辺りに佇んでいるはず。私は無我夢中だった。これは家族の失踪事件だ。
隣戸との境の通路、裏の公園、三十メートル先には用水路もある。川沿いの叢も捜した。途中から母も、帰宅した父も参加した。これはもはや一家総出の大捜索だ。けど何処にも居ない。そして最後に、隣戸のピンポンを押した。
「あのう、すいません。隣の〇ですが、うちのネコ見なかったでしょうか?」
収穫はゼロだった。家族三人は食卓に座った。
「一体、どうしたんだ?」
父の言葉には非難めいたものが感じられた。
「私が悪いんだわ。窓を閉め割れたりして、ごめんなさい」
こういう時の母は、悪い事の責任をすべて背負おうとする悪い癖があった。
「おもちはもう一歳になるネコだよ。赤ちゃんじゃない。たとえベランダから出て行っても滑り落ちて死ぬとか、カラスに食べられるとか、迷子になって帰れないとか、そんなのあり得ない」
わたしは冷静な自分に驚いた。ただ、それは的を得ていた。猫の一歳はもはや成猫に近い。父も母も同意せざるを得ない。
では、どうしたんだ?
実は三人とも、この事実を兄に告げるのが恐ろしかったのだ。兄はおもちなしには生きてゆけない。
「おもちに似たちっちゃなネコをペットショップで購入するとかは、どうだろう?」
父は現実的な話しをする。三人は互いを見つめ合った。
「まだ、確定したわけじゃないのよ。今に戻るかもしれない。今度の入院はたぶん、長引くと思う。結論はまだ早いわ」
兄は眠剤入りの点滴で寝入ったらしい。その後の医師の所見では、しばらく経過観察させてください、とのことだった。
おもちはたぶんもう戻らない。わたしには確信めいたものがあった。否が応でも、兄はその事実を受け止めることになる。
…だが、それは杞憂に終わった。兄は、この家に二度と戻ることはなかったのだから。
歳を越して、今年初の冬将軍の到来に木枯らしがキビシイ日だった。
病室の兄は一段とやせ細っていた。わたしは学校が冬休みになって、毎日のように病室に足を運んだ。兄は奇妙なことを告げた。わたしだけにこそりと。
誰もおもちのことを喋らない。(笑)
おもちが居なくなったことは知ってるよ。彼女との最初からの約束だったからね。
彼女は僕がもう永くないことを知っていた。おもちは身の上話をしてくれた。家族のお話しだよ。
お母さんは赤いキジトラ。
ほら「神明社」さんっていう神社があるだろう。小さい頃、友達と缶蹴りして遊んだ。(わたしのピアノ教室の近く) その一角に第三駐車場がある。とは言っても、あまりに狭いんで誰も利用しない。大きな、第一、第二を利用する。
その駐車場の奥に事務所として利用していたプレハブがある。ツタが絡んだ黒ずんだ三坪ほどの建物。その脇に置いてあった古タイヤ(軒下で雨を防げた)の中に、七匹の仔猫を産んだ。その中の一匹がおもちだった。
最後に生れた一匹はお乳が咥えられなくて死んでしまった、可哀想に。六匹は母親のキジトラが三匹、おもちの柄が二匹、黒猫(父親の毛並み)が一匹だったそうだよ。野良猫のお母さんは必死だった。ご近所を廻っては、餌をもらったり、ネズミを捕まえたり、昆虫を食べたり、なにしろお乳を出さなくちゃならない。
ただ、心配なのは留守の時。天敵が居た。まずはハクビシン。コイツは雑食性だ。それから何といってもカラス。「神明社」さんにはたくさん棲んでいた。お母さんは仔猫たちが寝込んで静かな時を狙って食事に向ったらしい。
でもハクビシンにキジトラの一匹が攫われた。また、威嚇してもなかなか諦めないカラスたちには、お母さんは仕方なく、近くに停めてあった車の下に、仔猫たちを咥えて運んで護ったらしい。それでも何も知らない仔猫たちは、ニャーニャーと泣き喚いて車の外に出ようとする。
そこを狙ったカラスは二匹(赤キジトラと黒猫)を攫ったらしい。まぁ、ハクビシンもカラスも子育てで大変なんだよ。生存競争の世界。
三匹になってもお母さんは精一杯、頑張った。ただ、あまりに痩せて抵抗力が無くなった時に、ハクビシンに後脚を噛まれた。びっこを引いてその後の子育てに奮闘した。でもその傷が悪化して、とうとうタイヤの中で亡くなってしまったそうだよ。
残されたおもちたちは、最後までお母さんが眼を開けてくれるのを待った。必死に顔を舐め続けた。でも、夜が明けてもお母さんは微動だにしない。おもちたちはお母さんに別れを告げて、その場を後にしたらしい。だって、天敵たちに場所を知られてるからね。
庭先でおもちを見かけた時には、すぐそばにあと二匹がいたそうだよ。気付いてやれなかった。僕のせいだ。
おもちはその兄妹を捜しに行くと言っていた。もうこの家には僕は戻らない。そのことを知って居たんだよ。なので、これが最後のお別れになると約束して病院に向った。
おもちはずっと兄妹の事を想っていた。なんか切ないね…。