第6話

文字数 1,765文字

              6,
 男、数匹の餓鬼に、地獄牢から連れ出され、鎗の先で背中を突かれて閻魔庁内白洲に引き据えられた。周囲には、ぐるりと餓鬼共が立ち並び、手にした戟、鎗の先を男に、今にも突き刺さんばかりに向けて、睨んでいた。
 正面に、螺鈿細工を鏤めたように煌めく豪華な構えの、寺の壮大な本堂のような造り、その真ん中に、燃え盛る紅蓮の炎を背に受けて、丈六の巨大な閻魔大王が座し、そして両脇に、不動明王、愛染明王の二体が、牙を剥き、剣を頭上に構えて立っている。
 不動明王の脇に司命、そして愛染明王の脇には司録が控えて畏まり、そして司録が、男に大音声で命じた、
「藤原広足、面を上げい」
背を餓鬼共に激しく打たれて頭を上げた男を、閻魔大王、その巨大な眼を更に大きく見開いて睨み据える、
「藤原広足、お前を大悪、非道の罪有りと訴える者あり、因って閻魔庁法に基づき、お前の罪を裁き、罰するべきと認めた時には即座に八熱の灼熱地獄に堕としてその身を焼き尽くし、更に畜生道、地獄道の底へと堕とす。
 是より、そこに控える司録が問いに答えよ、但し決して嘘、偽りを申してはならぬ。もし嘘偽り申せば、お前の舌は餓鬼どもに、二度と嘘が付けぬように抜かれ、更に重き咎めが加えられる。
 先ずはひと言訊く、お前の心の内に、殺めた者への憐みの情、また謝罪の心、殺めたことを悔いる気持ちが有るのかどうか尋ねる」
「申し上げます、私、我が数十年の人生の何れの時に於いても、人を傷つけたり、辱しめたりした覚えは一切ございません。ましてやひとの命を奪うなど、そんな恐ろしい罪を犯した覚えなど毛頭ございません。
 これはきっと何かの間違い、または私を誰かと間違えてのことかと思います。どうか大王様、私、こうしていきなり、地上からこんな地獄の底に連れて来られ、身に全く覚えのない罪で裁かれる等思いも寄らぬことにございます。どうか、私を訴えるその者の申す事今一度お確めの上、早々に、間違いと判れば、地上に還して頂けますようお願い申し上げます。
 私が、何者かに不意に突き飛ばされて電車に撥ねられ、鉄輪に轢かれてしまったこと、私の妻や子らが泣いて、無残な姿となった私の体にしがみつき、それでも私が息を吹き返すことを願って、ひたすら祈ってくれています。すぐにでも私が生きていることを知らせてやりたいのです。どうか、どうか、お願い致します、今すぐに私を地上世界に還して下さい」
「成るほど、先程、司録から凡そ聞いたが、余程の強情な男、のようだ。
お前が云うように、六道は天道に召され、もしくは三悪道は地獄に堕ちた者、何れであろうとも、それがひとの親、ひとの夫であれば、誰であれ地上に遺した子や妻の悲しみを想い、誰もが皆な悲しみに暮れる。
 だが思うてもみよ。ひとに、まして深く愛し、全てを捧げた男に騙され、その非を責めたために首を絞めて殺され、しかも、その屍は土中に埋められ、ただの一度の回向さえされず、雨風に晒され、多年歲、往來人畜、皆踏我頭、幽霊となって化けても出られず、地獄に堕ちるもならず、そんな無念の、惨い死に見舞われた女の恨み、悲しみ、悔しさを、お前が子や妻を想うように、お前が殺した女のことを一度でも想うてやったことはなかったか。
 今一度、訊く、お前はそんな女、知らぬ、そんな女、首を絞めて殺し、墓地の土中に埋めた覚えはないと言い張るか?」
「そんな、非情なこと、私には出来ません。何かの間違いです。早く私を地上の世に還して下さい」
「余程、非情な男よ、の。お前が幾ら強情に、無実、無罪を云い張ろうが、お前の仕業であることは明白なる事実。申し訳なかった、女に謝りたいと申すかも知れぬ、と、もしその一言でもお前の口から出れば、それを女に伝えてやれば、女、地獄に堕ちようとも、責めて、僅かでも心の怨念を和らげられるかも知れぬと、お前のひとことを期待してみたのだが、無駄のようだ。
 致し方ない、そこまで強情張るのであれば、お前は三悪道の一つ、先ずは畜生道に堕とし、後に地獄の底へと蹴り落とす。だが、先に、司録が伝えたように、その罪、罪過、お前一人が負うのではなく、お前の父や母、七眷属に累を及ぼすこと、覚悟しなければならぬ。
これ、司録に司命よ、あとはそなたらに任す。この男、厳しく懲罰せよ」

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