第9話

文字数 1,777文字

            9,
 この事実を単純にみれば、地上世界ではありきたりな男と女の話となる。野心に燃え、金に飢えたお前は目の前にぶら下がった餌に飛びつきたい、だがそうするには、しつこく責める百合の存在が邪魔に成って来た、それどころか一生にたった一度きりのこのチャンスを、百合の存在を知られて全て失ってしまうことをお前は怖れた。そして百合はお前の心変わりを、騙されていたことを激しく、執拗にお前を詰った。お前は衝動的に、それともこの時を待っていたか、お前は、百合の首を絞めて殺した?」
「何を証拠に。全て、この女の訴えを鵜呑みにしているだけのこと。確かに、私の目の前に、突然、幸運が、一生に一度有るか無いかの幸運が天から降ってきました。しかし、先ほども申しましたが、私はその直前まで、百合を失って何の希望も、いえ、希望どころか生きる気力すら失っていました。
 その私に、ふと浮気心に遊んだ女から、女は私を離すまいと、私に政界への転身を持ちかけて来ました。私は野心に溢れていました、明日の立身出世、一攫千金、一夜にして大金を得る夢、そして名誉を掴む夢ばかりを見て生きていました。
だが生きれば生きる程、私の夢、野心は消えて行きました。しかしその夢が、この女からの誘いに乗れば、もしや私にも逆転があるかも知れない、と思えるようになりました。百合を失った悲しみ、失意のどん底から、もしかして這い上がれるかも知れない、とそんな希望が湧いてきました」
「成るほど、お前の話、事情知らぬ者が聞けば、お前の話に納得出来よう。お前の、百合への愛、その百合を失った絶望、そして見えて来た希望、こんな地獄の底に棲むこの我でも、お前の話を聞いてふと涙が出そうになるほどだ。  
しかし考えて物を申すが良い。お前にとって最愛の女、百合と逢瀬を重ねながら、他の女と、浮気心で遊ぶ等、お前はなかなか洒落た男、なかなかの色男だと判ってきた。 
百合はお前の浮気を知り、責めた、この機会を待っていたお前は殺した。酷い男だ。しかし何より酷いのは、自分を心底愛してくれる女を、地獄の責め苦を我が身に代えてでもお前を赦してやってくれと懇願する女の命を奪い、しかもその屍骸を土中に埋めて曝したことだ。お前は、ひととして有り得ない程に冷酷だ。ひととして冒してはならぬ罪をお前は犯したのだ」
司録は、女の曝髑髏を振り返り見て云った、
「女、百合よ、この男への処分は、後に、司命によって男に沙汰される。申し置く、男の罪が情状酌量される余地は寸分も無い」
曝髑髏は震えながら訴える、
「畏れ入ります、ただ司録様、今一度お願い申し上げます、どうか、私の、この男への、私を騙し裏切った、それでもなお、この男への尽きぬ想い、汲み上げて頂き、罪の軽減を、今一度、お願い申し上げます」
 男、藤原広足、餓鬼共に囲まれ、引き摺られて闇の中へと消えて行く。女、名残り惜し気に、闇に消える男の影を見送る。
その時、突然に雷光が閃光し、そして一瞬の後、雷鳴が幾発も閻魔庁に轟いた。
白洲を出ようとしていた司録、驚いて振り向くと、白洲の隅に控えていた赤い餓鬼が、憤怒の顔、怒り狂った形相で立っている。
 司録、驚き、慌てて赤い餓鬼の前に走り寄り、そして平伏した。
「大王様、我、何か、間違いを犯したのでしょうか」
赤い肌の餓鬼、司録を睨め付ける。そしてその背中の後ろから紅蓮の炎が噴き出し、その炎、餓鬼の体をあっという間に包み込むと、天井に向けて竜巻のように巻き上がった。そして一瞬にその炎、掻き消えて、丈六の巨大な閻魔大王の姿が現れた。
「司録よ、そなたにして、この男の本質、見抜けぬか」
司録、平伏したまま、
「畏れ入ります」
「しかし、この男、司録の目を欺くとは恐るべき悪よ。是より、我が直々に調べる。男をここへ連れ戻せ」
 再び、男、藤原広足、連れ戻されて石畳みの上、餓鬼共の鎗に首を抑えつけられて、閻魔大王の前にひれ伏した。閻魔大王に促されて、餓鬼が男の首を捻じ上げて閻魔大王に顔を向けさせた。
「餓鬼共よ、そこに転がる髑髏を持ってきて、男の前に並べよ」
命じられて餓鬼共、闇の中から、脇に髑髏を抱えて持ち来たり、男の前に並べた。曝髑髏の数2体、そして首の無い骸が1体。
 司録は驚き、男、藤原広足、たじろいだ。そして女、百合の曝髑髏は、余りの驚きに震えた。
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