第5話

文字数 2,854文字

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日本霊異記 上巻
第十二 人畜所履髑髏救收示靈表而現報緣 より抜粋
 高麗學生-道登者,元興寺沙門也。出自山背-惠滿之家。而往大化二年丙午,營宇治椅,往來之時,髑髏在于奈良山溪,為人畜所履。法師悲之,令從者-萬侶置之於木上。
~中略~
自爾以還,多年歲,往來人畜,皆踏我頭。大德垂慈,令見離苦。故,不忘汝恩,今宵報耳。」

 司録が、両手に広げた過去帳を閉じて姿を消した、暫くの後、赤い肌の餓鬼が、男の傍に控えている数匹の餓鬼の後ろに、気づかれぬように立った。 
数匹の餓鬼、男を囲み、手にした戟の先を男の背に突き刺し、牛馬を追い立てるように地獄牢へと追い戻した。
途中、餓鬼共の中に紛れた赤い肌の餓鬼が、突然子供のような声で、抑揚のない、棒読みするように、云う、
「或る夜の事じゃった。我は、地獄牢の牢主から命を受け、閻浮提に上がり、既に埋葬された罪人を地獄に連れ戻すべく、その罪人の墓を捜して、或る墓地を歩いていた」
 男の足がふと停まった。赤い肌の餓鬼、男にちらと視線を流し、そして続けた。
「微かにひとの、しかも女の泣く声が聞こえた。愛しい男の死に耐えられず、こんな真夜中に墓地を訪れ、男の墓を抱いて泣いているのかと我は思った。しかし、ひとの死は仕方のないこと、我には如何とも出来ぬ、立ち去る我の耳にまたも女の泣き声が。
しかしそれはどこか遠くから、騒ぐ松風に乗って聞こえてくるよう。今一度、我、耳を澄ませば、それは土中から、しかも我が足許からその泣き声が聞こえている。
我、地に耳を付け、聞くと、確かに、その泣き声は我が足許、土中から、しかもさして深くはない、そしてその泣き声は我が名を呼ぶ。
 我の名を呼ぶとは、我の正体を知る者、そして既にこの浮き世の者ではない証拠、もし地獄の亡者が我が正体を知り、我が名を濫りに呼ぶのであれば、それが何者であれ、どんな訳が有ろうが許されぬ。
 我は足許の土中を掘った、やがて一体の曝髑髏(しゃれこうべ)と骸を掘り出した。女の泣き声の正体は是れか。しかし、死して、しかも白骨と成り果てて猶、恨めしく愛おしく泣く訳を怪訝したが、我の名を濫りに呼んだことを許し、我は髑髏に手を合わせ、持参の鈴を鳴らして「白骨のお文」を朗じて供養をしてやった。
『白骨のお文』
「夫 人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ觀スルニ オホヨソハカナキモノハ コノ世ノ始中終 マホロシノコトクナル一期ナリ
サレハ イマタ万歳ノ人身ヲウケタリトイフ事ヲキカス 一生スキヤスシ イマニイタリテ タレカ百年ノ形躰ヲタモツヘキヤ 我ヤサキ 人ヤサキ ケフトモシラス アストモシラス ヲクレサキタツ人ハ モトノシツク スヱノ露ヨリモシケシトイヘリ
サレハ 朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ ステニ无常ノ風キタリヌレハ スナハチフタツノマナコ タチマチニトチ ヒトツノイキ ナカクタエヌレハ 紅顔ムナシク變シテ 桃李ノヨソホヒヲウシナヒヌルトキハ 六親眷屬アツマリテナケキカナシメトモ 更ニソノ甲斐アルヘカラス
サテシモアルヘキ事ナラネハトテ 野外ニヲクリテ夜半ノケフリトナシハテヌレハ タヽ白骨ノミソノコレリ アハレトイフモ中々ヲロカナリ サレハ 人間ノハカナキ事ハ 老少不定ノサカヒナレハ タレノ人モハヤク後生ノ一大事ヲ心ニカケテ 阿彌陀佛ヲフカクタノミマイラセテ 念佛マウスヘキモノナリ アナカシコ アナカシコ」

 曝髑髏の目より、大粒の涙が溢れ出る、不思議なことも有るものよと、我、問うた、
「そなた何故、我が名を呼ぶ、返答次第で、そなたを八熱地獄に突き落とし、その髑髏と僅かに残った骸の欠片、焼き尽くさねばならぬ。如何なる訳あって我が名を呼ぶか」
(~様、お許し下さいませ、私、百合と申す者、私、或る男に騙され、男の嘘に気付き、責めたため、私はその男に殺され、その男、非情にも私をここに埋めて立ち去ってしまいました。
以来私は、ここに埋まり、蛆に肉も腸も食い尽くされ、白骨の身と成り果て、そして盆暮れ、春秋の彼岸の日、墓地に訪れる、多くのひとが行き交うごとに私の髑髏を覆う土は無情にもその足に踏まれ、時には連れる犬が垂れ流した小便に私の髑髏は汚れました。
 それでも、私、誰にも気づかれず、誰からも回向されず、こうして何十年もここに成仏もできず、せめて幽霊にでもなれば闇夜に陰火と共に化けて出て、憎い男を夜な夜な苦しめることも出来ただろうに、私、それさえも叶わず、こうして何十年も土に埋まっているのでございます。
 或る日、地の涯、地の獄から、不思議な声が聞こえてまいりました。余りに罪深く、怨恨深く死して成仏ならぬ者は、地獄は閻魔庁の~様に救いを求め、恨みの一切を述べて復讐を計るべし、とその声に教えられ、またその~様は、罪人を捕まえるべく、夜な夜な、姿を換えてあちこちの墓地を歩いている筈、必ずそなたの埋まる墓地にも~様はお出で下さる時が有ろう、と教えられ、こうして毎夜、私が埋められた時間に合わせ、一人土の中でしくしくと泣いていたのでございます。
 そして、愈々私の悲願叶い、今夜漸くにして~様の足音が聞こえ、こうして声を限りに、是非~様に我が泣く声届けとばかりに泣いていたのでございます)
余程の訳ありか、と我は、その髑髏と僅かばかりに残った骸を脇に抱えて地獄に戻った。
 閻魔庁を訪ね、仔細を告げた。ややあって閻魔大王様現れ、髑髏に向かい優しく声を掛け、そしてその髑髏の言い分をしっかりと聞き留めなされた。
 書記官・司録、司命の二人を呼び、この髑髏の主、百合と申す女の過去帳を求めたが、人知れず棄てられて、回向もされず無残な髑髏と成り果て、哀れな骸を曝す女の過去帳は閻魔庁に届けられていなかった。
 過去帳が無ければ女は、地獄道に堕ちることも、幽界を彷徨うこともならず、まして決して成仏など出来る筈はない。
 閻魔大王様、女を哀れに思い、
(そなたの訴え、全て我が聞き留めた。して、そなたの望みを聞こう。
もし成仏し、のち、心静かに眠りたければ、そなたに、閻浮提で犯した大小如何なる罪、一切問わず、極楽に住むに似た深い眠りを特別に与えよう。
 もしそなた、その男に恨み果たさんと願うならば、その男、生きたまま地獄に引き連れて、地獄の責め苦、未来永劫、与えて苦しめよう。しかし、この願いを聞き届けるには、そなたも、同じ地獄の責め苦、未来永劫、絶えることなく受けて苦しまねばならぬ)
と閻魔大王様、髑髏と成り果てた女に尋ねた、女、答えて云う、
(閻魔大王様、私は、私の首、絞められて息絶え、そして、何十年も、闇の土中に埋められ、誰からも手を合わせて貰うことも成らず、成仏するどころか、幽霊にさえなれず、ただ土中で泣くばかり、何十年も経て参りましたのでございます。私の、男への恨み、そして我がこの身の情けない姿に変わり果ててしまった悔しさ、どうかご理解下さいませ、私に、このまま全てを忘れて眠りにつくことなど出来る訳もございません)

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