第12話

文字数 795文字

「まぁ私の事はほっといてよ、ただのオマヌケだから」真理子は恥ずかしそうに笑った。「それより、真田さん、まだ実験やってたの?」机の上を見て、真理子は訊ねた。「なかなか実験が上手くいかないと焦る気持ちはわかるけど、無理しすぎると身体に悪いわよ」
 真理子は裏表の無い人物だった。雪子は、彼女が誰かの陰口を言っているのを聞いた事が無かった。そんな真理子の素朴な気遣いは素直に嬉しかったが、一方で雪子は、そうは言っても上手くいかない時はしょうがないじゃないか、とも思った。
「わかってはいるんですけどね……」雪子は歯切れの悪い返事しか出来なかった。彼女は、背中の痛みがようやく徐々に引いて来たのを感じ、ゆっくりと身体を動かして立ち上がると、恐る恐る机の上を確認した。不幸中の幸いにして、実験器具は無事だった。これがダメになっていたら、雪子の深夜までの苦労はそれこそ水の泡となるところだった。
「もうちょっとで今日の実験は終わりますから、そしたら私も帰ります」雪子は真理子に言った。「お気遣いありがとうございます」
 真理子は、無理しないでね、と念を押すと、実験室を出た。そしてロッカー室に向かい、自分のロッカーの中から家のカギを見つけると、もう一度実験室に顔を出した。雪子に軽く手を振り、頑張ってね、と声を掛けてから、彼女は帰路に就いた。廊下は再び消灯された。
 再び一人になると、雪子は急に寒さを感じた。もうすぐ日付が変わる時間だ、寒いのも当たり前だ。一条先生の心配通りに風邪でも引いてしまったらバカバカしい、さっさと実験を終わらせて帰ろう、と雪子は心の中で呟いた。彼女は机の端に寄せていた実験器具を再び中央に移動させると、ラックに掛けてあったマイクロピペットを手に取った。雪子は、大きくため息をついた。自分以外誰もいない実験室は、やはり空調と実験用機械と雨の音だけが響いていた。       
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