第3話

文字数 614文字

 雪子は、ふと我に返った。あまり過去の事ばかり考えていてはいけないと、かかりつけの精神科医に言われているのを思い出したのだ。彼女は、2年目の9月に一度パニック発作に伴う過呼吸を起こし、それ以来精神科に通院していた。どんなに後悔しても過去は変えられない、過去の嫌な事ばかりを思い出していると、思考がどんどんとネガティブになってしまう、過去に囚われるよりも目の前の事に集中した方が良いと、雪子は医師に忠告されていた。
「気持ちを切り替えなきゃな……」雪子は自分に言い聞かせるように呟いた。彼女は右手のマイクロピペットを一旦ラックに置いて、軽く頭を振った。今は目の前の仕事を片付ける事に集中しなければ。少なくとも今日中に、今やっている作業だけは終わらせたかった。
雪子は、実験器具で散らかった机を眺めた。その雑然とした様子が、今の自分を象徴しているようだと思ったが、それもまたネガティブ思考だと自分を戒めた。雪子は一旦椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。体幹の筋肉のこりが若干和らぎ、全身に血液が巡るのを感じた。ささやかな快感だった。雪子は再び椅子に座ると、今度は目の疲れが気になったので、左手の親指と人差し指で両方の目頭を強く押さえた。グーッと5秒ほど目頭を押さえていると、何だか自分が泣いているみたいで、少し奇妙な気分だった。左手を離すと、雪子は再び机を見た。
 すると、雪子の目に、本来そこにいるはずの無い『何か』が見えた。
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